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オートファジーによる小胞体分解の分子メカニズムを解明 オートファゴソームに小胞体を詰め込む仕組みを発見

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要点

  • オートファジーによる小胞体の分解(ERファジー)過程で、レセプタータンパク質Atg40が脂質膜を折り曲げることを発見
  • Atg40の集積(多量体化)によって小胞体領域が局所的に変形
  • Atg40とオートファゴソーム膜タンパク質Atg8のユニークな結合様式を解明

概要

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の中戸川仁准教授、持田啓佑研究員(研究当時。現・理化学研究所脳神経科学研究センター 基礎科学特別研究員)および微生物化学研究所の野田展生部長、山﨑章徳博士研究員(研究当時。現・東京工業大学 科学技術創成研究院 特任助教)らの研究グループは、小胞体[用語1]がオートファジーによって分解される過程で起こる、小胞体膜の局所的変形の分子基盤を明らかにした。

オートファジーは細胞内の分解機構であり、細胞質のタンパク質や核酸、細胞小器官などをオートファゴソーム[用語2]と呼ばれる「袋」に入れて、分解の場であるリソソームや液胞に輸送する。細胞小器官である小胞体は、栄養飢餓などの特定の状況下ではオートファジーによって積極的に分解されるが(ERファジー)、小胞体をオートファゴソームに積み込む分子メカニズムは不明であった。

本研究では、ERファジーのレセプタータンパク質Atg40に脂質膜を折り曲げる性質があることを発見した。また小胞体上でAtg40が形成途中のオートファゴソーム上のAtg8という別のタンパク質との結合を介して多量体化することで、小胞体膜が局所的に変形され、オートファゴソームに効率的に積み込まれることを明らかにした。さらにX線結晶構造解析から、ERファジーのレセプタータンパク質に保存されたAtg8とのユニークな結合様式を解明した。

この研究成果は、英国科学誌「Nature Communications」で2020年7月3日に公開された。

背景

小胞体は、細胞内に存在する最大の膜構造体であり、分泌タンパク質や膜タンパク質の合成をはじめとした必須の細胞機能を数多く担っている。小胞体の「量」と「品質」を適切に保つことは、外部環境への適応や細胞死の回避に重要であり、小胞体が「過剰」あるいは「異常」となったときには、その一部を適切に除去する必要がある。

最近の研究から、オートファジーによって小胞体の一部を積極的に分解する現象(ERファジー)の存在が明らかになってきた。オートファジーは、細胞内の成分を分解する仕組みの一つであり、オートファゴソームと呼ばれる脂質膜の袋が細胞質の一部を包み込み、分解に特化したコンパートメント(リソソーム/液胞)との融合により内容物を分解する。ERファジーでは、小胞体上に分解の目印となる「レセプタータンパク質」が提示されると、形成途中のオートファゴソーム膜上のタンパク質「Atg8」がレセプタータンパク質に結合し、小胞体の一部がオートファゴソームに包み込まれる。この過程において、連続した単一の膜構造と考えられている小胞体の一部をオートファゴソームに隔離するためには、分解する小胞体領域を「切り離す」必要がある。しかし、この小胞体の切り離しがどのようにして行われるのか、切り離しがオートファゴソーム形成と共役して起こるのかなど、その分子メカニズムには多くの謎が残されていた。またこれまでの研究で、小胞体断片が複雑に折りたたまれるようにしてオートファゴソームに隔離されている様子が観察されていたが、細胞内で網状に広がる小胞体をオートファゴソームへ効率的に「詰め込む」メカニズムも不明であった。

研究成果

本研究グループは、モデル生物「出芽酵母[用語3]」を用いて、ERファジーの分子メカニズムについて研究を進めてきた。同グループは過去に、出芽酵母では「Atg40」がERファジーのレセプターとして機能することを明らかにしている。本研究においてAtg40の細胞内動態を解析した結果、Atg40は、オートファゴソームの形成開始とともに、その近傍にある小胞体上に集積した。その後、オートファゴソーム形成と共役する形で小胞体領域の一部が切り離されることがわかった。さらにAtg40が、ヘアピン状に脂質膜に挿入されるドメインを持ち、このドメインを介して脂質膜を折り曲げる性質を持つこと、この領域が小胞体膜の切り離しに重要であることを明らかにした(図1A)。

さらにAtg40は、形成途中のオートファゴソーム膜上のAtg8との多価的な相互作用によって多量体化し、高次集積することが強く示唆された。Atg40の多量体化を人為的に誘導すると、小胞体膜が球状に濃縮された構造体が形成されたが、この構造の形成には脂質膜の折り曲げに関わる領域が必須であった(図1B、C)。すなわち、形成途中のオートファゴソームと接する小胞体領域においてAtg40が多量体化することで、その小胞体領域が局所的に折りたたまれ、凝縮された状態でオートファゴソームに積み込まれると考えられる(図1C)。本研究により、レセプターであるAtg40が、オートファゴソーム膜と小胞体膜とを繋ぎとめる役割だけでなく、分解する小胞体領域を折りたたみ、オートファゴソームに効率よく詰め込むための重要な役割も果たすことが明らかになった。

図1. Atg40の多量体化を介した小胞体の局所的な折りたたみ(A)Atg40はヘアピン状に脂質膜に入り、膜を折り曲げる性質を持つ(B)Atg40の多量体化を誘導すると、小胞体膜が球状に凝縮された構造が形成される(C)Atg40を介したERファジーの分子メカニズムのモデル

図1. Atg40の多量体化を介した小胞体の局所的な折りたたみ

(A)Atg40はヘアピン状に脂質膜に入り、膜を折り曲げる性質を持つ
(B)Atg40の多量体化を誘導すると、小胞体膜が球状に凝縮された構造が形成される
(C)Atg40を介したERファジーの分子メカニズムのモデル

また本研究では、Atg40とAtg8の相互作用の構造基盤を明らかにした。レセプタータンパク質は、Atg8-familly interacting motif(AIM)と呼ばれる共通のモチーフ配列を介してAtg8と結合することが知られている。Atg40の場合には、これまでに報告されてきた多くのレセプターとは異なり、AIMに加えて、近傍のαヘリックス構造がAtg8との結合をサポートするというというユニークな結合様式の存在が明らかになった(図2)。さらに、このAtg8との特徴的な結合様式は、哺乳動物の3つのERファジーレセプターにも見られることもわかった。

図2. ERファジーのレセプターに保存されたAtg8との結合様式

図2. ERファジーのレセプターに保存されたAtg8との結合様式

3つの図はそれぞれ、ERファジーレセプター(Atg8結合領域のみ)とAtg8の複合体の結晶構造を表す。GABARAPは哺乳動物のAtg8ホモログ、FAM134BおよびSEC62は哺乳動物におけるERファジーレセプターである。赤点線はAtg8との結合をサポートするヘリックス構造を示す。

今後の展開

哺乳動物において、ERファジーの破綻は神経細胞の細胞死による自律感覚神経障害を引き起こすと考えられている。ERファジーの分子メカニズムを理解することは、同疾患の発症機構を理解するうえでも重要である。本研究によって、巨大な小胞体の一部を直径500 nm程度のオートファゴソームに効率よく積み込み、切り離すという、複雑なプロセスのメカニズムの一端が明らかになった。しかしながら、小胞体の切り離しを直接媒介する因子が他にも存在するのかどうかなど、未解明の点も残されている。

本研究で明らかにした、ERファジーのレセプタータンパク質に保存されているAtg8とのユニークな結合様式は、選択的なオートファジーの構造面の理解に新たな知見を与えるものである。ERファジーのレセプターに特徴的なAtg8との結合様式が、酵母からヒトまでの幅広い種で高度に保存されている理由は興味深い謎であり、今後の解明が期待される。

用語説明

[用語1] 小胞体 : 細胞内に網状に広がる最大の細胞小器官。タンパク質や脂質の合成・輸送、カルシウムイオンの貯蔵、他のオルガネラとの接触部位の形成など、その機能は多岐に渡る。小胞体へのストレスの蓄積は細胞死を引き起こす。

[用語2] オートファゴソーム : 栄養飢餓などのストレスに応じて形成される二重膜構造。膜胞がカップ状に伸張し、閉じることで細胞質の一部を隔離する。

[用語3] 出芽酵母 : 単細胞の真核生物であり、基本的な細胞の構造や生命現象は哺乳動物細胞と共通している。遺伝学的操作の容易さなどから、オートファジーをはじめ様々な生命現象の研究に先導的な役割を果たしてきたモデル生物。

論文情報

掲載誌 :
Nature Communications
論文タイトル :
Super-assembly of ER-phagy receptor Atg40 induces local ER remodeling at contacts with forming autophagosomal membranes
著者 :
Keisuke Mochida, Akinori Yamasaki, Kazuaki Matoba, Hiromi Kirisako, Nobuo N. Noda, Hitoshi Nakatogawa
DOI :
<$mt:Include module="#G-11_生命理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系

准教授 中戸川仁

E-mail : hnakatogawa@bio.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5735 / Fax : 045-924-5743

微生物化学研究所 構造生物学研究部

部長 野田展生

E-mail : nn@bikaken.or.jp
Tel : 03-3441-4173 / Fax : 03-3441-7589

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

微生物化学研究会 微生物化学研究所 知的財産情報室

E-mail : office@bikaken.or.jp
Tel : 03-3441-4173 / Fax : 03-3441-5811


マイクロ波による触媒活性点の選択的な加熱を実証 放射光で担持白金ナノ粒子の局所温度を解析

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要点

  • マイクロ波照射によって触媒上に担持した金属ナノ粒子を選択的に加熱
  • 活性点上の局所的な高温反応場において、低温で触媒反応を促進
  • マイクロ波加熱により、触媒反応プロセスの省エネルギー化に貢献

概要

東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の阿野大史大学院生(研究当時)、椿俊太郎助教、本倉健准教授、和田雄二教授(研究当時。現 科学技術創成研究院 特任教授)、国際基督教大学の田旺帝教授らの研究グループは、マイクロ波[用語1]により固体触媒の活性点[用語2]に高選択的に局所加熱が生じることを実証した。

放射光を用いたX線吸収微細構造(XAFS)[用語3]により、in situ [用語4]マイクロ波照射中の金属ナノ粒子の温度を推測する手法を確立した。広域X線吸収微細構造(EXAFS)[用語5]に含まれる温度依存的なDebye-Waller因子[用語6]をもとに、担持白金(Pt)ナノ粒子の温度を推測したところ、周囲の担体と比較して26~132 K(ケルビン)[用語7]高いことを見出した。

すなわち、マイクロ波により活性点が選択的に高温となり、触媒反応の促進が生じると考えられる。この成果により、物質と相互作用するマイクロ波のエネルギーを触媒反応に効果的に利用できる指針が得られた。

マイクロ波を固体触媒に照射すると、マイクロ波が触媒活性点となる担持金属ナノ粒子[用語8]を直接加熱し、触媒反応の加速することができることが示された。今後、マイクロ波加熱により、触媒反応プロセスの省エネルギー化が期待できる。

研究成果は7月3日付けでNature Researchの「Communications Chemistry (コミュニケーションズケミストリー)」に掲載された。

背景

電子レンジに用いられるマイクロ波は、非接触で高速に物質を加熱できる。多くのエネルギー消費を伴う化学産業に対して、マイクロ波加熱手法は化学反応の速度上昇や反応系の低温化による大きな省エネルギー化をもたらすことができる。

マイクロ波を触媒に照射すると「非平衡局所加熱[用語9](図1)」とよばれる微視的な領域での局所高温場が生じる。局所的は高温反応場が、触媒反応の促進に寄与していると考えられてきた[参考文献12]。特に、担持金属触媒にマイクロ波を照射した場合、触媒活性点となる担持金属をマイクロ波加熱されると考えられる。触媒活性点を選択的に加熱することにより、反応に必要なエネルギーのみを供給した、革新的な省エネルギー触媒反応プロセスが可能となる(図1)[参考文献34]

しかし、マイクロ波照射中の金属ナノ粒子のサイズが非常に小さいため、サーモグラフィーや放射温度計などの一般的な温度計測手法では、温度を見積もることは困難であった。

本研究ではマイクロ波加熱中の固体触媒(担持白金触媒)のin situ X線吸収微細構造(XAFS)解析を行い、担体上に担持されたPtナノ粒子上の局所的な温度を見積もることに成功した。

図1. 従来の伝熱による触媒反応プロセスと、マイクロ波によって触媒活性点を選択的に加熱した触媒反応プロセスの比較

図1. 従来の伝熱による触媒反応プロセスと、マイクロ波によって触媒活性点を選択的に加熱した触媒反応プロセスの比較

研究のアプローチ

マイクロ波照射中にXAFS測定が可能な顕微分光用マイクロ波加熱システムを確立した(図2)。このマイクロ波システムは半導体式マイクロ波発振器と円筒型空洞共振器を搭載しており、XAFS測定中のマイクロ波照射条件を精密に一定に保つことが可能である。

この顕微分光用マイクロ波加熱システムを用い、高エネルギー加速器研究機構においてマイクロ波照射中の担持Ptナノ粒子のXAFS測定を行った。得られたPtナノ粒子のEXAFSスペクトル解析から、温度依存性を示すDebye-Waller因子を求め、温度に対してプロットした。通常の伝熱加熱によって得られたDebye-Waller因子を検量線として、マイクロ波照射中のDebye-Waller因子の値を温度として換算し、担持Ptナノ粒子の局所温度を推測した。

図2. a : マイクロ波in situ XAFS測定システム、b : 通常の伝熱によるin situ XAFS測定システム

図2. a : マイクロ波in situ XAFS測定システム、b : 通常の伝熱によるin situ XAFS測定システム

研究成果

マイクロ波加熱および通常加熱中にin situ XAFS測定を行い、マイクロ波加熱によるPtの局所の温度を求めた。図3は通常加熱およびマイクロ波加熱中のPt/Al2O3(白金/アルミナ)触媒のPt L3 edge FT(フーリエ変換)EXAFS スペクトルを示す。2.77 Å(オングストローム、1 Åは0.1ナノメートル)のPt-Pt間の結合に由来するピーク強度に着目すると、通常加熱では昇温に伴い徐々に減少しているが、マイクロ波加熱では368 Kの低温においても急速に減衰した。続いて、スペクトル解析により温度依存的に変化するDebye-Waller因子を算出した。Debye-Waller因子の急減衰には、温度因子と構造因子の寄与が考えられる。そこで、透過型電子顕微鏡およびXAFSによりマイクロ波加熱前後のPtナノ粒子の形態に変化がないことを確認した。これより、触媒活性点となるPtナノ粒子の局所的な高温状態に起因して、Debye-Waller因子の急減衰が生じることが示された。

続いて、通常の伝熱加熱での解析で算出したDebye-Waller因子を元に検量線を作成し、マイクロ波照射中の担持Ptナノ粒子の局所温度を推測した(図4)。γ-アルミナ(γ-Al2O3)を担体とした場合、担体と担持Ptの間に26 Kの温度勾配が生じた。さらに、二酸化ケイ素(SiO2)を担体として用いた場合、担体と担持Pt間の温度勾配は132 Kに達することが示唆された。

そこで、これらの触媒の活性を比較した場合、SiO2担体においてより大きなマイクロ波による反応加速効果が得られることを確認した。これらの結果から、マイクロ波加熱によって、触媒活性点となる担持金属粒子を選択的に加熱し、触媒反応の促進に寄与していること、および、担体によって担持金属粒子の温度が変化することが示された。

図3. a : 通常加熱、b : マイクロ波加熱中のFT-EXAFSスペクトル。(図中の温度は触媒層表面の温度(図4)を示す)

図3. a : 通常加熱、b : マイクロ波加熱中のFT-EXAFSスペクトル。(図中の温度は触媒層表面の温度(図4)を示す)

図4. マイクロ波による担持Ptナノ粒子の局所加熱の概要

図4. マイクロ波による担持Ptナノ粒子の局所加熱の概要

今後の展開

今後、再生可能エネルギーの普及が進むにつれて、多くの化学産業が化石資源の使用から脱却し、化学産業プロセスの電化が望まれる。マイクロ波は電力を化学反応に必要なエネルギーに効率的に変換し、触媒反応の大きな省エネルギー化に貢献することができると期待される。マイクロ波を用いた固体触媒反応は、今後、環境浄化触媒反応、メタンやCO2、バイオマスといった難資源化炭素化合物を有効利用する技術などへの応用が可能である。

付記

今回の研究は、科学研究費助成事業 基盤研究(S)17H06156、同 若手研究(A)17H05049、同 特別研究員奨励費17J09059、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業 さきがけJPMJPR19T6の成果である。XAFS測定は高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所放射光共同利用実験 平成30年 - 令和2年「XAFS測定によるマイクロ波照射下の金属担持触媒上の活性点の電子状態および構造のオペランド解析」のもと実施された。

参考文献

[参考文献1] Durka, T. et al., Chem. Eng. Technol., 2009, 32, 1301–1312.

[参考文献2] Stankiewicz, A. et al., Chem. Rec., 2019, 1, 40–50.

[参考文献3] Wada Y. et al., J. Jpn Petrol. Inst., 2018, 61, 98–105.

[参考文献4] Jie, X. et al., Energy Environ. Sci., 2019, 12, 238–249.

