要点
- フレキシブル液晶ポリマー基板を用いて折り曲げ可能な無線機を作成。
- 重量が従来のリジッド基板の無線機の4分の1以下となる軽量化を実現。
- 衛星コンステレーションの打ち上げコストを大幅に削減可能。
概要
東京工業大学 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所の白根篤史准教授と同 工学院 電気電子系の岡田健一教授、機械系の坂本啓准教授は、フレキシブル液晶ポリマー(LCP)基板を用いた宇宙展開型フェーズドアレイ[用語1]無線機の開発に成功した。
より高速かつ安価な衛星通信サービスの提供を目指す衛星コンステレーションでは、衛星の小型・軽量化による打ち上げコストの削減が求められている。それにはアンテナを折りたたんで打ち上げる展開型無線機が必須だが、リジッド基板を用いた無線機では重量が重く、収納率も低くなるという課題があった。
本研究では、東工大において開発したCMOS無線ICチップを、厚さの異なる層構成をもつLCP基板上に実装して、Ka帯[用語2]64素子フェーズドアレイ無線機を作成した。本無線機のLCP基板には厚い領域と薄い領域があり、この厚い領域にアンテナや無線ICを搭載し、薄い領域には高周波伝送線路を通す構成を採用した。この構成により、フェーズドアレイ無線機の求める多層構成による高密度化と、宇宙展開構造の求める柔らかく折り曲げやすい形状という2つの条件を両立することが可能となった。試作したフェーズドアレイ無線機は、±50°のビームステアリング[用語3]が可能で、DVB-S2Xにおける256 APSK変調[用語4]に対応し、12 Gbpsの通信速度を達成した。さらに本無線機の重量は、従来のリジッド基板の無線機と同じ面積で比較すると4分の1以下であり、大幅な軽量化を実現している。
研究成果の詳細は、6月11日から米国サンディエゴで開催される国際会議IMS 2023「International Microwave Symposium 2023」で発表された。
背景
近年、衛星コンステレーション[用語5]を利用した通信サービスが全世界で提供され始めており、地上のインフラが存在しないような場所などを含め、地球上のどこにいてもインターネットにつながる世界が近づいている。最も多くの衛星を打ち上げているSpaceX社は、4千機以上の衛星を用いて衛星コンステレーションStarlinkを構築しており、サービス加入者はすでに100万人を超えている。衛星コンステレーションは、現在インターネットに接続できない、世界人口の3分の1の人々へネットワークを提供する最も有効な手段の一つである。しかしそうしたサービスを実現するためには、さらに多くの衛星をより低コストで打ち上げ、通信コストを削減していく必要がある。
課題
現在のStarlinkを構成する衛星の重量は約200 kgあり、打ち上げコストが高い。さらなる小型・軽量化を実現するためには、打ち上げ時にはアンテナを折りたたんでおき、軌道投入後に大きく展開するような、展開型の無線機の実現が必須である。展開型無線機はこれまでも提案されてきたが、展開後の平面性を保つためにリジッド基板を用いる無線機がほとんどであった。そうしたリジッド基板を用いた展開型無線機では、無線機自体が厚くなるため重量が重くなり、折りたたんだ際の収納率も低くなってしまうという課題があった。一方で、薄いフレキシブル基板を用いると、折り曲げ構造が作りやすい反面、多層化することが難しく、高密度化が困難だった。たとえ多層化が実現できたとしても、基板が厚くなり、折り曲げづらくなってしまうという問題があった。
研究成果
東工大の研究グループは、独自に開発したCMOS無線ICチップを、厚さの異なる層構成をもつLCP基板上に搭載することで、柔らかく折り曲げ可能なフェーズドアレイ無線機の実現に成功した。本無線機のLCP基板には、基板が厚い6層構成の領域と薄い2層構成の領域があり、厚い領域にアンテナや無線ICを搭載し、薄い領域には高周波の伝送線路等の配線を通す構成を採用した。これにより、フェーズドアレイ無線機の求める多層構成による高密度化と、宇宙展開構造の求める柔らかく折り曲げやすい形状という、2つの条件を両立することが可能となった。