用語説明

[用語1] マイクロ波 : 周波数が300 MHz~300 GHzの帯域の電磁波の一種。2.45 GHzは電子レンジやWi-Fiで利用される。マイクロ波によって、被照射物が電磁気的な相互作用を伴って加熱される。身近では電子レンジ内でマイクロ波加熱が使用されている。

[用語2] 固体触媒の活性点 : 固体触媒の表面で、反応物質が触媒作用を受ける部分。

[用語3] X線吸収微細構造(XAFS) : 物質にX線を照射して得られる吸収スペクトルから、物質の酸化状態や電子状態、局所構造を解析する手法。

[用語4] In situ : ラテン語で「その場で」という意味。マイクロ波照射下での化学反応を行っている際に、直接分光分析を行うこと。

[用語5] 広域X線吸収微細構造(EXAFS) : XAFS測定の一種。立体構造に関する情報として、近接原子までの距離や近接原子種、近接原子数などの情報を得ることができる。

[用語6] Debye-Waller因子 : 熱振動によるX線の散乱強度の減衰を表す。ナノ粒子では、構造変化(粒子サイズ)と温度変化等により、Debye-Waller因子が変化する。

[用語7] K(ケルビン) : 熱力学温度の単位。0 ℃は273 Kに相当する。

[用語8] 担持金属ナノ粒子 : 触媒担体に担持された触媒活性を示すナノサイズの金属微粒子。

[用語9] 非平衡局所加熱 : ミリメートル以下の微視的な領域において、マイクロ波による熱エネルギーの投入によって生じる非平衡な局所高温状態のこと。

論文情報

掲載誌 :
Communications Chemistry, 3, 86, 2020.
論文タイトル :
Probing the temperature of supported platinum nanoparticles under microwave irradiation by In situ and operando XAFS
著者 :
Taishi Ano, Shuntaro Tsubaki, Anyue Liu, Masayuki Matsuhisa, Satoshi Fujii, Ken Motokura, Wang-Jae Chun, Yuji Wada
DOI :
<$mt:Include module="#G-07_物質理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 科学技術創成研究院

特任教授 和田雄二

E-mail : wada.y@mac.titech.ac.jp

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
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マヨラナ粒子が媒介するスピン輸送現象の発見 物質内部で磁化変動を伴わない奇妙なスピン励起の伝達

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要点

  • 量子スピン液体に対する実時間数値シミュレーションにより、局所磁化の変化を伴わないスピン輸送現象を発見
  • このスピン輸送がマヨラナ粒子によって媒介されることを解明
  • マヨラナ粒子を利用したスピントロニクスや量子コンピューティングデバイスへの応用に期待

概要

東京工業大学 理学院 物理学系の皆川哲哉修士課程学生(研究当時。現・ソニーセミコンダクタソリューションズ株式会社)、村上雄太助教、古賀昌久准教授、横浜国立大学 大学院工学研究院の那須譲治准教授らの研究グループは、量子スピン液体[用語1]が実現するキタエフ模型[用語2]に対して実時間数値シミュレーションを行い、マヨラナ粒子[用語3]がスピン輸送を媒介し、量子スピンの時間変動が物質の端から端へ伝達することを発見した。

この系では、磁性絶縁体中の量子スピンは、あたかも複数のマヨラナ粒子に分裂しているように振る舞う。この系の片方の端にパルス磁場を導入し、端の局所磁化の時間変動を誘起した後の時間発展を計算すると、物質内部へはその時間変動は浸透しない。量子スピン液体内部でスピンの時間変化がまったく誘起されないにもかかわらず、一定時間経過後にもう片方の端のスピンが突然変動し始めることを発見した。この奇妙なスピン励起伝搬の速度はこの系でのマヨラナ粒子の速度と一致するため、パルス磁場によるスピン励起はマヨラナ粒子によって運ばれていると解釈できる。

物質内部の局所磁化を一切生じさせずにマヨラナ粒子を介してスピン励起が伝搬するこの現象は、スピン変調が波のように伝わる従来のスピン輸送と一線を画している。この研究成果によりマヨラナ粒子を利用したスピン輸送の可能性が開拓され、スピンの時間変化を伴わないスピントロニクスデバイスへの応用やマヨラナ粒子を使ったトポロジカル量子計算[用語4]の基盤構築につながることが期待される。

研究成果は7月24日に米国物理学会誌「Physical Review Letters(フィジカルレビューレターズ)」にオンライン掲載された。

研究成果

研究グループは、絶対零度まで冷却しても磁気秩序を示さない磁性絶縁体の量子スピン液体に注目し、それを記述するモデルのひとつであるキタエフ模型に対して実時間数値シミュレーションを行うことで、スピン励起が物質内部でマヨラナ粒子を媒体として伝搬することを発見した。キタエフ量子スピン液体において、マヨラナ粒子が準粒子[用語5]として存在することを示唆する実験結果はこれまでいくつか得られているが、今回の発見はこのマヨラナ粒子がスピン輸送を媒介するというまったく新しい現象である。

通常、磁性絶縁体において磁性の起源である電子スピンの運動は、磁気的な力を介して結晶中を波のように伝わっていくことが知られている。一方で、キタエフ量子スピン液体の場合には、結晶格子(図1)の左端に印加したパルス磁場によって励起されたスピン変調が物質中に伝わらず、物質内部の電子スピンはまったく時間変化しない。

図1. キタエフ模型が定義されたハニカム格子。黒い球の上に電子スピンが存在している。左端の灰色の領域にパルス磁場を印加し、右端の灰色の領域には弱い静磁場を印加している。

図1.
キタエフ模型が定義されたハニカム格子。黒い球の上に電子スピンが存在している。左端の灰色の領域にパルス磁場を印加し、右端の灰色の領域には弱い静磁場を印加している。

しかし、ある一定時間経過後に、右端の電子スピンが突如運動し始めることを発見した。量子スピン液体内部では電子スピンは2種類のマヨラナ粒子にあたかも分裂しているかのように振る舞う。その片方は結晶格子に束縛されて動くことができないが、もう片方のマヨラナ粒子は物質中を自由に動き回る(遍歴する)ことができるため、後者の空間分布の時間変化を調べた(図2)。

図2. パルス磁場を印加後の電子スピンと遍歴マヨラナ粒子の存在確率の変化の実空間マップの時間発展。

図2.
パルス磁場を印加後の電子スピンと遍歴マヨラナ粒子の存在確率の変化の実空間マップの時間発展。

その結果、左端で生じた電子スピンの時間変化はすぐに遍歴マヨラナ粒子へと変換され、物質中においてスピン変調を生じることなく通過し、右端に到達したときに電子スピンの時間変化を誘起することが分かった。さらに、端から端までの距離を右端のスピン変調が生じるまでの遅延時間で割ると遍歴マヨラナ粒子の速さに等しくなることからも、スピン励起がマヨラナ粒子によって伝搬されたことが理解できる。

図3. スピンの時間変動がマヨラナ粒子の動きに変換されて物質中を伝わり、右端でスピン励起が誘起される様子を示した模式図。

図3.
スピンの時間変動がマヨラナ粒子の動きに変換されて物質中を伝わり、右端でスピン励起が誘起される様子を示した模式図。

背景

従来のエレクトロニクスを超えて、電子の持つスピンを積極的に活用するスピントロニクス研究の進展に伴い、電流を伴わないスピン輸送現象に関する研究が近年、盛んに行われている。磁気秩序を有する磁性絶縁体においては、磁性の起源である電子スピンの運動は近接する原子上のスピンに働く磁気的な力を介して波のように伝わる。このスピン波と呼ばれる電子スピンの変調が、磁性絶縁体中のスピン輸送を担うと考えられてきた。

一方で絶対零度まで磁気秩序が現れないキタエフ量子スピン液体においては、電子スピンの間の力の受け渡しが隣接する原子上のみに影響し、ある原子上の電子スピンを時間変動させたとしても、そのスピン変調は遠くまで伝達せずにスピン輸送には適さないと思われていた。

キタエフ量子スピン液体は、塩化ルテニウムといった磁性化合物において実現すると考えられており、この量子スピン液体の特徴であるマヨラナ粒子を現実の物質中で観測する試みが国内外で精力的に行われている。マヨラナ粒子は電荷中性のため、特に熱伝導度の測定を中心とした実験研究が進められている。その一方で、マヨラナ粒子を用いたスピン輸送の可能性は、興味深い問題として残されていた。

今後の展開

本研究成果は量子スピン液体において、マヨラナ粒子がスピントロニクスの輸送担体として機能し得ることを指摘するものである。さらに、そのスピン輸送において、電子スピンの時間変動がまったく生じないため、それを利用した新たなスピントロニクスデバイスへの応用が期待される。また、キタエフ量子スピン液体において現れるマヨラナ粒子は、環境からの擾乱に強いトポロジカル量子計算の演算要素となることも期待されており、次世代量子計算の基盤構築の可能性も期待される。

用語説明

[用語1] 量子スピン液体 : 物質を構成する原子の中の電子のスピン(電子が持つミクロな磁石の向き)が活性な絶縁体(磁性絶縁体)において、近接する原子上の電子スピンの間に磁気的な力が働いているにもかかわらず、電子スピンの整列(磁気秩序)が絶対零度まで抑制された状態。

[用語2] キタエフ模型 : 量子スピン液体状態を厳密に基底状態(エネルギーの最も低い状態)に持つ磁性絶縁体を記述する理論模型。2006年にA. Kitaev(アレクセイ・キタエフ)により、トポロジカル量子計算(用語4)を実現し得る模型として提案された。その後の研究で、この模型によって磁気状態が説明できる現実の化合物が提案された。

[用語3] マヨラナ粒子 : 粒子と反粒子が同一のフェルミ粒子。素粒子物理学では、ニュートリノがその候補と考えられている。固体中では、マヨラナ粒子のように振る舞う励起である準粒子として存在する可能性が指摘されている。

[用語4] トポロジカル量子計算 : 量子演算の過程でトポロジカルな性質を利用することで、環境からの擾乱に強く安定した演算が可能な量子計算。

[用語5] 準粒子 : 物質を構成する電子集団にエネルギーを与えて励起させた状態への変化分が、あたかも粒子のように見なせるもの。半導体の正孔(ホール)など。

付記

本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ研究領域「トポロジカル材料科学と革新的機能創出(研究総括:村上 修一)」における研究課題「量子トポロジカル磁性体のもつ素励起の時空間的制御」(研究者:那須 譲治(JPMJPR19L5))の支援を受けて行われた。

論文情報

掲載誌 :
Physical Review Letters
論文タイトル :
Majorana-mediated spin transport in Kitaev quantum spin liquids
著者 :
Tetsuya Minakawa, Yuta Murakami, Akihisa Koga, and Joji Nasu
DOI :
<$mt:Include module="#G-03_理学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 理学院 物理学系

准教授 古賀昌久

E-mail : koga@phys.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2727 / Fax : 03-5734-2727

東京工業大学 理学院 物理学系

助教 村上雄太

E-mail : yuta.murakami@phys.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2724 / Fax : 03-5734-2724

横浜国立大学 大学院工学研究院

准教授 那須譲治

E-mail : nasu-joji-pn@ynu.ac.jp
Tel : 045-339-3368

JST事業に関すること

科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ

嶋林ゆう子

E-mail : presto@jst.go.jp
Tel : 03-3512-3531 / Fax : 03-3222-2066

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

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自然発症型糖尿病モデルマウスの作製に成功 膵臓再生医療の新しい移植モデル動物として期待

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要点

  • インスリン2タンパク質の104番目のアミノ酸残基を欠失
  • 重度免疫不全モデルマウスBRJマウスに遺伝子変異導入
  • インスリン治療により正常な血糖値に回復

概要

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の粂昭苑教授、坂野大介助教、井上愛里大学院生(博士後期課程1年)らの研究グループは、熊本大学 生命資源研究・支援センターの荒木喜美教授、同大 ヒトレトロウイルス学共同研究センターの岡田誠治教授、順天堂大学大学院医学系研究科の小池正人教授らとの共同研究により、マウスのインスリン2タンパク質へのQ104del変異導入[用語1]による自然発症型の糖尿病モデルマウスを作製した(図1)。作製した糖尿病モデルマウスは遺伝的な変異により発症するため、従来の薬剤投与による糖尿病モデルよりも安定に糖尿病を発症することができる。そして、重度免疫不全モデルマウス[用語2]の系統に遺伝子変異を導入したため、ヒトiPS細胞やES細胞から作成された膵臓(すいぞう)細胞の糖尿病治療効果を評価するための細胞移植実験への活用が期待される。

この成果は7月22日付で英国の科学誌「Scientific Reports(サイエンティフィック・リポーツ)」にオンライン掲載された。

図1. CRISPR/Cas9システムを用いたKuma変異をもつマウスの樹立

図1. CRISPR/Cas9システムを用いたKuma変異をもつマウスの樹立

CRISPR/Cas9システムを用いて重篤な免疫不全BRJマウスに、変異の導入を試みた。
当初狙った相同組み換え体は得られなかったが、その代わり、遺伝子修復時に起こった3塩基DNAの欠失を有するマウス系統を得た。このゲノム配列の欠失によりインスリン2タンパク質の104番目アミノ酸であるグルタミンが失われていた。

背景

膵臓β細胞[用語3]は血糖の恒常性維持のためにインスリンという内分泌ホルモンを産生分泌する。血糖値を感知し、インスリンを分泌する機能に関与するタンパク質群の遺伝子に変異があった場合に糖尿病を発症する。従来、インスリン遺伝子において、生後すぐに糖尿病を引き起こすことで知られている変異がいくつか報告されていたが、今回は、新生児糖尿病変異の原因となる新規なインスリン遺伝子変異としてQ104del変異を同定した。

一方で、糖尿病の治療には膵臓移植または膵臓内のランゲルハンス島[用語4]の移植が有効な治療手段だが、ドナー不足がその妨げになっている。そこでヒトiPS細胞やES細胞を膵臓細胞へ分化させ移植源とすることが期待されている。試験管内で作製された膵臓細胞の糖尿病治療効果を評価するには糖尿病モデル動物への細胞移植を行い、血糖値の改善効果によって評価することが有効な手法である。

糖尿病モデルマウスを作製する方法としては、薬剤を使ってβ細胞を破壊する方法がよく使用されているが、遺伝子変異糖尿病モデルの方が安定した高血糖状態を作り出せると考えた。従来からよく使われている自然発症糖尿病モデルマウスは重篤な免疫不全の系統ではないため、ヒトの細胞の移植後の生着率を上げる必要があった。そこで従来のモデルマウスと比べてさらに重篤な免疫不全モデルであるBRJマウス[用語5]のインスリン遺伝子に変異を導入した重度免疫不全糖尿病モデルを作製することにした。

研究成果

粂教授と荒木教授らは当初、ゲノム編集技術の一つであるCRISPR / Cas9システム[用語6]を使用して重度免疫不全マウスであるBRJマウスのInsulin2遺伝子[用語7]を編集し、得られたマウスのなかにインスリン2タンパク質の104番目のアミノ酸であるグルタミンが欠失したマウスを得た。このマウスは糖尿病の症状を示したことから、この変異型をKuma変異と名付けた。Kuma変異をもつマウス(Kumaマウス)は、生後4週以降に血糖値が上昇した(図2)。

図2. Kumaマウスは糖尿病を自然発症する

図2. Kumaマウスは糖尿病を自然発症する

野生型マウスとKumaヘテロ接合体の各週齢におけるオスの随時血糖。野生型マウスの血糖値は、100~200 mg/dL程度であるが、Kumaマウスでは、3週齢ごろより血糖上昇が確認された。
§p < 0.05, §§p < 0.01

得られたKumaマウスの解析により、変異インスリンタンパク質の安定性が低く、生後3週以降にKumaマウスの膵臓β細胞におけるインスリンタンパク質の産生量が減少していたことが分かった。そして、小池教授らの電子顕微鏡観察結果により、生後3週以降では、Kumaマウスの膵臓β細胞内のインスリン顆粒の数が減少していることが分かった(図3)。

図3. Kumaマウスの膵臓β細胞ではインスリン分泌顆粒が減少していた

図3. Kumaマウスの膵臓β細胞ではインスリン分泌顆粒が減少していた

5週齢オスマウスの膵臓の電子顕微鏡観察像。Kumaマウスにおいて、成熟したインスリン顆粒(黒矢頭)の数が少なくなっていた。

さらに成長とともに膵臓内のβ細胞が減少していく様子も観察された。これらの表現型の変化に伴って、インスリンの分泌する能力は失われていくが、インスリンを徐々に放出するチップをマウス体内に入れ、インスリンを投与することで高血糖を是正できることを確認した(図4)。

図4. インスリン治療による血糖値の改善効果がみられた

図4. インスリン治療による血糖値の改善効果がみられた

メスのKumaヘテロ接合体マウスにインスリン徐放チップを投与した。インスリン投与前後の血糖値を測定した。インスリン投与は8週齢から12週齢にかけて、4週間行った 。インスリン投与により、通常血糖(200 mg/dL以下)まで高血糖は低下し、インスリン投与を停止する(チップの除去)と再び高血糖となった。

これらの結果から、インスリンを分泌するiPS細胞由来の膵臓細胞を移植し、糖尿病の治療効果を評価する動物モデルとしてこのKumaマウスが有用であることが明らかになった。

今後の展開

ヒトiPS細胞から血糖値に応じてインスリンを分泌できる膵臓細胞(iPS-β細胞)を高効率に作り出すことが、世界的に可能になりつつある。今後、これらのiPS-β細胞を再生医療に利用し、長期間の治療効果を発揮できるかどうかを判断するためKumaマウスへの細胞移植実験を進めることにしている。

用語説明

[用語1] Q104del変異導入 : 104番目のアミノ酸のグルタミンを欠失した変異を導入すること。

[用語2] 重度免疫不全モデルマウス : 自然変異マウスと遺伝子改変マウスを交配することで、免疫能力をほぼなくしたマウス。異種の細胞に対する拒絶反応をほとんど起こさないため、人間の造血細胞や免疫細胞を直接導入するヒト化マウスの作出に利用される。

[用語3] 膵臓β細胞 : 膵臓の内分泌機能を担うランゲルハンス島に存在するインスリン分泌細胞のこと。細胞表面にはグルコーストランスポーターを発現し、血糖レベルに応じてグルコースを取り込み、それがシグナルとなってインスリン分泌応答が起きる。

[用語4] ランゲルハンス島 : 膵臓は、消化酵素を分泌する外分泌細胞と血糖値をコントロールするホルモンを分泌する内分泌細胞からなるランゲルハンス島から構成される。ランゲルハンス島は、血糖値を低下させるインスリンを産生分泌するβ細胞、血糖値を上昇させるグルカゴンを産生分泌するα細胞、そしてδ細胞、ε細胞、PP細胞などの内分泌細胞とランゲルハンス島内に栄養を運ぶ血管により構成される。

[用語5] BRJマウス : BALB/cマウスのRag2遺伝子及びJak3遺伝子の両方を欠損させたマウスであり、T細胞、B細胞、NK細胞が完全欠損し、NKT細胞が減少している、重度免疫不全マウス。2011年に掲載論文の著者の一人である熊本大学ヒトレトロウイルス学共同研究センターの岡田誠治教授らによって樹立された。

[用語6] CRISPR / Cas9システム : ウイルスやトランスポゾンが細胞内に侵入した場合、細菌や古細菌で用いられる免疫適応の仕組みを利用したゲノム編集技術の一つ。ゼブラフィッシュ、マウス、ラット、線虫、植物や細菌でゲノム編集が可能。標的となるゲノム上の塩基配列と相補的な配列をもつguide RNA(crRNA:tracrRNA) に従いDNA を切断する酵素であるCas9 タンパク質がゲノム上の任意の配列を切断する。ゲノムの切断後、DNA修復が起こるが、この時に一定確率で塩基置換や欠損が起こる。今回のKuma変異はこれに由来する。また、切断された部位に相同な配列をもつドナーベクターを同時に細胞内に取り込ませることで、狙った領域の配列をドナーベクター上の配列と組み替えることができまる。

[用語7] Insulin2遺伝子 : 膵臓内分泌β細胞で、インスリンタンパク質を産生する2つの遺伝子(Insulin1とInsulin2)のうちの一つ。

論文情報

掲載誌 :
Scientific Reports
論文タイトル :
Insulin2Q104del (Kuma) Mutant Mice Develop Diabetes with Dominant Inheritance
著者 :
Daisuke Sakano, Airi Inoue, Takayuki Enomoto, Mai Imasaka, Seiji Okada, Mutsumi Yokota, Masato Koike, Kimi Araki, Shoen Kume
DOI :

お問い合わせ先

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系

教授 粂昭苑

E-mail : skume@bio.titech.ac.jp
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貴金属を使わないアンモニア合成の画期的技術 細野秀雄栄誉教授がオンラインで記者説明会

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記者に説明する細野栄誉教授
記者に説明する細野栄誉教授

東京工業大学は7月14日、元素戦略研究センター長の細野秀雄栄誉教授による記者説明会をオンラインで行いました。「ニッケルを使った高性能アンモニア合成触媒の開発」がテーマです。細野栄誉教授は、貴金属を使わずに温和な条件でアンモニアを合成する画期的な技術を紹介しました。テレビ会議システムを使った説明会には、11媒体の記者15名が参加し、活発な質疑応答が交わされました。

研究の背景 — アンモニア合成技術の課題解決に向けて

アンモニアは農作物の生育に必要な窒素の供給源として使われています。またアンモニアは分解すると多量の水素を発生することから、燃料電池などのエネルギー源である水素を運ぶ物質(エネルギーキャリア)としても期待されています。
1912年にアンモニアの合成技術ハーバー・ボッシュ法が開発され、農作物の増産、人口の飛躍的な増加が起こりました。しかし、ハーバー・ボッシュ法は高温(400~500℃)、高圧(100~300気圧)で反応させる必要があります。
1970年ごろから温和な条件でアンモニアを合成させる技術の開発が行われてきました。その結果、触媒としてはルテニウムナノ粒子が高い活性を示すことが明らかになっていますが、ルテニウムは貴金属です。
元素戦略研究センターでは、この課題を解決すべく豊富に存在する金属を用いたアンモニア合成技術の開発を続けてきました。

開発のポイント — 窒化ランタンとニッケルの組み合わせを発見

従来のアンモニア合成は、触媒となる金属の表面で窒素と水素を反応させていました。そのため、窒素との吸着力の高いルテニウムが使われてきました。
窒素との吸着性の低いニッケル(Ni)は、ほとんど活性を示さないことがこれまでの常識でした。しかし、窒化ランタン(LaN)上にNiナノ粒子を固定化すると、高いアンモニア合成活性を示すことを発見しました。その活性は、1気圧400℃という温和な条件で一般的なルテニウム触媒の活性よりも高いものでした。

反応のメカニズムを調べてみると、以下のようなことが起きていると考えられました(図1)。

1.
Niナノ粒子により水素が活性化される。
2.
活性化された水素と、LaNの表面に格子状にならんだ窒素原子(N)が反応する。
3.
Nが外に抜けることで空孔(窒素空孔)ができる。
4.
窒素分子(N2)が空孔に入ることで活性化する。
5.
活性化されたN2に水素原子が反応する。
6.
アンモニア(NH3)ができる。

図1. Ni/LaNによるアンモニア合成の反応メカニズム

図1. Ni/LaNによるアンモニア合成の反応メカニズム

今回の研究からは以下の新しいコンセプトを提示することができました。

  • 窒素と水素が別々の場所で活性化し反応する。
  • 窒素分子の活性化には金属は直接関与せず、窒素の空孔がその役割を担っている。
  • 単独では窒素分子を活性化できない金属でも、空孔ができるような組み合わせにより、優れた触媒になりうる。

今後の展望 — グリーンアンモニア合成を目指して

今回の研究により、貴金属を用いなくても温和な条件でアンモニアを合成できると示すことができました。今後は、より優れた触媒の開発を行い、貴金属を使わないグリーンアンモニア合成の実現を目指します。

資料

窒素空孔 : 窒化ランタン(LaN)はLa3+とN3-から形成されており、N3-が部分的に抜けた空きサイトを窒素空孔と呼ぶ。空孔ができると、電荷を補償するために電子が捕捉される。

お問い合わせ先

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光のトポロジカル特異点の生成手法を発見 新しい光制御技術の可能性

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概要

東京工業大学 理学院 物理学系の納富雅也教授は、日本電信電話株式会社と共同で、誘電体周期構造を変形させるという簡単な手法により、光のトポロジカルな特異点を自在に生成・制御できる手法を、世界で初めて理論的に明らかにしました。本成果は、レーザの偏光状態や出射方向の制御に利用可能で、光のトポロジカルな性質を利用した新しい光制御の可能性を示すものと期待されます。
本成果は2020年7月30日(米国時間)に米国科学雑誌「フィジカル・レビュー・レターズ」のオンライン版に公開されました。

なお、本研究の一部は独立行政法人日本学術振興会科学研究費助成金の助成を受けて行われました。

背景

トポロジーとは、物体に開いた穴の数のように、伸長や縮小などの連続変形では変わらない幾何学的な性質を扱う概念です。この性質は構造が持つトポロジカル数と呼ばれる数で規定され、穴の数はその一例です(図1)。この数で決定される性質があれば、形状の連続変形に影響を受けない強固な性質となります。この概念を固体中でバンド構造を組む電子に対して適用し、波数空間における電子の波動関数のトポロジーが様々な新しい物理現象を導くことを示した業績に対して2016年にノーベル物理学賞が与えられ、トポロジカル絶縁体を始めとする新しい物質相や新奇な物理現象が発見されています。最近になり、このトポロジカル物性は固体中の電子だけでなく、フォトニック結晶[用語1]と呼ばれる誘電体周期構造中の光においても発現することが判明し、光のトポロジカルな物性が次々に見つかっています。この分野はトポロジカルフォトニクス[用語2]と呼ばれ世界的に活発に研究されています。

図1. トポロジカル数

図1. トポロジカル数

光のトポロジカルな現象の一つとして、光トポロジカル特異点と呼ばれるものがあります(図1)。これは光の偏光状態[用語3]が決めるトポロジカル数によって発現する状態で、特にトポロジカル数が整数の時にはBound state in the continuum (BIC)と呼ばれる特殊な状態が実現します(図2)。BICとは、本来閉じ込められないエネルギー領域にある波動が空間的に束縛されて閉じ込められる状態のことで、1929年からその存在が予言されていましたが、近年BICがフォトニック結晶中の光トポロジカル特異点として現れることが判っています。光のBICは、普通ならフォトニック結晶の外に光が漏れ出てしまうはずの周波数領域で、結晶の中に閉じ込められたモードとして出現します(図2)。

図2. フォトニック結晶における光のbound state in the continuum (BIC)

図2. フォトニック結晶における光のbound state in the continuum (BIC)

フォトニック結晶において、面に垂直方向に光が出てこられない自明なBIC(垂直方向BIC)が存在することは以前より知られていましたが、最近になり斜め方向に光が出てこられない非自明なBIC(斜め方向BIC)が存在することがわかり、新奇な光閉じ込め方法として注目されています(図2下)。このBICモードに利得を与えるとレーザ発振が可能であり、閉じ込め方向にレーザ光が出射されることが知られています。これまでに、垂直方向の自明なBICを用いたレーザ発振が実現されています。また、斜め方向の非自明なBICでは斜め方向にレーザ発振可能であり、かつ発振する角度を変更可能であると考えられています。さらに、斜め方向のBICは、閉じ込めモードであるにもかかわらず面内に有限な群速度を持つなどの新奇な性質を持っており、広く興味を持たれて活発な研究が行われています。

ところが、これまで発見された非自明な斜め方向BICは、ある構造条件で偶然発現するものしか知られておらず、その生成メカニズムは不明で、計画的に生成できる手法は知られていませんでした。つまり、実際に数値計算を行ってみないと非自明BICが存在するかどうかわからず、またフォトニック結晶の穴の大きさ・厚さ・屈折率などの構造パラメーターをどのように調節すれば非自明 BICが生成できるか明らかにされておらず、非自明なBICを実現する決定論的な手法が存在しませんでした。

研究成果

今回NTTと東工大は、誘電体周期構造(=フォトニック結晶)を変形して対称性を変化するという非常に簡単な方法で、非自明なBICとなる光トポロジカル特異点を必ず生成できる方法を、世界で初めて見出しました。本成果では、誘電体薄膜に丸い穴が三角格子状に周期的に開けられたフォトニック結晶を用いますが、この構造はトポロジカル数が-2の自明なBIC(垂直方向BIC)を持つことが知られています(図3中央)。この構造を図3のように横方向または縦方向に引き延ばすことによって、自明な垂直方向の自明BICが二つに分裂して、トポロジカル数が-1の非自明な斜め方向BICが対で生成されることを理論的に示しました(図3左右)。また、フォトニック結晶の穴の形状を丸から三角形に変形することによって、トポロジカル数が半整数となり円偏光モードとなる別種のトポロジカル特異点を生成することも発見しました(図4)。これらの操作は、元々6回回転対称性[用語4]を持っていた三角格子結晶の対称性を壊すことに相当し、2回回転対称性にすると斜め方向BICが発現し、3回回転対称性にすると円偏光モードが発現します。また、これらトポロジカル特異点をレーザ等の光デバイスに応用した場合の、光出力の方向は変形の度合いによって可変となります(図5)。つまり、構造の対称性の簡単な操作により、様々なトポロジカル特異点を自由に生成、消滅でき、その方向や偏光の特性を制御できることを示しています。

図3. 対称性の操作による垂直方向BICの分裂と斜め方向BICの生成

図3. 対称性の操作による垂直方向BICの分裂と斜め方向BICの生成

図4. フォトニック結晶の構造と光トポロジカル特異点の変化。数字はトポロジカル数。

図4. フォトニック結晶の構造と光トポロジカル特異点の変化。数字はトポロジカル数。

図5. 光トポロジカル特異点を用いた光制御のイメージ図。フォトニック結晶の対称性の操作により、トポロジカルな性質を持つ光ビームを様々な方向に出射可能となる。

図5. 光トポロジカル特異点を用いた光制御のイメージ図。
フォトニック結晶の対称性の操作により、トポロジカルな性質を持つ光ビームを様々な方向に出射可能となる。

従来の手法では、非自明な斜め方向BICは、フォトニック結晶を構成する材料の屈折率に応じて構造パラメーターが特定の領域にある場合のみしか存在せず、フォトニック結晶の構造を調節する必要がありました。それに対し、今回の手法では材料の屈折率や構造パラメーターの値に依らず、6回回転対称性を持つ構造に変形を加えることで必ず非自明なBICが生成可能となるため、幅広い材料に対して自在に光トポロジカル特異点を形成することが可能となります。

原理のポイント

1. トポロジカル数-2の自明な垂直方向BICを持つ構造をベースとして用いる

垂直方向 BICのトポロジカル数はフォトニック結晶の持つ回転対称性によって決まります。多くの場合垂直方向BICのトポロジカル数は±1ですが、6回回転対称性を持つフォトニック結晶ではトポロジカル数が-2の垂直方向BICが存在できることが知られています(図3中央)。本成果ではこのトポロジカル数が-2の垂直方向BICに注目しました。

2. 6回回転対称性を壊す変形を施す

本成果では、1.のトポロジカル数が-2の垂直方向BICに6回回転対称性を壊す変形を加えることにより、非自明なトポロジカル特異点を形成します。従来、自明な垂直方向BICは、非自明な斜め方向BICとは成因が異なるため、垂直方向BICの角度は変更不可能と考えられていました。しかしこれはトポロジカル数が±1の場合のみであり、トポロジカル数が-2の垂直方向BICは、6回回転対称性を壊す変形によってBICの角度が変更可能であることを今回発見しました(図3左右)。これはトポロジカル数が-2の自明なBICが2つのトポロジカル数が-1の非自明なBICに分裂することを意味します。特異点が分裂する際にトポロジカル数の合計は保存することが知られていることから、トポロジカル数が-2のBICを用いることが大事なポイントとなります。自明なBICから非自明なBICを生成できること自体、これまで知られておらず本成果が初めて明らかにしたことです。自明なBICの存在とそのトポロジカル数はフォトニック結晶の対称性のみで決定され、材料の屈折率や構造パラメーターによりません。従ってこの手法を用いることでフォトニック結晶の構造パラメーターに依らず、フォトニック結晶を変形させるだけで必ず非自明なBICを生成することができます。

今後の展開

本手法を用いることで、非自明な斜め方向BICを幅広い材料や構造に対して容易に生成できることになるため、非自明なBICに基づく物理現象探索やデバイス応用に貢献できると考えています。特に、化合物半導体等の光利得を持った材料に対して本手法を適用することによって、図5のように出射方向やトポロジカルな性質に起因する特殊な偏光状態を自在に制御できるレーザなどの発光デバイスが実現できると考えられ、フォトニック結晶のトポロジカルな性質を反映した光出力を自在に制御できる新しい光制御デバイスの可能性も期待できます。

用語説明

[用語1] フォトニック結晶 : 屈折率の空間分布が光の波長と同程度の周期となっている構造を一般にフォトニック結晶と呼ぶ。多くの場合、半導体に数百ナノメートル程度の周期構造を人工的に形成したものである。フォトニック結晶中の光はバンド構造を形成し、固体中の電子と同じくバンド理論で記述される。

[用語2] トポロジカルフォトニクス : フォトニック結晶[用語1]中の光のバンド構造を反映した光のモードのトポロジカルな性質に関する研究を指す。

[用語3] 偏光状態 : 光の電場ベクトルの振動方向を表す。光の電場ベクトルは進行方向と垂直方向を向いており、電場の振動方向が一定である場合直線偏光と呼ばれる。電場の振動方向が円を描く場合は円偏光と呼ばれ、電場の振動方向が楕円を描く場合は楕円偏光と呼ばれる。

[用語4] 回転対称性 : 図形をある点を軸に360/n度回転させたときに元の図形と一致する場合、その図形はn回回転対称性を持つ。

論文情報

掲載誌 :
Physical Review Letters (2020)
論文タイトル :
Generation and Annihilation of Topologically Protected Bound States in the Continuum and Circularly Polarized States by Symmetry Breaking
著者 :
Taiki Yoda and Masaya Notomi
DOI :
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お問い合わせ先

東京工業大学 理学院 物理学系

教授 納富雅也

E-mail : notomi@phys.titech.ac.jp
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取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

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日本電信電話株式会社

先端技術総合研究所 広報担当

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Tel : 046-240-5157

Ka帯衛星通信向け無線ICの開発に成功 安価な集積回路で実現、無線機の小型・低コスト化に貢献

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要点

  • Ka帯衛星通信機能を安価で量産可能なシリコンCMOSチップに集積化
  • 2系統の受信回路を内蔵することで、二偏波MIMOと周波数多重による高速・大容量通信が可能
  • 高速衛星通信向け無線機の小型・低コスト化を実現

概要

東京工業大学 工学院 電気電子系の岡田健一教授と白根篤史助教らの研究グループと、株式会社ソシオネクストの研究グループは、今後見込まれる衛星通信機器の急速な市場拡大に対応できる、Ka帯[用語1]衛星通信無線機用の無線ICを開発することに成功した。

この無線ICでは世界で初めて、安価で量産が可能な標準シリコンCMOS(相補型金属酸化膜半導体)プロセスによってKa帯衛星通信向けトランシーバを集積した。この低雑音かつ高線形性で、低面積のトランシーバを用いることで、従来多くの個別の電子部品で構成されていたKa帯無線機を1チップのCMOS無線ICで実現できた。これはKa帯無線機の大幅な小型・低コスト化につながる成果である。さらに、従来の2倍の2系統の受信機を搭載することで、二偏波MIMO[用語2]および周波数多重[用語3]を可能にし、さらなる高速・大容量化を達成した。

本研究成果は、低軌道・中軌道衛星コンステレーション[用語4]を利用した衛星通信網や、5G[用語5]への導入が検討されている非地上系ネットワークの利活用を加速させるものである。

研究成果の詳細は、8月4日(米国太平洋時間)からオンライン開催される国際会議RFIC 2020「Radio Frequency Integrated Circuits Symposium 2020」で発表される。

背景

近年、これまでの放送衛星や静止軌道衛星に加えて、低軌道・中軌道衛星のコンステレーションを利用した全世界に向けた衛星通信網の構築が本格化してきている。また、5Gの次期仕様であるRelease17では、非地上系ネットワークとして、こうした低軌道から静止軌道までを含めた衛星の利活用の検討が始まっている。さらに、特に地上側で使用される衛星通信用無線機には、全世界をカバーする高速インターネット通信網、IoTや車載通信、災害時の緊急通信といった幅広いサービスへの対応が期待されている。こうした流れから、衛星通信用無線機の高速・大容量化、および低コスト化が強く求められている。

課題

現在、地上で利用されている衛星通信用無線機のなかでも、特に高速・大容量での通信が可能であるKa帯無線機は、その通信機能を実現するため、多くの電子部品を組み合わせて構成されている。そのため、無線機の大型化や、部品点数の増加による消費電力の増加、コストの増加という課題があった。モバイル端末サイズの小型衛星通信用無線機は現時点でも存在するが、そうした無線機は比較的低い周波数帯であるL帯[用語6]を利用しており、狭い周波数帯域幅しか利用できないため、高速・大容量での無線通信の実現が難しい点が問題になっていた。

研究成果

本研究では、Ka帯衛星通信機能をCMOSチップに集積化することで、これまで6~9個のICを用いて実現されてきた通信機能を、1個の無線ICで実現することに成功した。これにより、大幅なサイズの縮小、消費電力の削減、コストの低減を実現することが可能になる。

今回開発した無線ICでは、インダクタの相互結合を利用した低雑音増幅器(LNA)および干渉波を打ち消す回路を提案し、低雑音かつ高線形性で干渉波に強いトランシーバを実現した。さらに、トランシーバの構成としてダイレクトコンバージョン方式を用いた。この方式は、中間周波数を持つ従来のスーパーヘテロダイン方式と比べて中間周波数帯のフィルタ等のコンポーネントを削減できるため、小面積でトランシーバを実現でき、集積化に適している。

さらに本無線ICは、高速・大容量のダウンリンクの通信を実現するために、2系統の受信機を持ち、二偏波MIMOおよび周波数多重に対応している。この受信機では、二偏波MIMOモードと周波数多重モードのいずれかを、内蔵するスイッチで選択できる(図1)。二偏波MIMOモードでは、右旋円偏波および左旋円偏波の2種類の偏波を利用することで、最大で2倍の通信容量を実現可能である。一方、周波数多重モードでは、キャリア周波数の異なる2つの変調信号を同時に受信可能であり、通信に利用する帯域幅を拡大して、通信容量を増大させることができる。

図1. 内蔵する2系統の受信機によって(a)二偏波MIMOおよび(b)周波数多重に対応

図1. 内蔵する2系統の受信機によって(a)二偏波MIMOおよび(b)周波数多重に対応

本無線ICの試作は、65 nmのシリコンCMOSプロセスを用いて行い、送信機1系統と受信機2系統を3 mm×3 mmの小面積に搭載することに成功した(図2)。試作した無線ICの測定を行い、通信特性を評価したところ、送信機は、Ka帯衛星通信のアップリンクの割当周波数である27-31 GHzで動作可能であり、飽和出力電力[用語7]は19 dBmだった。また、シンボルレートを150 Mbaudとした場合、256APSK変調[用語8]を用いることで1.2 Gbpsのデータレートを達成した。一方で受信機は、ダウンリンクの割当周波数である17-21 GHzの周波数範囲で動作可能であり、受信感度を決定する雑音指数は5.0 dB、他の衛星等の干渉波に対する性能指標となる線形性IIP3[用語9]は0.2 dBmを達成した。