このような柔らかく折り曲げが可能で、かつ高密度化が可能なLCP基板上でフェーズドアレイ無線機を実現するために、新たにアンテナと高周波伝送線路の設計を行った。折り目の近くに配置するアンテナは、折り目から遠いアンテナとは異なる設計を行い、パッチアンテナのサイズと給電位置を調整することで、最終的に両者が同様の特性となるようにした。また本無線機では、接続する部品と場所によって3種類の高周波伝送線路を使い分けており、折れ曲がる部分を通る高周波伝送線路は誘電体層で挟み込むようなかたちで構成している(図2)。
試作したプロトタイプのフェーズドアレイ無線機は、高速通信が可能なKa帯で動作し、64素子のアンテナ素子および8チップの無線ICで構成した(図3)。LCP基板は、株式会社フジクラの協力のもとで製造を行い、2層と6層の異なる厚さを持つ高密度かつ折り曲げ可能な基板を実現した。試作した無線機をOTA[用語6]環境で測定評価し、無線機の基本特性を確認した。その際、無線ICで適切な位相シフトを各アンテナ素子に与えたところ、±50°のビームステアリングを実現し、最大で46.7 dBm EIRP[用語7]の出力電力を確認した。これは衛星通信で用いられるDVB-S2Xにおける256 APSK変調に対応し、最大で12 Gbpsの通信速度を達成した。また、基板が柔らかく折れ曲がるため、展開後のフェーズドアレイが完全な平面とはならないことを考慮して、20°までの折れ曲がりであれば無線ICで電気的に補償可能であることを実証した。なお本無線機の重量は、従来のリジッド基板の無線機と同じ面積で比較すると4分の1以下であり、大幅な軽量化を実現している。
社会的インパクト
本研究の成果である、軽量かつ柔らかな展開型フェーズドアレイ無線機による衛星の小型・軽量化は、衛星コンステレーションを構築するための打ち上げコストを削減し、より安価な衛星通信サービスの提供を可能にする。本無線機は、誰もがどこでもネットワークに接続できる社会の実現のためのキー技術である。
今後の展開
今後は、本研究成果の64素子フェーズドアレイ無線機をさらに数千素子まで大規模化し、展開機構と組み合わせることで、超小型衛星に搭載可能な展開型フェーズドアレイ無線機の実現を目指す。さらに衛星コンステレーションへの適用を目指し、研究チームが提案する展開型フェーズドアレイ無線機の宇宙実証を進めていく。
用語説明
[用語1] フェーズドアレイ : 複数のアンテナへ位相差をつけた信号を給電する技術。放射方向を電気的に制御するビームフォーミングの実現に利用される。
[用語2] Ka帯 : 一般には26~40 GHzまでの周波数帯域を指すが、衛星通信においては、衛星通信用に割り当てられているアップリンクの17~21 GHz、ダウンリンクの27~31 GHzの周波数帯を指す。
[用語3] ビームステアリング : 電波を細く絞り、電波を集中的に任意の方向に発射、制御する技術。
[用語4] 256 APSK(256 Amplitude Phase Shift Keying)変調 : 256値振幅位相変調。振幅と位相双方に情報を乗せて伝送する変調方式。1シンボルあたり8 bit 256値の情報を乗せることができる。
[用語5] 衛星コンステレーション : 複数の衛星の一群・システム。SpaceX社のStarlinkでは数千機以上の衛星群がインターネット網を構成する。
[用語6] OTA(Over The Air) : ケーブルを利用した接続に対して、アンテナを用いて電波伝搬を介した接続での測定。
[用語7] EIRP(Equivalent Isotropic Radiated Power) : 指向性のあるアンテナを用いると、放射方向によっては無指向(等方性)のアンテナを用いるよりも強い電力密度を発生させることができる。この時に、指向性のあるアンテナにより生じたものと同じ電力密度を等方性アンテナにより得るために必要となる送信電力をEIRP(Equivalent Isotropic Radiated Power)という。
論文情報
この成果は、6月11日(現地時間)から開催される国際会議IMS 2023「International Microwave Symposium 2023」において、「A Ka-Band 64-element Deployable Active Phased Array Transmitter on a Flexible Hetero Segmented Liquid Crystal Polymer for Small-Satellites(異種層構成を持つフレキシブル液晶ポリマー基板を用いた小型衛星向けKa帯展開型64素子アクティブフェーズドアレイ送信機)」の講演タイトルで、現地時間6月14日午前8時00分から発表された。
講演セッション : |
We1A: Space Systems and Technologies |
講演時間 : |
6月14日午前8時00分(現地時間) |
講演タイトル : |
A Ka-Band 64-element Deployable Active Phased Array Transmitter on a Flexible Hetero Segmented Liquid Crystal Polymer for Small-Satellites (異種層構成を持つフレキシブル液晶ポリマー基板を用いた小型衛星向けKa帯展開型64素子アクティブフェーズドアレイ送信機) |
会議Webサイト : |
- プレスリリース 軽くて柔らかな基板を用いた 宇宙で大きく展開可能なフェーズドアレイ無線機を実現 —軽量・小型化で衛星打ち上げコストを大幅に削減—
- 300GHz帯でのビームフォーミングと高速データ伝送に成功|東工大ニュース
- 6G向け100 Gbps超の超高速サブテラヘルツフェーズドアレイ無線機を開発|東工大ニュース
- JAXAの「革新的衛星技術実証4号機」に膜面展開アンテナ技術の実証衛星が選定|東工大ニュース
- 低軌道衛星コンステレーションに向けた耐放射線Ka帯フェーズドアレイ無線機の開発に成功|東工大ニュース
- 小型地球観測衛星搭載用のKa帯フェーズドアレイ無線機の低消費電力化に成功|東工大ニュース
- 新アーキテクチャのデジタル位相同期回路を開発|東工大ニュース
- Beyond 5Gの端末機に向けたマルチバンドフェーズドアレイ受信ICを開発|東工大ニュース
- 超小型衛星搭載用Ka帯無線機の開発に成功|東工大ニュース
- 無線電力伝送と無線通信双方に同時対応するミリ波帯フェーズドアレイ無線機の開発に成功|東工大ニュース
- 5GおよびBeyond 5Gの基地局に向けた高効率ミリ波帯フェーズドアレイ無線機を開発|東工大ニュース
- 超高速ビームフォーミングが可能なミリ波帯フェーズドアレイ無線機を開発|東工大ニュース
- 電源不要のミリ波帯5G無線機の開発に成功|東工大ニュース
- テラヘルツ帯でのフェーズドアレイ無線機を実現|東工大ニュース
- JAXAの「革新的衛星技術実証3号機」に5G対応のフェーズドアレー無線機を搭載|東工大ニュース
- 300 GHz帯無線トランシーバの省電力化に成功|東工大ニュース
- Ka帯衛星通信向け無線ICの開発に成功|東工大ニュース
- 世界最小のクロック回路を5 nm CMOSで開発|東工大ニュース
- 未来を実現するための研究支援「DLab Challenge 2022」に3研究を採択|東工大ニュース
- 東工大学生衛星開発チームが米国電気電子学会の衛星用無線機のコンペにてファイナリストに選出|東工大ニュース
- 白根研究室
- 岡田研究室
- 白根篤史 Atsushi Shirane|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 岡田健一 Kenichi Okada|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 未来産業技術研究所
- 科学技術創成研究院 (IIR)
- 工学院 電気電子系
- 研究成果一覧
お問い合わせ先
東京工業大学 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所
准教授 白根篤史
Email shirane@ee.e.titech.ac.jp
Tel / Fax 03-5734-3764
取材申し込み先
東京工業大学 総務部 広報課
Email media@jim.titech.ac.jp
Tel 03-5734-2975 / Fax 03-5734-3661