図2. 開発した無線ICのチップ写真(CMOS 65 nmプロセス)

図2. 開発した無線ICのチップ写真(CMOS 65 nmプロセス)

今後の展開

今回開発した無線ICは、通信機能をCMOSチップに集積化することで、これまで多くの部品から構成されてきたKa帯衛星通信用無線機の小型・低コスト化を牽引するものである。今後は、基地局を建設するのが困難な地域や海上での高速・大容量通信をはじめ、IoT、車載通信、5Gの次世代仕様における非地上ネットワークでの利用をターゲットとして、この無線ICの実用化を目指していく。

用語説明

[用語1] Ka帯 : 一般には26-40 GHzまでの周波数帯域を示すが、衛星通信においては、衛星通信用に割り当てられているアップリンクの27-31 GHz、ダウンリンクの17-21 GHzの周波数帯を指す。

[用語2] 二偏波MIMO : 右旋円偏波と左旋円偏波の2つの直交した偏波を用いるMIMO(multiple input multiple output)。複数の入出力を利用することで、帯域あたりの伝送速度を向上させることができる。

[用語3] 周波数多重 : 複数のキャリア周波数の変調信号を同時に用いて通信を行う技術。

[用語4] 衛星コンステレーション : 複数の衛星の一群・システム。SpaceX社のStarlinkでは400台以上の衛星群がインターネット網を構成する。

[用語5] 5G : 第5世代移動通信システム。移動通信システムは第1世代のアナログ携帯電話から始まり、性能が向上するごとに世代、つまりジェネレーションが変わる。「G」はジェネレーション(Generation)の頭文字。現在の携帯電話等は4Gが主流であり、5Gは2020年内の本格的な実用化に向けた開発が行われている。

[用語6] L帯 : 一般には0.5-1.5 GHzまでの周波数帯域を示すが、衛星通信においては、衛星通信用に割り当てられている1.2-1.7 GHzの周波数帯を指す。

[用語7] 飽和出力電力 : 増幅器が最大で出力できる電力。

[用語8] 256APSK変調 : 256 Amplitude Phase Shift Keying(256値振幅位相)変調。振幅と位相双方に情報を乗せて伝送する変調方式。1シンボルあたり8 bit 256値の情報を乗せることができる。

[用語9] IIP3 : Third Order Input Intercept Point (3次入力インターセプトポイント)。基本波成分と3次の歪成分の電力が交わるときの入力電力。受信機においては、どのくらい強い干渉波や強い所望信号に対応できるかを示す指標。

発表予定

この成果は8月4日(米国太平洋時間)からバーチャル開催される国際会議RFIC 2020(Radio Frequency Integrated Circuits Symposium 2020)において、「A CMOS Ka-Band SATCOM Transceiver with ACI-Cancellation Enhanced Dual-Channel Low-NF Wide-Dynamic-Range RX and High-Linearity TX (隣接チャネル干渉波キャンセル技術を用いた低雑音かつ広ダイナミックレンジ受信機と高線形送信機を持つKa帯CMOS衛星通信用無線トランシーバ)」の講演タイトルで、現地時間8月4日17時30分から発表される。

講演セッション:
Tu2B: 5G Focus Session on Millimeter-Wave Components and Systems
講演時間:
8月4日17時30分(米国太平洋時間)
講演タイトル:
A CMOS Ka-Band SATCOM Transceiver with ACI-Cancellation Enhanced Dual-Channel Low-NF Wide-Dynamic-Range RX and High-Linearity TX (隣接チャネル干渉波キャンセル技術を用いた低雑音かつ広ダイナミックレンジ受信機と高線形送信機を持つKa帯CMOS衛星通信用無線トランシーバ)
会議Webサイト:
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東京工業大学 工学院 電気電子系

助教 白根篤史

E-mail : shirane@ee.e.titech.ac.jp
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製品に関するお問い合わせouter

複雑な工法を用いず多孔質β-二酸化マンガン微粒子触媒を合成 触媒粒子のナノ空間が化学反応を促進、触媒や電池の電極材料の効率的な生産に貢献

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要点

  • 多孔質β-二酸化マンガンナノ粒子触媒の簡便かつ高効率な合成手法を開発
  • 既存触媒の9倍の表面積をもつβ-二酸化マンガン触媒の生成機構を解明
  • 微粒子触媒のナノ空間がバイオポリマー原料の合成反応などを促進

概要

東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所の鎌田慶吾准教授と原亨和教授らは、多孔質材料を作る際に必要な鋳型分子[用語1]を一切使わず、大きな表面積をもつナノ粒子サイズ[用語2]β-二酸化マンガン(β-MnO2[用語3]からなるメソ多孔体(メソポーラス材料)[用語4]を合成することに成功した。この多孔質ナノ粒子触媒を用い、合成中間体として有用なカルボニル化合物[用語5]や再生可能なバイオマスからプラスチック原料を合成[用語6]した。

従来の水熱法[用語7]により合成したβ-MnO2は表面積が小さいため応用研究への展開が困難であり、新しいナノ粒子合成手法の開発が望まれていた。今回の研究では市販のマンガン原料の反応から得られる前駆体に着目し、大きな表面積と均質なメソ孔をもつβ-MnO2ナノ粒子を簡便かつ効率的に合成することが出来た。本研究で得られたβ- MnO2は、従来の水熱法で合成したものより表面積が大きく比較的分子サイズの大きい有機化合物の選択的反応場となるため、従来の触媒では困難であった有機化合物の合成への応用が期待される。

本技術では、化石資源を使わない化成品の製造やリチウムイオン電池の電極への応用などが期待され、地球温暖化の原因である二酸化炭素の排出低減に直結する効果が期待される。

研究成果は2020年7月31日(日本時間)に米国科学誌「ACS Applied Materials & Interfaces (エーシーエス・アプライドマテリアルズ・アンド・インターフェイシーズ)」オンライン速報版で公開された。

研究成果

鎌田准教授と原教授らはマンガン酸化物の合成条件が構造や表面積に与える影響を詳細に検討し、特殊な鋳型分子を用いずにメソ孔というナノメートル(nm)サイズの空間をもつβ-MnO2ナノ粒子を簡便に合成できることを明らかにした(図1)。この成果は触媒や電極材料として有望であるにも関わらず高表面積化が困難だったβ-MnO2の機能開拓を大きく促進する新しい合成手法として有効である。

図1. β-MnO2微粒子触媒の粒子内のナノ空間における化学反応促進効果の模式図。

図1. β-MnO2微粒子触媒の粒子内のナノ空間における化学反応促進効果の模式図。

具体的には市販のマンガン原料である過マンガン酸イオン(MnO4)とマンガン2価(Mn2+)塩との反応で生成した低結晶性のMn4+層状酸化物前駆体(以下“前駆体”)の熱処理により得られたメソ孔(細孔の直径が2~50 nm)をもつβ-MnO2ナノ粒子が、バイオポリエステルの原料やカルボニル化合物への酸化反応を促進する固体触媒として機能することを発見した(図2)。

図2. テンプレートを一切用いない層状前駆体の熱処理によるメソ細孔ポーラスβ-MnO2ナノ粒子の合成スキームと触媒反応への応用。

図2.
テンプレートを一切用いない層状前駆体の熱処理によるメソ細孔ポーラスβ-MnO2ナノ粒子の合成スキームと触媒反応への応用。

鎌田准教授と原教授は石油などの有限資源や貴金属触媒を一切使わずにバイオマス資源からポリエステルの原料を効率的に合成できるβ-MnO2ナノ粒子触媒を開発し、昨年1月に発表した[参考文献1]。しかし、このナノ粒子触媒の合成過程は不明瞭で、さらに高活性なβ-MnO2触媒の開発には詳細な生成機構の解明が必要だった。そこで合成条件が酸化マンガンの構造に及ぼす効果を検討し、低結晶性の層状構造をもつ前駆体が生成すること、また前駆体生成時のpH(水素イオン指数)がβ-MnO2の形態と細孔構造に大きく影響することを明らかにした。

低pH領域で得られた前駆体からはスリット状の細孔をもつ板状粒子のβ-MnO2(以下“β-MnO2-板状粒子”)が、弱酸性領域で得られた前駆体からはインクボトル形状の細孔をもつ球状粒子のβ-MnO2(以下“β-MnO2-球状粒子”)が得られた。これらメソポーラスβ-MnO2の比表面積は100–122 m2/gとなり、従来の水熱法により合成した細孔をもたないナノサイズのロッド状粒子の集合体(以下“β-MnO2-水熱法”)の表面積(14 m2/g)よりも大きい値だった(図2)。

図3. (上)酸化反応における触媒性能の比較。(下)大きい分子と小さい分子の酸化反応における反応速度の比較。

図3.
(上)酸化反応における触媒性能の比較。(下)大きい分子と小さい分子の酸化反応における反応速度の比較。

これらメソポーラスβ-MnO2(“β-MnO2-板状粒子”、“β-MnO2-球状粒子”)は、5-ヒドロキシメチルフルフラール(HMF)からバイオプラスチックモノマーである2,5-フランジカルボン酸(FDCA)への酸化反応、および芳香族アルコール類から対応するカルボニル化合物への変換反応に対して“β-MnO2-水熱法”よりも優れた固体触媒として機能した(図3(上))。

特に、9 nm程度の狭い細孔分布をもつβ-MnO2-球状粒子を用いた場合、4~10 nm付近に幅広の細孔分布をもつβ-MnO2-板状粒子や細孔のないβ-MnO2-水熱法よりも、大きなアルコール分子の酸化反応を促進することが明らかとなった(図3(下))。このことはβ-MnO2-球状粒子のもつ均質なナノメートルサイズの空間が化学反応を促進する反応場として機能していることを示している。

背景と研究の経緯

ナノメートルサイズで構造制御された材料は、その構造に由来した特異的な機能により様々な分野で注目を集めている。2~50 nmの範囲に細孔径分布をもつメソ多孔体(メソポーラス材料)は大きな細孔をもつため吸着材や触媒への応用展開だけでなく電気的・磁気的・光学的な特性を利用した応用への期待も高まっている。一般的には、鋳型分子を用いたテンプレート法より合成され、優れた機能をもつメソポーラス材料が数多く報告されている。

図4. 一般的なテンプレート法によるメソ多孔体合成スキーム。

図4. 一般的なテンプレート法によるメソ多孔体合成スキーム。

二酸化マンガンは多様な結晶構造や酸化状態をもつため、触媒・エネルギー貯蔵材料・磁性体・センサーなど幅広い用途をもつ重要な機能性酸化物材料である。β-MnO2は様々な結晶構造の中で熱力学的に最も安定であるにも関わらず、他のマンガン酸化物からの変換反応に大きなエネルギーを必要とするため、高い反応温度や長い反応時間を要する水熱合成が用いられ、表面積が小さくなることが知られていた。テンプレート法を用いることで表面積の大きいメソポーラスβ-MnO2材料を合成可能であるが、高価で特殊な試薬の使用やテンプレートの除去などを伴う多段プロセスが必要だった(図4)。

このような研究背景のもと、簡便かつ効率的な高表面積をもつ多孔性β-MnO2ナノ粒子の合成に着手した。これまで注目されていなかった前駆体が低結晶性の層状構造であること、前駆体合成時のpHと層間金属量が“結晶構造・粒子の形態・細孔構造”を決定する重要な因子であることを実験的に明らかにした。テンプレートを用いることなく大きな表面積をもつメソポーラスβ-MnO2ナノ粒子を合成し固体触媒として利用した例はこれまでになく、今回の研究が初めての報告例となる。

今後の展開

今回開発したメソポーラスβ-MnO2ナノ粒子触媒は、バイオポリエステルのモノマー合成反応だけでなく、その特異的なナノ空間が比較的大きな分子の触媒反応に有効である。そのため、高付加価値な化成品(ファインケミカルズ)の合成反応やワンポット合成反応[用語8] [参考文献2]といった液相での触媒反応や、その高い酸化力を生かした有害物質の完全酸化除去といった気相での触媒反応など、幅広い化学反応へ適用できる可能性が高い。さらに、MnO2はスーパーキャパシタやリチウムイオン電池の電極材料[参考文献3]としても多くの研究がなされており、触媒以外の広範な応用用途展開も期待される。

今回の研究結果はMnO2のようなありふれた金属酸化物であってもその生成機構の本質を追求することで、機能を大きく向上させることができることを示している。今後、層状構造前駆体の層間金属カチオンを制御し様々なチャネル構造をもつマンガン酸化物合成にも応用することで、触媒機能の向上や様々な反応への展開だけでなく、構造特異的な高効率触媒反応開発に大きく貢献することが期待される。

用語説明

[用語1] 鋳型分子 : 多孔性の固体材料を液相で調製する手法(テンプレート法)で鋳型として規則的な微細構造を作り出すために用いられる、界面活性剤(ソフトテンプレート)あるいは微粒子やゼオライト(ハードテンプレート)などのこと。テンプレートとも呼ばれる。鋳型として使用した後に、熱処理や試薬による処理で取り除く必要がある。

[用語2] ナノ粒子サイズ : ナノメートル(nm)は100万分の1ミリメートル(mm)の大きさを有する粒子サイズ

[用語3] β-二酸化マンガン : 様々な結晶構造をもつMnO2の中の一種で、一次元の(1×1)のチャネル構造をもつ。優れた酸化力をもつため、酸化触媒として有用である。[参考文献1、2]結晶性MnO2はMnO6八面体ユニットが頂点共有あるいは稜共有することで、様々なトンネル構造や層状構造を形成する。

[用語4] メソ多孔体 : 2~50 nm(メソ孔)の範囲に細孔径分布をもつ多孔性材料のことであり、メソポーラス材料とも呼ばれる。既存のミクロ多孔体では困難とされる比較的分子サイズの大きい有機化合物の選択的反応場として期待されている。

[用語5] カルボニル化合物 : −C(=O)−で表される官能基をもつ有機化合物。カルボニル炭素が求核剤の攻撃を受けて付加反応を起こすため、様々な化合物合成の中間体として有用である。

[用語6] バイオマスからプラスチック原料を合成 : ここでは、ポリエチレンテレフタレート(PET)から代替えが期待されているポリエチレンフラノエート(PEF)の原料である2,5-フランジカルボン酸(FDCA)を再生可能なバイオマス由来の5-ヒドロキシメチルフルフラール(HMF)から合成する反応のことをいう(下図)。[参考文献1]

バイオマスからプラスチック原料を合成

[用語7] 水熱法 : 高温高圧の熱水中で化合物を合成あるいは結晶成長する手法。

[用語8] ワンポット合成反応 : 複数の反応物を同一の反応容器内で反応させ、一挙に生成物を得る合成手法。多段階合成プロセスで行う中間体生成物の単離・精製などを必要せず、消費エネルギーや試薬を最小限にとどめることができる。

参考文献

[参考文献1] 貴金属触媒を使わずバイオマスからプラスチック原料を合成(東京工業大学プレスリリース:2019年1月8日付け)

[参考文献2] E. Hayashi, Y. Yamaguchi, Y. Kita, K. Kamata, M. Hara, "One-pot Aerobic Oxidative Sulfonamidation of Aromatic Thiols with Ammonia by a Dual-functional Beta-MnO2 Nanocatalyst", Chem. Commun. 2020, 56, 2095–2098.
DOI: 10.1039/c9cc09411c outer

[参考文献3] Y. Ren, A. R. Armstrong, F. Jiao, P. G. Bruce, "Influence of size on the rate of mesoporous electrodes for lithium batteries", J. Am. Chem. Soc. 2010, 132, 996–1004.
DOI: 10.1021/ja905488x outer

謝辞

本成果は、JACI(新化学技術推進協会)の第7回新化学技術研究奨励賞とJSPS(日本学術振興会)の基盤研究Bの研究支援によって得られた。

  • 研究開発課題名:
    「マンガン酸化物触媒の構造制御に基づく高効率な酸化的バイオモノマー合成反応系の構築」
  • 研究代表者:
    東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所
    准教授 鎌田慶吾
  • 研究開発実施場所:
    東京工業大学
  • 研究開発課題名:
    「金属とオキソアニオンの共同作用を利用した高効率触媒反応系の開発」
  • 研究代表者:
    東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所
    准教授 鎌田慶吾
  • 研究開発実施場所:
    東京工業大学
  • 研究開発期間:
    2018年4月~2021年3月

論文情報

掲載誌 :
ACS Applied Materials & Interfaces
論文タイトル :
Template-free Synthesis of Mesoporous β-MnO2 Nanoparticles: Structure, Formation Mechanism, and Catalytic Properties
著者 :
Yui Yamaguchi, Ryusei Aono, Eri Hayashi, Keigo Kamata, Michikazu Hara
DOI :

お問い合わせ先

東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所

准教授 鎌田慶吾

E-mail : kamata.k.ac@m.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5338 / Fax : 045-924-5338

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661


300 GHz帯無線トランシーバの省電力化に成功 5Gの先を見据えた超高速無線通信を小型・低コストICで実現

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要点

  • 従来の4分の1以下の消費電力で次世代300 GHz帯無線トランシーバを実現
  • 新たに考案したミキサ回路により低コスト化・省面積化・省電力化を達成
  • スマートフォン等のモバイル機器に搭載可能

概要

東京工業大学 工学院 電気電子系の岡田健一教授らと日本電信電話株式会社の研究グループは、5G[用語1]で用いられる28GHz帯の10倍高い周波数である300 GHz帯[用語2]を用いる超高速無線通信トランシーバの開発に成功した。

この無線トランシーバは、34 Gbps(ギガビット/秒)の高速な無線通信を、送信・受信合わせて、わずか410 mWの低消費電力で実現できる。新たに考案した高利得なミキサ回路[用語3]を採用することで、安価で量産が可能なシリコンCMOSプロセス[用語4]による製造を可能とした。

低コスト化・省面積化・省電力化が達成できたことにより、スマートフォン等のモバイル端末への搭載が可能となった。5Gの次の世代の無線通信システムの実用化を加速させる成果である。

研究成果の詳細は、8月4日(米国太平洋時間)からオンライン開催される国際会議IMS 2020「International Microwave Symposium 2020」で発表する。

背景

2020年3月に国内で5Gのサービスが開始された。その一方で、早くも5Gの次の世代の無線通信に関する研究が活発に行われている。より高速・大容量な無線通信を実現するために、5Gにおけるミリ波帯よりもさらに10倍以上高い周波数帯である300 GHz帯の利用が期待されている。

5Gでは一般に28GHz帯の周波数を用いることで最大10 Gbpsの通信速度を実現可能である。そこからさらに周波数を上げ300 GHz帯を用いることにより、利用できる通信帯域幅を増やし、最大で300 Gbpsを超えるような無線通信も夢ではなくなってきた。300 GHz帯無線機の早期実用化に向け、小型・低コスト化、そして将来モバイル端末にも搭載できるような省電力化技術が強く求められている。

課題

コスト面で優位なシリコンCMOSプロセスを用いた300 GHz帯無線機は、これまでにも発表されてきたが、消費電力および回路面積の削減が難しいという問題があった。これは、300 GHz帯ではシリコンCMOS上で増幅器を実現することが困難で、この制約のもと無線機の出力電力を向上させるには、小さな出力電力の回路を複数用いて、その出力を足し合わせる必要があるためである。

その結果、無線IC上に搭載されるトランシーバの数が増大し、消費電力および面積の増大を招いていた。一方で、より高周波特性の優れたインジウムリン(InP)などの化合物半導体を用いることで、300 GHz帯の増幅器を実現することも可能であるが、集積化において課題が残る。

研究成果

本研究では、新たに高利得なミキサ回路を考案することで、シリコンCMOSプロセスにおいても、省面積かつ低消費電力で動作する無線トランシーバの開発に成功した。今回開発した無線トランシーバの全体構成を示す(図1、2)。送信機、受信機ともに新たに開発したミキサ回路を用いることで、アンテナとミキサの間に増幅器を搭載することなく、無線通信に必要な高い信号対雑音比(SNR=signal-noise ratio)を実現できる。

図1. 開発した300 GHz帯無線トランシーバの全体構成

図1. 開発した300 GHz帯無線トランシーバの全体構成

図2. 開発した300 GHz帯無線機IC(プリント基板上に実装)

図2. 開発した300 GHz帯無線機IC(プリント基板上に実装)

従来のミキサでは、中間周波数帯の変調信号と周波数変換に用いるローカル信号を同じ端子から入力しているため、トランジスタの電圧電流変換の非線形性を利用する方式で周波数変換を行っており、ミキサ回路の利得(電気回路における入力と出力の比)の向上が困難だった。また両方の信号に対してインピーダンス整合[用語5]をとる必要があるために中間周波数とローカル信号周波数を同じ周波数帯にする必要があり、変調波信号とローカル信号双方に対して100 GHzを超える増幅器が必要だった。

増幅器の消費電力は周波数に応じて増大するため、このことが、従来の無線トランシーバの大きな消費電力の一因となっていた。今回、新たに変調信号とローカル信号[用語6]を異なる端子から入力するようなミキサ回路構成を考案した。このような構成により、トランジスタのスイッチングを利用する方式で周波数変換が可能になり、従来よりもミキサ回路の利得を約2倍向上させることに成功した。また本方式では、中間周波数[用語7]は100 GHz以下に設定することができるため、消費電力を大幅に削減することが可能となる。

開発した300 GHz帯無線トランシーバをシリコンCMOS 65nmプロセスを用いて試作を行い(図3)、300 GHz帯における無線通信特性の測定評価を通して提案技術の有効性を確認した。トランシーバは、IEEE802.15.3d[用語8]の無線規格において規定されるスペクトルマスクを278GHzから304GHzの周波数において満たしており、QPSK[用語9]から16QAM[用語10]の変調方式に対応可能である。

図3. 試作した無線トランシーバICの写真

図3. 試作した無線トランシーバICの写真

最大の通信速度は34 Gbpsであり、そのときの消費電力は、送信機・受信機合わせて410 mWとなり、シリコンCMOSの300 GHz帯トランシーバの先行研究に対して4分の1以下の省電力化を達成した。また複数のトランシーバを用いた電力合成を必要とせず、1系統のトランシーバのみで構成できるため、チップ面積はトランシーバ全体で3.8 mm2と省面積で実現できた。

今後の展開

今回開発した300 GHz帯無線トランシーバは、シリコンCMOSプロセスを用い、省電力化および省面積化を実現した。省電力化は無線機の小型化、さらにはモバイル端末への搭載を可能にし、CMOSプロセスによる省面積な無線ICは、無線機の低コスト化につながる。本研究成果を基に、さらなる高速化を図り、次世代の100 Gbpsを超える超高速・大容量な300 GHz帯無線通信の実用化を目指して開発を進めていく。

用語説明

[用語1] 5G : 2019年に展開を開始した、国際的な移動通信ネットワークの第5世代技術標準。現在ほとんどの携帯電話に用いられている第4世代移動通信システム(4G)ネットワークの後継の規格である。5Gネットワークの主な利点の一つは、より大きな帯域幅を持つことであり、さらなる高速化によって、最終的には10 Gbps(ギガビット/秒)以上の通信速度を目標としている。既にサービスを開始している5Gの移動通信のほとんどは従来技術の延長であり、4G携帯電話と同じかわずかに高い、6 GHz程度までの限られた帯域の周波数範囲を使用している。一方で、高度な技術が必要とされる、ミリ波を利用した5Gシステムも活発に研究されており、新たなテクノロジーの突破口となることが期待されている。

[用語2] 300 GHz帯 : 現在5Gに割り当てられている28 GHzの周波数帯の10倍以上高い周波数帯で、最大で約70 GHzの帯域幅を利用することができるため、超高速無線通信の実現が期待されている。

[用語3] ミキサ回路 : 無線トランシーバにおいて、送信するために所望の周波数帯まで周波数を上げたり、受信のために中間周波数帯まで周波数を下げたりする回路。

[用語4] シリコンCMOSプロセス : CMOSプロセスはN型とP型のMOSFET(金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ)を相補的に用いた集積回路であり、バイポーラプロセスと比較し消費電力の削減と高い集積率を実現したプロセスである。近年の集積回路はほぼCMOSプロセスとなっている。

[用語5] インピーダンス整合 : 最大の電力を負荷に伝送するために、入力と出力のインピーダンスを合わせること。

[用語6] 変調信号とローカル信号 : 変調信号とは、無線通信される情報をもつ信号で情報量に応じた帯域幅を持つ。一方で、ローカル信号は単一の周波数成分しか持たず、変調信号を無線通信が行われる所望の周波数帯に変換するために用いる。

[用語7] 中間周波数 : 無線通信が行われる所望の周波数帯よりも低い周波数。この中間周波数において変調信号を作成することがある。

[用語8] IEEE802.15.3d : IEEE(米国電子電気学会)において標準化された300 GHz帯の無線規格。

[用語9] QPSK : Quadrature Phase Shift Keyingの略。搬送波の4つの位相を用いる変調方式。

[用語10] 16QAM : 16 Quadrature Amplitude Modulationの略。搬送波の振幅および位相変化の16値を用いる変調方式。

発表予定

この成果は8月4日からオンライン開催される国際会議IMS 2020(International Microwave Symposium 2020)において、「A 300GHz Wireless Transceiver in 65nm CMOS for IEEE802.15.3d Using Push-Push Subharmonic Mixer (IEEE802.15.3d向け65nm CMOSプロセスによるプッシュプッシュサブハーモニックミキサを用いた300GHz帯無線トランシーバ)」の講演タイトルで、現地時間8月5日午前11時00分から発表される。

講演セッション :
We2C: Millimeter-Wave and Terahertz Transmitter and Receiver Systems
講演時間 :
現地時間8月5日午前11時00分より視聴可能
講演タイトル :
A 300GHz Wireless Transceiver in 65nm CMOS for IEEE802.15.3d Using Push-Push Subharmonic Mixer (IEEE802.15.3d向け65nm CMOSプロセスによるプッシュプッシュサブハーモニックミキサを用いた300GHz帯無線トランシーバ)
会議Webサイト :
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お問い合わせ先

東京工業大学 工学院 電気電子系

教授 岡田健一

E-mail : okada@ee.e.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3764 / Fax : 03-5734-3764

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

日本電信電話株式会社

先端技術総合研究所 広報担当

E-mail : science_coretech-pr-ml@hco.ntt.co.jp
Tel : 046-240-5157

大気中の硫化カルボニルのミッシングソースの特定と全球収支の解明 人為活動由来の気候変動や光合成量の高精度推定に期待

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要点

  • 硫化カルボニルの硫黄安定同位体比の大気観測により、人為起源と海洋起源を分離して評価することに成功
  • 観測に基づく硫化カルボニルの全球収支解析から、人為活動がミッシングソース(不明な生成源)の約半分を占める重要な生成源であることを発見
  • 硫化カルボニルの収支推定の高精度化により、気候変動予測や光合成量推定の向上を期待

概要

東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の服部祥平助教らは、大気中の硫黄化合物として重要な硫化カルボニル(OCS)の硫黄安定同位体比の分析に成功し、そのミッシングソース(不明な生成源)に対する人為活動の寄与が、これまで見積もられている以上に大きいことを明らかにしました。

大気中の硫化カルボニルは、成層圏硫酸エアロゾルの主たる硫黄供給源として地球の放射収支に負の影響を有しています。また、地球規模の光合成速度を求めるための主要な指標としても注目されています。しかし、ミッシングソースが存在するという不確実性が、気候変動を理解・予測する上で足かせとなっていました。

本研究では、硫化カルボニルの生成起源によって異なる硫黄安定同位体組成(34S/32S比)[用語1]に注目し、日本国内3地点で観測を実施しました。その結果、南の観測地点での34S/32S比の減少を発見し、中国からの人為的な放出が硫化カルボニルの重要な生成起源の一つであることを明らかにしました。また、34S/32S比を新しい制約とした硫化カルボニルの収支計算から、人為活動による放出がこれまで考えられてきた以上に重要であり、ミッシングソースの大きな割合を占めていることを発見しました。

今回の研究成果は、地球の放射収支に影響を与える成層圏硫酸エアロゾルに対する人為活動の影響が、これまで考えられてきた以上に大きいことを示唆しています。また、植物による光合成量(一次生産量)を見積もる上で、過去から現在にかけての人為活動の増減による硫化カルボニル動態の知見は重要であることから、今後の研究の展開が期待されます。

本研究成果は物質理工学院の服部祥平助教、亀崎和輝大学院生・東工大特別研究員(現 上智大学 JSPS特別研究員PD)、地球生命研究所の吉田尚弘特任教授らによるもので、2020年8月5日(米国東部時間)に「米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)」に掲載されました。

背景

気候変動は人類が直面している喫緊の課題です。気候変動を予測するためには、地球の放射収支の高精度な見積もりが不可欠ですが、この放射収支に不確実な要素があることが指摘されています。その中で特に重要なものは、エアロゾルによる負の放射強制力や、二酸化炭素(CO2)濃度に作用する生物圏の炭素収支で、これらを定量することは最重要課題であるとされています[IPCC, 2013]。

硫化カルボニルは、対流圏で最も豊富に存在する大気硫黄化合物(約500 ppt[用語2])です。また対流圏で安定であるため、成層圏に輸送され、成層圏硫酸エアロゾルの主たる硫黄供給源として地球の負の放射強制力に寄与しています[Crutzen, 1976 GRL]。成層圏硫酸エアロゾルは、特に近年になって増加していることが知られており[Kremser et al., 2015 JGR-A]、硫化カルボニル濃度の増加との関連が指摘されています。また硫化カルボニルは、光合成においてCO2と同時に吸収されるため、植物が吸収するCO2量(=一次生産量)を間接的に推定できる指標として提案されています[Campbell et al., 2008 Science]。以上から、硫化カルボニルの生物地球化学的循環の理解は、地球の放射収支や大気―生物圏の物質交換に関連する重要な研究テーマだといえます。

硫化カルボニルの対流圏における起源(ソース)としては、海洋生物からの放出、山火事などのバイオマス燃焼、そして人為活動からの放出が知られています(図1)。しかし、2002年に硫化カルボニル生成源の約60%の起源が不明である、つまりミッシングソースが存在することが明らかとなりました。人工衛星による全球硫化カルボニル濃度分布の観測から、高硫化カルボニル濃度の主要域はインド洋および太平洋赤道域に集中していることが知られていましたが、その起源についてはこれまで不明でした。

図1. 硫化カルボニル(OCS)の起源・消失源

図1. 硫化カルボニル(OCS)の起源・消失源

研究の経緯

本研究チームは、硫化カルボニルのミッシングソース問題を解決し、その全球収支を解明するため、人為起源と海洋起源の硫化カルボニルを区別できる硫黄安定同位体組成(δ34S値)に着目しました。硫化カルボニルのδ34S値は、人為起源では低く(約3‰)、海洋起源では高い(約19‰)ため、δ34S値の観測から人為・海洋起源の寄与率を評価できます。

本グループは2015年に世界に先駆けて、硫化カルボニルの硫黄安定同位体比分析手法を開発しました(参考文献1)。さらにこの手法を、大気中に500 pptという超微量しか存在しない硫化カルボニル試料に適用するために、約200~500リットルの大気から硫化カルボニルを濃縮捕集する装置を開発しました(参考文献2)。本研究では、この分析手法を日本国内の3箇所(宮古島・横浜・小樽)に適用し、2019年の冬期と夏期および2020年の冬期に大気観測を実施しました(図2)。

図2. 研究対象地点とその写真

図2. 研究対象地点とその写真

研究成果1 東アジア域における人為起源の硫化カルボニルの重要性を発見

各研究地点に到達する大気塊には傾向があり、冬期には西側から(図3左)、夏期には南東側から大気が到達すると推定されます。硫化カルボニル濃度とδ34S値は、冬期には北から南にかけての勾配が見られ、宮古島の硫化カルボニル濃度は高く、δ34S値は低いことが明らかになりました(図3右)。宮古島には目立った硫化カルボニル発生源がないことや、大気塊の起源が中国の人為活動が活発な地帯を通過していることから、δ34S値の低い硫化カルボニルが中国から日本に到達していると考えることができます。

研究グループは、キーリングプロット[用語3]という、硫化カルボニルの起源特定に有効な解析手法を試みました。この解析によると、冬期の南北の硫化カルボニル濃度とδ34S値はキーリングプロットでは直線上になります(図3)。このことから、硫化カルボニルの起源はバックグラウンドと人為起源の2成分の混合で説明可能であることが明らかになりました。つまり冬期の南北の勾配は、中国に由来すると考えられる人為起源の硫化カルボニルの寄与によって説明できます。

また、小樽のδ34S値(冬期、図3右 青)や、イスラエルとカナリヤ諸島のδ34S値[Angert et al. 2019 Sci. Rep.]などから、北半球のバックグラウンドδ34S値を12.0~13.5‰程度(図3右 黄色部分)と見積もりました。

図3. 各研究地点における大気塊の起源と、キーリングプロットによる硫化カルボニル(OCS)起源推定

図3. 各研究地点における大気塊の起源と、キーリングプロットによる硫化カルボニル(OCS)起源推定

研究成果2 硫黄安定同位体比で制約した硫化カルボニルの全球収支解析

研究グループは、観測されたδ34S値のバックグランド値を新しい制約として、硫化カルボニル全球収支のマスバランス計算を試みました。この計算では、ミッシングソースが海洋起源という従来の説に基づくと、観測されたバックグラウンドδ34S値と矛盾してしまうことが明らかになりました。一方、ミッシングソースの最大40%が人為起源の硫化カルボニルが占めると仮定すると、観測されたδ34S値と一致することがわかりました。

この結果から、硫化カルボニルのミッシングソースにおいて、人為起源の硫化カルボニルの放出が、これまで考えられていた以上に重要であることが示唆されます(図4)。同時に、こうした人為起源の硫化カルボニルは、地球の放射収支に負の影響を与える成層圏硫酸エアロゾルにも大きく寄与していると予想されます。近年、成層圏硫酸エアロゾルの増加が知られていることから、今後は、人為起源の硫化カルボニル放出が地球の放射収支に与える将来的な影響を予測することが必要になります。

図4. 本研究を用いた硫化カルボニル(OCS)収支解析と本研究のまとめ。

図4. 本研究を用いた硫化カルボニル(OCS)収支解析と本研究のまとめ。

2002年にOCSのミッシングソースが提唱され[Kettle et al. 2002 JGR]、2016年にそれが海洋起源であると主張されていました[Berry et al. 2013 JGR]。しかし、本研究グループが観測した硫黄安定同位体比で制約すると、人為活動起源がOCSミッシングソースの約4割を占めていることが明らかとなりました。

まとめと今後の展開

本研究によって、人為起源と海洋起源の硫化カルボニル放出を区別して評価する手法が確立されました。今後、さらに広域な観測や、起源や消失過程におけるδ34S値の変化の特徴づけにより、より高精度な硫化カルボニル収支推定が可能だと考えられます。硫化カルボニルは、生物圏が有する一次生産量を推定する指標として、その動態の理解が求められている物質です。今後は、本手法によって硫化カルボニルの収支見積もりが高精度化されることで、全球レベルの一次生産量の評価や将来予測の向上が可能となると期待できます。

硫化カルボニルの大気観測に関しては、その重要性から、国際的研究コミュニティー(COSANOVAouter)が組織されているだけでなく、欧州の研究グループが硫黄安定同位体比分析に着手し、本研究グループを追随しています。このような中で本グループは、世界に先駆けて東アジア独自の観測を行い、その結果に基づいた硫化カルボニル全球収支を発表することができました。今後もこの分野をリードできるように研究を展開する予定です。

図3. 各研究地点における大気塊の起源と、キーリングプロットによる硫化カルボニル(OCS)起源推定

イメージイラスト “硫黄同位体比にて区別の図”

このイラストは、浮世絵を用いて大気中の硫化カルボニル(OCS)の挙動を、海洋と人為活動を対比させる形で表現したものです。そしてその浮世絵が破れた向こう側に、本研究の究極のゴールであるOCS動態から植物の光合成量(CO2の吸収量)を推定する手法を見据えています。この研究では、日本独自の硫化カルボニルの硫黄安定同位体比分析技術を用いて、ミッシングソースが海洋由来であるか人為活動由来であるかを評価しようと試みました。その結果、人為由来のOCS放出がこれまでの見積もりより重要であることを発見しました。この知見は、地球全体でのCO2収支の正確な理解/予測に貢献する知見です。
画像クレジット:高宮ミンディouter

用語説明

[用語1] 硫黄安定同位体組成 : 質量数の異なる原子で、放射壊変せず安定に存在するものを安定同位体といい、安定同位体組成はその比率のことを指す。硫黄は質量数32、33、34および36の4種類が存在するため、硫黄安定同位体組成はマイナーな同位体である32S、33S、36Sの32Sに対する比率を指す。特に、34S/32Sの比率を定式化した値をδ34S値という。

[用語2] 500 ppt : ppt(パーツ・パー・トリリオン)は、1兆分のいくらであるかという割合を示すparts-per表記による単位。「parts per trillion」の頭文字をとったもの。硫化カルボニルは大気濃度が約500 pptであるため、大気中の分子が1兆個ある中で500個の硫化カルボニル分子が存在していることになる。

[用語3] キーリングプロット : あるバックグラウンドにソースが付け加わった場合を仮定し、濃度が極限まで増大したときのソースの同位体比を推定する手法。

参考文献

[1] Hattori, S., Toyoda, A., Toyoda, S., Ishino S., Ueno, Y., Yoshida, N.: Determination of the Sulfur Isotope Ratio in Carbonyl Sulfide Using Gas Chromatography/Isotope Ratio Mass Spectrometry on Fragment Ions 32S+, 33S+, and 34S+, Anal. Chem., 2015, 87, 477−484.

[2] Kamezaki, K., Hattori, S., Bahlmann, E., and Yoshida, N.: Large-volume air sample system for measuring 34S/32S isotope ratio of carbonyl sulfide, Atmos. Meas. Tech., 2019, 12, 1141-1154.

謝辞

JSPS(日本学術振興会)

科学研究費助成制度

  • 研究費名:基盤研究B(20H01975)2020~2022年度
    研究課題名:硫黄同位体組成に基づく硫化カルボニルミッシングソースの特定と全球収支解明(代表 セバスティアン ダニエラチェ(上智大学))
    研究者名(所属機関名):服部祥平(東京工業大学 物質理工学院)
  • 研究費名:特別研究員奨励費(17J08979)2017~2018年度
    研究課題名:硫化カルボニルの安定同位体情報を新指標とした一次生産量評価の高精度化
    研究者名(所属機関名):亀崎和輝(東京工業大学 物質理工学院)
  • 研究費名:基盤研究S(17H06105)2017~2022年度
    研究課題名:アイソトポログによる地球表層環境診断
    研究者名(所属機関名):吉田尚弘(東京工業大学 地球生命研究所)、服部祥平 (東京工業大学 物質理工学院)

論文情報

掲載誌 :
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
論文タイトル :
Constraining the atmospheric OCS budget from sulfur isotopes
著者 :
服部祥平(東京工業大学 物質理工学院応用化学系 助教)
亀崎和輝(東京工業大学 物質理工学院(研究当時))
吉田尚弘(東京工業大学 物質理工学院 教授(研究当時)、地球生命研究所 特任教授)
DOI :
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お問い合わせ先

東京工業大学 物質理工学院 応用化学系

助教 服部祥平

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Tel : 045-924-5416 もしくは 045-924-5506
Fax : 045-924-5413

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Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

上智学院 広報グループ

E-mail : sophiapr-co@sophia.ac.jp

2020年度「東工大挑戦的研究賞」10名を表彰 うち3名には末松特別賞

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東京工業大学は7月6日、第19回となる2020年度挑戦的研究賞の受賞者10名を発表しました。うち3名は、末松特別賞にも選ばれました。
授賞式は8月4日、オンラインのビデオ会議システムで行われました。

挑戦的研究賞は、本学の若手教員の挑戦的研究の奨励を目的として、世界最先端の研究推進、未踏の分野の開拓、萌芽的研究の革新的展開または解決が困難とされている重要課題の追求等に果敢に挑戦している独創性豊かな新進気鋭の研究者を表彰します。受賞者には、支援研究費を贈ります。40歳未満の准教授、講師又は助教が対象です。これまで本賞を受賞した研究者からは、多くの文部科学大臣表彰受賞者が生まれています。

挑戦的研究賞受賞者のうち特別に優れている研究者には「学長特別賞」を贈っていましたが、2019年度から「末松特別賞」を贈っています。
「末松特別賞」は、元学長の末松安晴栄誉教授による若手研究者支援への思いを継承し設けられた「末松基金」による顕彰です。「末松基金」は、末松栄誉教授が2014年、日本国際賞を受賞した際、賞金の一部を東工大に寄附し、東工大が若手の研究活動を奨励するため設立しました。多様な分野で、未開拓な科学・技術システムの発展を予知・研究し、隠れた未来を現実の社会に引き寄せる研究活動を奨励するため、若手研究者を中心に支援しています。

2020年度 東工大挑戦的研究賞 受賞者

受賞者
所属
主担当系または担当研究所
職名
研究課題名( * は末松特別賞受賞者)
助教
革新的飛跡検出による高エネルギー物理階層を拓く新粒子探索
准教授
分子ジッパー触媒によるラダーポリマーの合成
准教授
* 環状構造を持つ超分子メカノフォアの開発
准教授
* 深層Plug-and-Play法-写像理論的解析と逆問題応用-
講師
圏論化・リー理論・計算機を用いた対称群の表現論の研究
准教授
多種多様なビッグデータを用いた深層学習による詳細な建物属性推定に関する研究
准教授
映画分析をテーマとした学術的英作文教育の研究
准教授
* 物質中の点欠陥に関する統合的理解とその予測
助教
アンチオーミック挙動を示す有機金属単分子ワイヤー開発への挑戦
助教
新規ハライド系発光層と酸化物半導体の輸送層を用いた高効率青色ELの開発

(敬称略)

末松特別賞受賞者のコメント

相良剛光 物質理工学院 材料系 准教授

相良准教授

一分子レベルで微細な力を検出・可視化できる「メカノフォア」と呼ばれる分子骨格が、近年盛んに研究されています。我々の研究グループでは、弱い分子間相互作用を巧みに利用した、共有結合の切断を伴わない「超分子メカノフォア」を開発しています。超分子メカノフォアは、良好な可逆性を持ち、極めて微小なpNオーダーの力も検知できるなど、様々な長所があります。

我々はこれまでの研究の中で、インターロック分子であるロタキサンの持つ特殊な構造に着目した「ロタキサン型超分子メカノフォア」を開発しました。しかしこの超分子メカノフォアは、合成が少し煩雑であるという欠点がありました。受賞対象となった研究では、ロタキサンより単純な分子構造を持つメカノフォアを開発することを目指しています。

本研究は、これまでに所属してきた研究室のスタッフの皆様、多くの共同研究者と共に成し遂げてきた研究結果が礎となり、現在進行しているものです。この場を借りて関係者の方々に厚く御礼申し上げます。

小野峻佑 情報理工学院 情報工学系 准教授

小野峻佑准教授

この度は、栄誉ある東工大挑戦的研究賞および末松特別賞まで頂き大変光栄に存じます。日頃から自分の研究生活を支えてくださっている共同研究者の方々や学生の皆さんのお陰であると実感しております。

本受賞に繋がった研究テーマは、深層ニューラルネットワークと数理最適化アルゴリズムの融合において生じる理論的未解決課題に挑戦するものです。今後、深層学習のような高度なブラックボックス技術を、信頼性・説明性を担保しながら様々な科学・産業分野へ応用していく上で、非常に重要な研究の方向性であると考えています。

本受賞を励みに、情報科学・工学の発展に微力ながらも貢献できるよう今後も研究活動に邁進していく所存です。

熊谷悠 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所 准教授

熊谷准教授

多くの先進材料において、内部に存在する点欠陥が、良い面・悪い面の双方で材料特性発現の起源となります。そこで、点欠陥の形成エネルギーと局所電子構造を正しく理解することが、優れた次世代材料創成における鍵となります。しかしながら、実際に行える実験の数と種類には限りがあるために、点欠陥の特性を実験結果のみから理解することは極めて困難です。そこで最近では、固体の電子構造を量子力学の基本方程式に基づき数値計算する方法により、点欠陥の性質を高精度に予測する研究が行われるようになりました。

私の研究では、この数値計算に基づく手法を、数千物質中の点欠陥に適用することで、点欠陥に関する広い視野での統合的な知見を得ることを目的としています。このような材料科学における普遍的な知見は、半導体材料、触媒材料、イオン伝導体など、材料研究において幅広い波及効果をもたらすと思われます。

最後に、この度、栄誉ある賞を賜りまして大変光栄に感じております。大場先生をはじめとした共同研究者の方々に厚く御礼申し上げますとともに、本学の多大なご支援に深く感謝いたします。

東工大基金

このイベントは東工大基金によりサポートされています。

東工大への寄附 > 東京工業大学基金

お問い合わせ先

研究推進部 研究企画課 研究企画第1グループ

E-mail : kenkik.kik1@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-7688

8月7日14:45 一部、受賞者の所属に誤りがありましたので訂正しました。

藤枝俊宣講師と小宮健助教が第4回「バイオインダストリー奨励賞」を受賞

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一般財団法人バイオインダストリー協会は7月15日、第4回「バイオインダストリー奨励賞」の受賞者に東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の藤枝俊宣講師と情報理工学院 情報工学系の小宮健助教を選んだと発表しました。

藤枝講師は「生体接着性オプトエレクトロニクスによる革新的光がん治療システムの創製」により、また、小宮助教は「がんから感染症まで、誰もが高精度な診断を受けられる高感度核酸検出法の開発」によりそれぞれ受賞しました。二人とも本学としては初の受賞者です。

バイオインダストリー協会によると、「バイオインダストリー奨励賞」は、2017年、同協会が30周年を迎えるのを機に、"最先端の研究が世界を創る—バイオテクノロジーの新時代—"をスローガンにスタートしました。バイオサイエンス、バイオテクノロジーに関連する応用を指向した研究に携わる有望な若手研究者とその業績を表彰しています。45歳未満の研究者個人が対象です。

贈呈式・受賞記念講演会は10月14日、国際的なバイオイベント"BioJapan 2020"で行われる予定です。

バイオインダストリー協会はバイオインダストリー分野の研究開発と産業発展を、産・学・官による連携によって、総合的に推進する組織です。
バイオインダストリー協会が発表した受賞者の研究テーマと選評、および受賞者のコメントは次の通りです。

藤枝俊宣 生命理工学院 生命理工学系 講師

研究テーマ

生体接着性オプトエレクトロニクスによる革新的光がん治療システムの創製

選評

生体接着性ナノ薄膜で被覆された、柔軟性に富む無線給電式・埋め込み型マイクロ発光デバイスを開発した。脳や肝臓、膵臓のような重要な血管や神経を巻き込む組織、構造的に脆弱な組織のがんを対象としたマイクロ光線力学療法への本デバイスの応用を企業と連携して進めており、今後も活躍が期待できる研究者である。

コメント

藤枝講師

この度は大変名誉ある「バイオインダストリー奨励賞」を賜り誠に光栄に存じます。本研究は、医工連携体制のもと取り組んだ内容であり、様々な研究者の努力が詰まった研究成果を評価頂けたことを大変嬉しく思います。この場を借りて、共同研究者の先生方や研究室の学生の皆様に厚く御礼を申し上げます。

本研究では、体内埋め込み型の発光デバイスを開発し、新しい光がん治療システムを世界に先駆けて実証しました。特に、生体組織に安定に発光デバイスを固定するための生体接着技術を開発したことがブレイクスルーとなり、生体内に埋め込んだ発光デバイスを無線給電にて作動させることで、光増感剤(抗がん剤の一種)を持続的に活性化させることに成功しました。本研究成果は、すでに日本でも保険適用されている光線力学療法の用途を拡大させる先進的な医療技術として期待されます。

今後は、産学共同研究を強化することで、本技術の社会実装を目指す所存です。がんと闘う患者様やその御家族、また、医療従事者の方々に本技術を一日も早く届けられるよう引き続き研究開発に尽力して参ります。

埋め込み型発行デバイスによる光がん治療

埋め込み型発行デバイスによる光がん治療

小宮健 情報理工学院 情報工学系 助教

研究テーマ

がんから感染症まで、誰もが高精度な診断を受けられる高感度核酸検出法の開発

選評

DNA、短鎖RNAなどの標的核酸を感知して、シグナルとして別の配列を持つDNAを37℃の等温条件下で高効率かつ特異的に増幅することによって、標的核酸を高感度に検出する独創的な技術を開発した。独自性の高い研究と応用への創造力は秀でており、この分野を牽引しうる研究者として活躍が期待される。

コメント

小宮助教

一般財団法人バイオインダストリー協会よりバイオインダストリー奨励賞を賜り、大変光栄に存じます。
DNAが生命のソフトウェアである遺伝情報を保存することはよく知られていますが、遺伝情報が処理されて生物が生きていくプロセスを理解するには、DNAのハードウェアとしての性質を解明する必要があります。バイオ情報をコンピュータで処理するのとは逆に、バイオ反応でコンピュータを創る、そのような分野融合的な視点で研究するなかで、PCRなどの増幅法が医療現場で抱える問題点を克服する、核酸検査用の等温DNA増幅反応(L-TEAM)を開発しました。

この度の受賞に際しては、自由に学際研究をさせていただいた山村雅幸教授はじめ共同研究者の方々、Tokyo Tech Research Festivalで激励いただきました渡辺治理事・副学長(研究担当)、そして産学連携をご支援いただきました学内の各部門の皆さまに、深く感謝いたします。今後も学術と産業応用の好循環を生み出すべく精進して参ります。

L-TEAM反応による核酸増幅検出

L-TEAM反応による核酸増幅検出

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お問い合わせ先

総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975

ビオローゲン陽イオンラジカルはいかにしてギ酸脱水素酵素の二酸化炭素還元触媒能を向上させているか

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要点

  • 人工光合成系における二酸化炭素を有機分子であるギ酸に変換する過程において、ギ酸脱水素酵素の活性化に有効な補酵素:メチルビオローゲンの陽イオンラジカル[用語1]が酵素活性の向上にどのように関与しているのかを、実験データを基に考察する酵素反応速度論に加え、理論化学的計算に基づき解析し、綿密な機構を明らかにした。
  • 人工光合成系の実現に向け、二酸化炭素を効率的に有機分子に変換する補酵素の設計・開発における重要な指針となる。

概要

メチルビオローゲンの陽イオンラジカル

大阪市立大学 人工光合成研究センターの天尾豊教授と東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の宮地輝光助教は、人工光合成系において、ギ酸脱水素酵素が触媒する二酸化炭素のギ酸への還元過程において、メチルビオローゲンの陽イオンラジカルの電子供給機構を明らかにしました。

太陽光エネルギーを利用して二酸化炭素を有機分子に変換する人工光合成系を創製するための重要な要素技術として進められている触媒の開発において、ギ酸脱水素酵素(FDH)内で、補酵素であるメチルビオローゲンの陽イオンラジカル(MV.+)が、いかにして二酸化炭素をギ酸に還元するかについて、本質的な相互作用に関しては明らかではありませんでした。

酵素反応速度論に基づいたいくつかの反応モデルに加え、理論化学的計算に基づくFDH内でのMV.+の結合様式、及び密度汎関数理論(DFT)によるMV.+の電子状態の決定により、実験及び理論検討の両面からMV.+による電子供給の機構を明らかにしました。

本研究成果は、Royal Society of Chemistry (RSC) が発刊する物理化学の専門誌『Physical Chemistry Chemical Physics (PCCP) 』誌に掲載されました。

背景・内容

科学技術の発展と共に温室ガスなどによる地球環境汚染、大量の産業廃棄物処理および石油・石炭などの化石エネルギーの枯渇という重大な問題を次の世代に残さないために、環境低負荷型エネルギー循環システムの構築や二酸化炭素を代表とする温室効果ガスを有効利用するエネルギー変換システムの開発が急務です。地球規模で削減目標が定められている二酸化炭素は、排出を規制して削減する方法以外に、むしろこれを積極的に原料として活用し、有用物質に変換する方法は意義ある技術課題になります。このような背景から、太陽エネルギーを利用し二酸化炭素を新たな燃料に変換する人工光合成技術が注目を浴びています。

これまで大阪市立大学人工光合成研究センターでは、二酸化炭素をギ酸(燃料、化成品、エネルギー貯蔵媒体)に変換する反応を促進させる触媒=“ギ酸脱水酵素(FDH)”の活性を飛躍的に向上させることを目的とした研究を進めてきました。特に、メチルビオローゲンと呼ばれる単純な化学構造を持つ電子メディエータの陽イオンラジカル(MV.+)がFDHの二酸化炭素還元触媒能を飛躍的に向上させることを見出してきました。
Discovery of the Reduced Form of Methylviologen Activating Formate Dehydrogenase in the Catalytic Conversion of Carbon Dioxide to Formic Acidouter

反応式から分かるように、FDHが触媒して二酸化炭素をギ酸へ還元するためにはMV.+が2分子必要です。しかし、それらのMV.+ がFDH内で二酸化炭素をギ酸に還元する具体的なメカニズムについては明らかではなく、実験的に得られたデータを基にしたMichaels-Menten式[用語2]による単純な酵素反応速度論だけで議論されてきており、FDHとMV.+との本質的な相互作用に関しては解明されていませんでした。

今回、酵素反応速度論に基づいたいくつかの反応モデル解析を天尾豊教授が、理論化学的計算に基づくFDH内でのMV.+の結合様式及び密度汎関数理論(DFT)によるMV.+の電子状態解析を宮地輝光助教がそれぞれ担当する形で共同研究を実施し、FDH内でのMV.+とCO2の結合様式を明らかにし、FDHを触媒として二酸化炭素をギ酸へ還元する過程において、MV.+による電子供給が図に示すような機構で進行することを突き止めました。

MV.+とCO2とのFDH内での結合予想の一例

今後の展開

今回の発見は、二酸化炭素を効率的に有機分子に変換する人工光合成系実現に向け、触媒機能を向上させる補酵素の開発・設計における重要な指針になるものと考えられます。

資金情報

本研究の成果は、大阪市立大学人工光合成研究拠点共同利用・共同研究課題、学術研究助成基金助成金国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))および科学研究費補助金新学術領域研究によって得られたものです。

用語説明

[用語1] 陽イオンラジカル : 正の電荷を持ち、不対電子も持っているもの。

[用語2] Michaels-Menten式 : 酵素の反応速度論に大きな業績を残したレオノール・ミカエリスとモード・レオノーラ・メンテンにちなんだ、酵素の反応速度v に関する式である。

論文情報

掲載誌 :
Physical Chemistry Chemical PhysicsPCCP)(Royal Society of Chemistry発刊)
掲載月 : 2020年7月
論文タイトル :
How does methylviologen cation radical supply two electrons to the formate dehydrogenase in the catalytic reduction process of CO2 to formate?
著者 :
MIYAJI, Akimitsu, AMAO, Yutaka
DOI :
<$mt:Include module="#G-07_物質理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 物質理工学院 応用化学系

助教 宮地輝光

E-mail : miyaji.a.aa@m.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5417

大阪市立大学 人工光合成研究センター

所長 天尾豊

E-mail : amao@osaka-cu.ac.jp
Tel : 06-6605-3726

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

大阪市立大学 広報課
担当 西前香織

E-mail : t-koho@ado.osaka-cu.ac.jp
Tel : 06-6605-3411

人間と機械の協調的な運動の設計に有用な手がかりを発見 機械の適切な支援のタイミングの同定と人間の知覚の順応現象の応用可能性

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要点

  • 人間の行動に合わせてその動きを支援するシステムの設計において十分に検討されていない、人間側の知覚と機械側からの支援のタイミングの問題に着目し、筋電気刺激を使った実験で2つの新たな知見を得ました。
  • 身体運動の開始から機械が運動を支援するまでの時間差を計測することで、機械が適切に介入できる時間範囲を求めました。
  • 人間の意図と機械の動作のずれを防ぐ上で、知覚が順応する現象の応用が可能であることを明らかにしました。

概要

スマートウォッチやスマートグラスといったウェアラブルデバイスが製品化されているように、人間の生活を支援する機械が社会に浸透してきています。特に、パワーアシスト装置をはじめとした人間機械協調システム[用語1]には大きな期待が寄せられています。ただし、機械が人間の運動を支援する場合、人間と機械の運動を効果的に融合させるために、人間の運動・生体信号を正確に計測した上で状況や意図を適切にくみ取る必要があります。しかし、人間のダイナミックな動作を完全に予測することは難しく、機械の動作が人間の意図とずれてしまう場合があります。また、人間が機械の動作のタイミングを予測できない場合、本来意図した運動が機械によって妨害されることがあります。

この人間の意図と機械の動作のずれを防止するため、東京大学大学院情報理工学系研究科 博士課程1年 松原晟都 大学院生、青山一真 助教、先端科学技術研究センターの脇坂崇平 特任研究員、檜山敦 講師(理化学研究所革新知能統合研究センター兼務)、稲見昌彦 教授および東京工業大学工学院経営工学系 Katie Seaborn 准教授らによる研究チームは、人間の自発的意図に基づく随意運動(自発的運動)のタイミングに合わせて機械から筋電気刺激を与え、機械が人間の運動を増幅させる実験系を構築しました。実験では、自発的運動の開始から機械による介入までの時間差が知覚的に同時だと感じられる時間範囲を同定し、機械による適切な介入のタイミングを求めました。また、時間的に異なる自発的運動の開始と機械による介入を知覚的に同時だと感じられるようにする手段として、知覚が順応する現象の応用可能性を実験的に明らかにしました。

本成果は、外部から運動を与えて人間の行動を協調的に補助・誘導する人間と機械のインタラクションにおける認知メカニズムの理解に貢献するものです。さらに、人間の意図に沿ってより円滑に行動を支援できる人間機械協調システムの技術開発への応用など、幅広い展開が期待されます。

本成果は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 ERATO「稲見自在化身体プロジェクト」(課題番号:JPMJER1701、研究総括:稲見 昌彦)および、CREST「経験サプリメントによる行動変容と創造的協働」(課題番号:JPMJCR16E1、研究代表者:黄瀬 浩一)によって得られたものです。

本研究の成果は、米国東部夏時間2020年8月12日に米国の科学雑誌PLOS ONEにて発表されました。

発表内容

人間機械協調システムにおいて、機械が人間の意図通りに動かない場合には、機械が目的の動作を妨害して事故の原因となったり、人間が自身の動作において自ら制御している感覚を損なったりする点が課題となります。 本研究では、人間の行動に合わせた機械による支援を「システムの利用者の自発的意図に基づく随意運動(以下、自発的運動)のタイミングに合わせて、機械からの補助・介入運動(以下、外部操作運動)を与え、運動を増幅させること(以下、増幅運動)」と定義し、上記の課題の解決のために特に外部操作運動のタイミングに注目しました。

増幅運動では、利用者が外部操作運動のタイミングを予測できない場合、急に外部から動かされたと感じ、本来意図した運動が妨害されることがあります。したがって、自発的運動と外部操作運動のタイミングを利用者の知覚において一致させて予測しやすくすること、つまり「知覚的同時性」を保持することが特に重要です。

そこで本研究では、人間の行動において多様な役割を担う腕を対象に、知覚的同時性を計測する実験系を構築しました。

具体的には、上腕二頭筋に筋電位計を設置し、当該部位が運動する直前の筋肉の収縮を検出した際に任意の待機時間を経て筋電気刺激を与える増幅運動システムを構築し(図1)、2つの基礎実験を行いました。

図1. 本研究で構築した増幅運動システム(a)アシストを行わず、自発的運動のみで前腕部を動かした状態(b)上腕二頭筋につけた筋電位計で前腕部の運動を検知し、筋電気刺激によるアシストを行い、運動を増幅させた状態

図1.
本研究で構築した増幅運動システム
(a)アシストを行わず、自発的運動のみで前腕部を動かした状態
(b)上腕二頭筋につけた筋電位計で前腕部の運動を検知し、筋電気刺激によるアシストを行い、運動を増幅させた状態

まず、自発的運動の検出から外部操作運動までの時間差について、知覚的同時性が保たれる時間範囲を同定しました。被験者の上腕二頭筋における自発的運動を検出して外部操作運動として筋電気刺激を与えるまでの待機時間を変えることで、知覚的同時性の変化を捉えました。それぞれの検出-操作時間での試行において、被験者に自らの運動に対する外部操作運動のタイミングについて「早い」、「同時」、「遅い」の3段階で回答を求めました。結果、検出-操作時間が80-160 ms程度で「同時」と報告する割合がピークに達することがわかりました(図2)。これは、人間が自らの動きと外部操作運動の時間差を同じと感じる時間範囲が存在することを示唆しており、機械が人間の動作に介入するタイミングを設計する上で重要な手がかりとなります。

図2. 被験者の回答と検出-操作時間。検出-操作時間が80-160 ms程度で「同時」と答える割合が高い。

図2. 被験者の回答と検出-操作時間。検出-操作時間が80-160 ms程度で「同時」と答える割合が高い。

また、研究チームは、知覚的同時性を保つ外部操作運動を提示するにあたり、人間の知覚の順応についても検討しました。知覚の順応については、例えば、異なる2つの感覚器(視覚と聴覚など)を時間をずらして反復的に刺激し続けると、タイミングが異なるはずの刺激が次第に同時に与えられているように感じられる時間的再較正現象が知られています。増幅運動の場合にこのような現象を応用できると、自発的運動と外部操作運動の時間差にシステムの利用者の知覚が順応することで、順応前は同時ではないと感じていた刺激でも同時だと感じることができると考えられます。これによって知覚的同時性を保持しやすくなれば、人間と機械の動作のずれを防止する有効な手段となりえます。

そこで次に、自発的運動と外部操作運動の知覚的同時性に順応的変化が生じるかどうかを検証しました。前述の実験系ではランダムに検出-操作時間を変えた刺激(ランダム刺激)を用いましたが、ここでは50 msまたは150 msに固定した筋電位刺激(順応刺激)とランダム刺激を交互に用いました。これにより、被験者は順応刺激で用いられる特定の時間幅をより多く体験することになります。結果、順応刺激を50 msの検出-操作時間に設定した場合、150 msの場合と比べ、自発的運動と外部操作運動が同時であると知覚するまでの検出-操作時間が有意に早くなることが明らかになりました(図3)。以上の検証から、順応させる条件によって知覚的同時性が保たれる検出-操作時間が変化することが示唆され、自発的運動と外部操作運動のタイミングが異なる場合にも知覚の順応を応用して知覚的同時性を保持できることが示唆されました。

図3. 「遅い」と回答した割合と検出-操作時間。順応刺激の検出-操作時間が50 msであると、150 msであった場合に比べ、「遅い」と回答する割合が高くなる時間が早い。

図3.
「遅い」と回答した割合と検出-操作時間。順応刺激の検出-操作時間が50 msであると、150 msであった場合に比べ、「遅い」と回答する割合が高くなる時間が早い。

本研究では、機械が人間の行動に合わせた協調支援を提供する上での課題について、知覚的同時性を保持した機械の支援の適切なタイミングを明らかにし、さらに知覚的同時性を得る上で知覚の順応を促すことが有効であることを実験によって明らかにしました。

今後は、人間が機械の支援を予測し機械と協調し続けることで知覚がどのように変容するかについて、より深く探求していきます。このように人間と機械の両面から研究を進めることで、外部から運動を与えて操作・補助を行う場合の人間の認知メカニズムの解明や、利用者の運動を妨害しない安全な人間機械協調システムへの応用など、幅広い展開を目指していきます。

発表者

  • 松原晟都(東京大学大学院情報理工学系研究科 博士課程1年)
  • 脇坂崇平(東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野 特任研究員)
  • 青山一真(東京大学大学院情報理工学系研究科附属情報理工学教育研究センター/バーチャルリアリティ教育研究センター 助教)
  • Katie Seaborn(東京工業大学 工学院 経営工学系 准教授)
  • 檜山敦(東京大学 先端科学技術研究センター 身体情報学分野 講師/理化学研究所革新知能統合研究センター 客員研究員)
  • 稲見昌彦(東京大学先端科学技術研究センター 身体情報学分野 教授)

用語説明

[用語1] 人間機械協調システム : 人間と機械がそれぞれ独立して動くのではなく、協調して特定の目的を達成するように設計されたシステム

論文情報

掲載誌 :
PLOS ONE(8月12日オンライン版)
論文タイトル :
Perceptual Simultaneity and its Modulation during EMG-Triggered Motion Induction with Electrical Muscle Stimulation
著者 :
Seito Matsubara*, Sohei Wakisaka*, Kazuma Aoyama, Katie Seaborn, Atsushi Hiyama, Masahiko Inami
DOI :
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東京大学先端科学技術研究センター

教授 稲見昌彦

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Tel : 03-5452-5368

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BSフジ「ガリレオX」に工学院の田中博人准教授が出演

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東京工業大学 工学院 機械系の田中博人准教授がBSフジの科学番組「ガリレオX-生物から学ぶ新技術 深化するバイオミメティクス」に出演します。

「ガリレオX」は、サイエンスやテクノロジーに関わる新しい動向や注目の研究を、深く・わかりやすく・面白く伝える、30分の科学ドキュメンタリーです。
今回は、優れた特徴を持つ生物の動きや働き、形状などを、ロボット工学や材料工学などさまざまな分野に応用した「バイオミメティクス(生物模倣)」の最新研究を特集。田中博人准教授が研究に取り組む、ペンギンロボット—水中を俊敏に泳ぐペンギンの動きを応用した水中ドローンの推進装置—が紹介されます。

田中博人准教授

田中博人准教授のコメント

田中博人准教授

近年盛んになっている「バイオミメティクス」を特集した番組内容です。私が精力的に取り組んでいる、ペンギンの遊泳メカニズムの研究と「ペンギンロボット」の研究を紹介しました。

私なりに「バイオミメティクス」について、その概念や従来の学術体系(生物学や機械工学など)との関係、そして将来の可能性を解説しました。また、ペンギンの面白さやロボット応用への期待も、ロボット実験の様子とともにお話ししました。お楽しみに!

番組情報

  • 番組名
    BSフジ「ガリレオX」
  • タイトル
    生物から学ぶ新技術 深化するバイオミメティクス
  • 放送予定日
    2020年8月23日(日)11:30 - 12:00
  • 再放送予定日
    2020年8月30日(日)11:30 - 12:00

関連リンク

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ニッケル触媒のアンモニア合成活性、窒素空孔の形成されやすさが鍵 貴金属を使わない触媒の新たな開発指針に

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要点

  • 窒素空孔の形成されやすさがアンモニア合成触媒活性の指標となることを発見
  • ニッケル触媒では窒化セリウムとの組み合わせが最も活性が高く、既存のルテニウム触媒に匹敵することを確認
  • 新たな触媒活性の指標により、ルテニウムなどの貴金属を使わないアンモニア合成触媒の開発が加速されると期待

概要

東京工業大学 元素戦略研究センターの細野秀雄栄誉教授(物質・材料研究機構兼任)、同センターの叶天南(Tian-Nan Ye)特任助教、北野政明准教授らは、遷移金属窒化物とニッケルを組み合わせた各種触媒のアンモニア合成活性を検討し、遷移金属窒化物の窒素空孔形成エネルギー[用語1]が触媒活性の指標となることを明らかにした。

ルテニウムや鉄を触媒としたアンモニア合成反応では、金属の表面で窒素が解離する過程が全体の反応速度を支配しているため、金属表面の窒素吸着エネルギー[用語2]が触媒活性の指標とされてきた。そのため従来の研究の大半が、温和な条件での合成には、最適な窒素吸着エネルギーを有するルテニウムを触媒として用いてきた。本研究は、ニッケルで水素分子を活性化し、担体窒化物上の窒素空孔で窒素分子を活性化する触媒では、従来の触媒と異なり、窒素空孔の形成エネルギーの小ささ、すなわち窒素空孔の形成されやすさが全体の反応速度を支配していることを明らかにした。特に、窒素空孔形成エネルギーが最小となる窒化セリウム(CeN)とニッケルの組み合わせが最も高いアンモニア合成活性を示し、触媒として最適であることを発見した。

本研究は、窒素空孔形成エネルギーという触媒活性の新たな指標を示すことにより、ルテニウムを使わない触媒開発の道筋をつけたといえる。研究成果は米国科学誌「Journal of the American Chemical Society」のトップ5%論文に選定され、8月7日付(現地時間)にオンライン公開された。

研究の背景と経緯

人工的にアンモニアを合成する技術「ハーバー・ボッシュ法(HB法)」は、ハーバーとボッシュによって確立され、1913年に工業化された。この技術は、現在でも人類の生活を支えるのに必要不可欠である。またアンモニア分子は、分解すると多量の水素を発生させ、かつ室温・10気圧で液体になることから、燃料電池などのエネルギー源である水素を運搬する物質としても期待されている。

一方、HB法は高温(400~500℃)、高圧(100~300気圧)の条件が必要であるため、より温和な条件下でのアンモニア合成技術が求められている。そうした条件下で働く触媒としてこれまで、ルテニウム触媒の開発が盛んに行われてきた。これまで開発されてきた触媒では、金属の表面で窒素が解離する過程が全体の反応速度を支配しているため、金属表面への窒素の吸着エネルギーが触媒活性の指標とされており、最適な窒素吸着エネルギーを有するルテニウムが最も高い活性を示す。しかし、ルテニウムは高価な貴金属であることから、より豊富に存在する安価な金属を利用し、温和な条件下で作動する触媒の開発が望まれている。

本研究グループは以前から、従来とは全く異なる機構でアンモニアを合成する研究を進めており、2018年にはLaCoSiという金属間化合物の電子化物が優れた触媒となることを発見した(Nature Catalysis誌掲載)[参考文献1]。さらに2020年7月には、従来の触媒活性の指標によればほとんど触媒活性を示さないはずのニッケル(Ni)を窒化ランタン(LaN)の表面に担持すると、一般的なルテニウム触媒に匹敵する活性を示すことを明らかにし、窒素空孔が窒素分子の活性化を担っていることを報告した(Nature誌掲載)[参考文献2]。図1にその反応機構を模式的に示す。

図1. Ni担持LaNでのアンモニア合成の機構。キーとなる窒素分子の活性化を窒素欠陥が担っており、ニッケルは水素の解離のみを行う。

図1.
Ni担持LaNでのアンモニア合成の機構。キーとなる窒素分子の活性化を窒素欠陥が担っており、ニッケルは水素の解離のみを行う。

研究の内容

本研究では、窒素空孔と触媒の活性との関係を検討し、窒化物担体の窒素空孔の形成されやすさが全体の反応速度を支配していることを明らかにした。まず、様々な遷移金属窒化物上にNiを固定した触媒を比較すると、すべての窒化物担体が必ずしも高いアンモニア合成活性を示すわけではなく、CeN、 LaN、 YNのような希土類窒化物上にNiを固定した触媒が優れた活性を示すことがわかった(図2)。特にNiを担持したCeN(窒化セリウム)ナノ粒子の活性は、400℃、0.1 MPaの条件下の平衡転化率(理論限界)に達しており、既報のルテニウム系触媒の優れた活性に匹敵する性能であった。

図2. Niを固定した遷移金属窒化物のアンモニア合成活性の比較(反応温度:400℃、圧力:1気圧) 青:バルク触媒、赤:ナノ粒子触媒

図2. Niを固定した遷移金属窒化物のアンモニア合成活性の比較
(反応温度:400 ℃、圧力:1気圧) 青:バルク触媒、赤:ナノ粒子触媒

これらの触媒について、第一原理計算で求めた希土類窒化物の窒素空孔形成エネルギーと、実測の触媒活性の関係を調べたところ、窒素空孔の形成エネルギーが小さいほど、すなわち窒素空孔が形成されやすいほど、高いアンモニア合成活性を示すことが明らかになった(図3)。この関係により、先に報告したNi担持LaNよりも、Ni担持CeNの方が優れたアンモニア合成触媒となることが示された。

図3. 希土類窒化物の窒素空孔形成エネルギーとアンモニア合成活性の関係性

図3. 希土類窒化物の窒素空孔形成エネルギーとアンモニア合成活性の関係性

これらの触媒上では、水素活性化能の高いNiが水素分子の結合を切り、生成された水素原子が、希土類窒化物表面の窒素種と反応することで、アンモニアが生成される。このとき希土類窒化物表面に窒素空孔が形成される。ここに窒素分子が取り込まれることで、窒素分子が活性化され、Ni上の水素原子により水素化されて、さらにアンモニアが生成される。同時に希土類窒化物の格子窒素が再生されることで、触媒的に反応が進行する。窒素空孔形成エネルギーの大きい物質は、この触媒サイクルがスムーズに進行しないため、触媒として効率よく機能しないことも、同位体[用語3]ガスを使った実験と計算科学により確認されている。

今後の展開

今回の研究は、窒素空孔の形成エネルギーがアンモニア合成触媒の活性を決める指標になることを示しており、従来の触媒活性指標では予測できない新たな触媒系を発見するための重要な道筋を与えるものである。この新たな考え方によって、温和な条件下で作動する、貴金属を使わないアンモニア合成触媒の開発が大きく加速されることが期待される。今後、この考え方をさらに発展させ、より優れた触媒の開発や他の触媒反応への展開を目指している。

用語説明

[用語1] 窒素空孔形成エネルギー : 金属窒化物中のN3-が部分的に抜けた空きサイトを窒素空孔と呼び、その窒素空孔を形成するのに必要なエネルギー。

[用語2] 窒素吸着エネルギー : 遷移金属触媒表面で、N2が解離して原子状窒素となる反応が起こる。この原子状窒素が金属表面に吸着するエネルギー。金属と窒素との結合の強さとも関連する。

[用語3] 同位体 : 原子番号が同じで、重さ(質量数)だけが異なる原子のことで、化学的性質は同等である。

付記

今回の研究成果は、文部科学省元素戦略プロジェクト<拠点形成型>(No.JPMXP0112101001)、科学研究費補助金(No.17H06153、JP19H05051、JP19H02512)、JST 戦略的創造研究推進事業 さきがけ(No.JPMJPR18T6)、日本学術振興会 海外特別研究員(No.P18361)の支援によって実施された。

参考文献

[1]

掲載誌 :
Nature Catalysis
論文タイトル :
Ternary Intermetallic LaCoSi as a Catalyst for N2 Activation
(窒素分子の活性化触媒としての3元系金属間化合物LaCoSi)
著者 :
Yutong Gong, Jiazhen Wu, Masaaki Kitano, Junjie Wang, Tian-Nan Ye, Jiang Li, Yasukazu Kobayashi, Kazuhisa Kishida, Hitoshi Abe, Yasuhiro Niwa, Hongsheng Yang, Tomofumi Tada & Hideo Hosono
DOI :

[2]

掲載誌 :
Nature
論文タイトル :
Vacancy-enabled N2 activation for ammonia synthesis on an Ni-loaded catalyst
(担持ニッケル触媒上でのアンモニア合成における空孔による窒素分子の活性化)
著者 :
Tian-Nan Ye, Sang-Won Park, Yangfan Lu, Jiang Li, Masato Sasase, Masaaki Kitano, Tomofumi Tada, Hideo Hosono
DOI :

論文情報

掲載誌 :
Journal of the American Chemical Society
論文タイトル :
Contribution of nitrogen vacancies to ammonia synthesis over metal nitride catalysts
(金属窒化物触媒上でのアンモニア合成における窒素空孔の寄与)
著者 :
Tian-Nan Ye1, Sang-Won Park1,2, Yangfan Lu1, Jiang Li1, Masato Sasase1, Masaaki Kitano1, Hideo Hosono1,2
所属 :
1 東工大元素戦略研究センター
2 物質・材料研究機構 MANA
DOI :

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研究に関すること

東京工業大学 元素戦略研究センター

栄誉教授 細野秀雄

E-mail : hosono@mces.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5009 / Fax : 045-924-5009

東京工業大学 元素戦略研究センター

准教授 北野政明

E-mail : kitano.m.aa@m.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5191 / Fax : 045-924-5191

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新型コロナウイルス複製を阻止する作用メカニズムを解明 標的とするメインプロテアーゼのウイルス複製機能阻害に求められるファーマコフォアをモデル化

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要点

  • SARSウイルス(SARS-CoV)のゲノム情報とウイルス複製に寄与する酵素のメインプロテアーゼの立体構造の構造解析情報を元に、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のメインプロテアーゼのウイルス複製機能阻害が期待される3化合物との複合体構造をモデル化
  • 分子動力学シミュレーション[用語1]により、新型コロナウイルスのメインプロテアーゼの複製機能阻害に重要なファーマコフォア[用語2]のモデリングに成功
  • 新型コロナウイルスのメインプロテアーゼ標的医薬品候補であるα-ケトアミド阻害剤で、本研究で求めたファーマコフォアの正しさを確認

概要

東京工業大学 情報理工学院 情報工学系の関嶋政和准教授を中心とする、同大学 物質・情報卓越教育院の安尾信明特任講師、筑波大学 医学医療系 生命医科学域の吉野龍ノ介助教の研究グループは、スーパーコンピュータTSUBAME3.0[用語3]を用いた分子動力学シミュレーションにより、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の複製に関わる酵素「メインプロテアーゼ」の機能を阻害する治療薬の候補となる化合物が満たすべき、ファーマコフォアのモデリングに成功した。またメインプロテアーゼを標的とする医薬品候補であるα-ケトアミド阻害剤[参考文献]を用いて、このファーマコフォアが正しいことを確認した。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の治療薬探索では、既存の上市薬もしくは治験の一部を通過した薬をベースに薬剤候補を探索するドラッグリポジショニングという手法が取られており、安全性や開発期間の短縮が期待されている。本研究で明らかにしたファーマコフォアは、既存薬の探索だけでなく、新規の薬候補化合物の探索にも応用できる点で重要な成果だといえる。

今後は、このファーマコフォアに基づき、シミュレーションと統計的機械学習などの人工知能(AI)や生化学実験を組み合わせたスマート創薬によって、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の治療薬候補となる具体的な化合物探索を目指していく。

本研究成果は2020年7月27日に国際科学誌『Scientific Reports』に掲載された。

本研究の一部は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業 創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS)の課題番号JP20am0101112の支援を受けました。

研究成果

創薬には、十数年に渡る長い期間と3,000億円以上とも言われる膨大な研究開発費が必要であり、近年はこの費用が増加傾向にある。これまで、新規化合物獲得のための期間と費用を削減し、有望な薬候補化合物を効率的に探索するためにさまざまな手法、アプローチが開発されてきた。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、2019年12月に中国・武漢で出現し、パンデミックを引き起こした。その後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者数は2020年8月初旬に1,800万人を超え、今も感染が拡大を続けるなか、世界中で治療薬の探索が続いている。従来、SARSウイルス(SARS-CoV)の複製に関わるメインプロテアーゼに対して、ペプチド様抗HIV-1薬が有効であることが報告されていた。SARS-CoVとSARS-CoV-2の間には密接な系統的関係があるため、これらのメインプロテアーゼは多くの構造的・機能的特徴を共有している(図1)。そのためペプチド様抗HIV-1薬はSARS-CoV-2でも、メインプロテアーゼを標的とする薬剤の候補として考えられているが、SARS-CoV-2のメインプロテアーゼの原子レベルでの作用機序はこれまで明らかになっていなかった。

図1. SARSウイルス(SARS-CoV)と新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のメインプロテアーゼのアミノ酸配列とタンパク質立体構造の比較。アミノ酸配列は96%同一。

図1.
SARSウイルス(SARS-CoV)と新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のメインプロテアーゼのアミノ酸配列とタンパク質立体構造の比較。アミノ酸配列は96%同一。

本研究では、スーパーコンピュータTSUBAME3.0を用いて、1マイクロ秒の時間スケールでの分子動力学(MD)シミュレーションを実施することで、SARS-CoV-2のメインプロテアーゼと3種類の薬剤候補化合物との重要な相互作用を明らかにし、ファーマコフォアをモデリングすることに成功した。すべてのMDシミュレーションにおいて、SARS-CoV-2のメインプロテアーゼの41番目のHis(ヒスチジン)、153番目のGly(グリシン)、166番目のGlu(グルタミン酸)が、化合物の同じ官能基と相互作用を形成していた。この結果は、相互作用が、SARS-CoV-2のメインプロテアーゼに作用する薬剤の重要なターゲットであることを示唆している。

モデリングしたファーマコフォアの正しさを検証するため、SARS-CoV-2のメインプロテアーゼの機能をIC50 = 0.67 ± 0.18 μMで阻害することが知られているα-ケトアミド阻害剤が、このファーマコフォアに適合するか調べた。その結果、α-ケトアミドの1つの水酸基と2つのカルボニル基がファーマコフォアモデルと一致していることを確認した(図2)。

図2. SARS-CoV-2のメインプロテアーゼと医薬品候補であるα-ケトアミド阻害剤に関して、本研究でモデリングしたファーマコフォアへの適合を検証

図2.
SARS-CoV-2のメインプロテアーゼと医薬品候補であるα-ケトアミド阻害剤に関して、本研究でモデリングしたファーマコフォアへの適合を検証

SARSウイルス(SARS-CoV)には、メインプロテアーゼの145番目のCys(システイン)と共有結合する不可逆性阻害剤が数多く知られており、これらは競合阻害剤よりも高い結合親和性を有している可能性がある。しかし、COVID-19のような緊急性の高い疾患には、薬剤のリポジショニングが有効であり、本研究で提案したファーマコフォアは、Cysと共有結合を形成するために官能基を含まない化合物を評価することを可能にしている。

今後の展開

今後は、このファーマコフォアに基づき、シミュレーションと統計的機械学習などの人工知能(AI)や生化学実験を組み合わせたスマート創薬によって、COVID-19の治療薬候補となる具体的な化合物探索を目指していく。

参考文献

Zhang et al., Crystal structure of SARS-CoV-2 main protease provides a basis for design of improved α-ketoamide inhibitors, Science 24 Apr 2020:Vol. 368, Issue 6489, pp. 409-412, DOI: 10.1126/science.abb3405 outer

用語説明

[用語1] 分子動力学シミュレーション : 我々の体の中で、タンパク質やペプチドなどの生体分子は揺らぎながらその機能を果たしている。分子動力学シミュレーションは、タンパク質をつくっている原子や、周囲の水などの溶媒の動きを再現するシミュレーション手法である。分子動力学シミュレーションでは、原子ごとにニュートンの運動方程式を数値積分で解いていき、原子に働く力を求め、原子ごとの速度・座標の更新を行っていく。原子に働く力は、生体分子のシミュレーションの場合、1~2フェムト(10-15)秒ごとに求めることが多く、これを積み重ねてマイクロ(10-6)秒の時間スケールでのシミュレーションを行うため、TSUBAME3.0のような膨大な計算機資源が必要となる。

分子動力学シミュレーション

[用語2] ファーマコフォア : 医薬品は、その標的となるタンパク質と相互作用することで、標的タンパク質の機能を阻害している。同じ標的タンパク質の同じ部位に結合する、医薬品による機能阻害に必要な官能基群の3次元配置をモデル化したものをファーマコフォアという。分子動力学シミュレーション等のシミュレーション手法に比べて、ファーマコフォアモデルを満足する化合物の探索は短時間で行うことが可能である。

[用語3] スーパーコンピュータTSUBAME3.0 : 東京工業大学学術国際情報センターが運用するスパコンで、2,160個のGPUを搭載し、12.15ペタフロップスのピーク演算性能を持つ。最先端の研究教育の基盤として、広く学内外に計算資源を提供している。また産業利用にも大きく貢献している。

論文情報

掲載誌 :
Scientific Reports
論文タイトル :
Identification of key interactions between SARS-CoV-2 main protease and inhibitor drug candidates
著者 :
Ryunosuke Yoshino, Nobuaki Yasuo, and Masakazu Sekijima
DOI :
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お問い合わせ先

東京工業大学 情報理工学院 情報工学系

准教授 関嶋政和

E-mail : sekijima@c.titech.ac.jp

筑波大学 医学医療系 生命医科学域

助教 吉野龍ノ介

E-mail : yoshino.r.aa@md.tsukuba.ac.jp

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

筑波大学広報室

E-mail : kohositu@un.tsukuba.ac.jp
Tel : 029-853-2039 / Fax : 029-853-2014

同一の細胞から複数のエピゲノム情報を同時に検出する技術開発に成功

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九州大学生体防御医学研究所(大川恭行教授、原田哲仁准教授、前原一満助教)、東京工業大学科学技術創成研究院細胞制御工学研究センター(木村宏教授、半田哲也特任助教ら)、東京大学定量生命科学研究所(胡桃坂仁志教授、佐藤祥子特任助教)の研究グループは、少数の細胞からエピゲノム情報[用語1]を取得できる「クロマチン挿入標識(Chromatin Integration Labeling: ChIL)法」に関する詳細な実験手法を発表しました。さらに、これまでの解析ではひとつのサンプルでは単一のエピゲノム情報しか取得できませんでしたが、今回、同一サンプルから複数のエピゲノム情報を同時に検出する技術(Multi-target ChIL: mtChIL)の開発にも成功しました。

人体は、多様な30兆個の細胞で構成されています。多様な細胞は、数万種類の同一の遺伝子群(ゲノム)から、選択的に遺伝子を使い分けることで固有の機能を獲得します。この遺伝子の使い分けには、ゲノムDNAに結合するヒストンの翻訳後修飾[用語2]や転写因子の結合により調節されています。このようなエピゲノム情報を解読することにより、種々の細胞内で使われる遺伝子と使われない遺伝子がどのように区別されるのかということを調べることができます。これらのエピゲノム情報は、発生や分化、がん化などの過程で変化するため、その全貌を明らかにし、調節機構を解明することで、人体の成り立ちや病態を遺伝子の選択性から理解することが可能になります。エピゲノム情報やその解析技術は、組織再生や幹細胞[用語3]を用いた再生医療などの応用にも必要となるため、これまでも多くの国際プロジェクトによりエピゲノム情報の解読が進められてきました。

しかしながら、少数の細胞を用いたエピゲノム解析は高度な技術が必要とされます。研究グループは、昨年、単一細胞レベルでエピゲノム情報を解読する世界初の高感度技術であるChIL法を発表しました。今回、この技術に関する詳細な実験手法を発表したことにより、広く研究者にこの技術が普及すると期待されます。さらに、研究グループは、様々なエピゲノム情報を同時に取得可能な発展型技術mtChILの開発に成功しました。従来の技術では1度の解析で単一のヒストン修飾あるいは転写因子の結合情報のみしか解析できないため、エピゲノム情報の本質である「組み合わせ」の解明には至っていませんでした。これまで個別にしか解析出来なかった因子の組み合わせの網羅的な解析が可能になることから、人為的な遺伝子操作技術の開発が期待され、遺伝子発現の破綻であるがん、特異的な遺伝子発現誘導が必要となる再生医療など多方面への応用が期待されます。

本研究の成果は、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業CREST「細胞ポテンシャル測定システムの開発」(研究代表者:大川恭行)、さきがけ「組織特異的ゲノム構造の再構築技術の開発」(研究代表者:原田哲仁)、文部科学省科学研究費新学術領域研究「遺伝子制御の基盤となるクロマチンポテンシャル、JP18H05527(領域代表者:木村宏)」などの支援により得られたものです(詳細は以下「研究費情報」参照)。

本研究成果は、2020年8月18日(火)午前0時(日本時間)に英国科学雑誌「Nature Protocols」で公開されました。

従来は複数のエピゲノム情報を個別で解析していたが(上図)、本法mtChILでは、同時に複数のエピゲノム情報を解析できる。

図1. 従来は複数のエピゲノム情報を個別で解析していたが(上図)、
本法mtChILでは、同時に複数のエピゲノム情報を解析できる。

研究成果のポイント

  • ChIL法の詳細な実験手法を発表した。
  • 同一サンプル内から複数のエピゲノム情報を同時に取得する技術mtChILを開発した。
  • mtChILによる様々なエピゲノム情報の組み合わせ解析により、幹細胞をはじめとする遺伝子発現制御ネットワークの解明が期待される。

研究者からひとこと

(左)東京工業大学 半田哲也 特任助教 (中央)九州大学 原田哲仁 准教授 (右)九州大学 前原一満 助教
(左)東京工業大学 半田哲也 特任助教
(中央)九州大学 原田哲仁 准教授
(右)九州大学 前原一満 助教

これまでのエピゲノム解析は、1サンプル当たり1つの情報を得ることが一般的であったため、多数の因子を解析する場合の障壁となっていました。mtChIL法は、これまで解析ができなかった組み合わせ情報の解読が可能です。今後の国際プロジェクトでの活用等研究分野を劇的に発展させることを期待しています。

研究費情報

本研究の成果は、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)研究領域「統合 1 細胞解析のための革新的技術基盤」における研究課題「細胞ポテンシャル測定システムの開発JPMJCR16G1(研究代表者:大川恭行)」、科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業(さきがけ)「ゲノムスケールのDNA設計・合成による細胞制御技術の創出」における研究課題「組織特異的ゲノム構造の再構築技術の開発JPMJPR19K7(研究代表者:原田哲仁)」、文部科学省科学研究費新学術領域研究「クロマチン潜在能JP18H05527(領域代表者:木村宏)」、日本学術振興会科学研究費JP17K17719 JP18K19432、JP19H03211、JP19H05425、JP20H05368、JP18H04904、JP19H04970、JP19H03158、JP20H05393JP18H05534、JP18H04802、JP18H05527、JP19H05244、JP17H03608、JP20H00456、JP20H04846、JP20K21398、JP17H01417、日本医療研究開発機構研究費JP19am0101076、JP19am0101105、JP20ek0109489h0001、九州大学生体防御医学研究所共同利用・共同研究などの支援により得られたものです。

用語説明

[用語1] エピゲノム情報 : 後天的なゲノム制御情報。DNAの塩基配列に加えて、DNAそのものやDNAに強く結合するヒストンの修飾などにより、遺伝子の発現が制御される。

[用語2] ヒストン修飾 : DNAに強く結合するヒストンタンパク質の翻訳後修飾。メチル化やアセチル化など多様な修飾により遺伝子発現の抑制や活性化などが制御される。

[用語3] 幹細胞 : 組織や器官を構成する分化した細胞の元となる細胞。多能性を持つ胚性幹細胞やiPS細胞などがよく知られているが、特定の細胞にのみ分化するような成体幹細胞も存在する。これらの幹細胞は存在量が少なく、その解析が難しい。

論文情報

掲載誌 :
Nature Protocols, 2020
論文タイトル :
Chromatin integration labeling for mapping DNA-binding proteins and modifications with low input
著者 :
+Handa T, +Harada A, +Maehara K, Sato S, Nakao M, Goto N, Kurumizaka H, *Ohkawa Y, *Kimura H (+共筆頭著者、*共責任著者)
DOI :

お問い合わせ先

研究に関すること

九州大学 生体防御医学研究所
附属トランスオミクス医学研究センター
教授 大川恭行

E-mail : yohkawa@bioreg.kyushu-u.ac.jp
Tel : 092-642-4534 / Fax : 092-642-6526

東京工業大学 科学技術創成研究院
細胞制御工学研究センター
教授 木村宏

E-mail : hkimura@bio.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5742

報道に関すること

九州大学 広報室

E-mail : koho@jimu.kyushu-u.ac.jp
Tel : 092-802-2130 / Fax : 092-802-2139

東京工業大学 総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

東京大学 定量生命科学研究所 総務チーム

E-mail : soumu@iqb.u-tokyo.ac.jp
Tel : 03-5841-7813 / Fax : 03-5841-8465

血液内のエクソソームをバイオマーカーとしたがん診断法の開発 がんの有無の判別や種類の特定に有効、がん診断への貢献に期待

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要点

  • 様々なヒト組織由来のエクソソームに共通するエクソソームマーカーを解明
  • ヒト血漿由来エクソソームを用いたがんの有無を判別するタンパク質パネルを報告。これを用いてがんの種類の特定が可能であることを併せて証明

概要

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の星野歩子准教授らは、コーネル大学をはじめとする研究機関と共に、広範囲に渡るヒトのエクソソームに共通する「エクソソームマーカー」を発見し、これを用いてがん種を特定することが可能であることを明らかにした。

エクソソームは全ての細胞から産生される微小胞である。エクソソームには細胞由来のタンパク質、核酸、脂質など多様な情報が含まれていることから、様々な疾患を反映したバイオマーカー[用語1]としての期待が高まっている。

今回の研究では、426のヒト由来サンプルの分析から、様々な組織(血漿、血清、手術組織等)でエクソソーム全てに共通する「エクソソームマーカー」の候補を見つけることに成功した。また機械学習によって、エクソソームを用いてがんの有無が判定できること、さらにすべてのステージにおいてがんの種類を特定できることを確認した。さらに、がんの判別やがんの種類の特定に用いることができるエクソソーム含有タンパク質パネル[用語2]には、がん細胞が直接産生するエクソソームだけでなく、その他の“正常細胞”から得られるメッセージが有力であることが分かった。

この成果から、エクソソームを用いたバイオマーカーでは、がんの足跡だけを追いかけるのではなく、がん種別に体全体で起きている変化をバーコードのようにスキャンすることが期待できる。将来的には、がん診断の精度向上にもつながる重要な成果だといえる。

研究成果は2020年8月13日(米国東部時間)に米国科学誌「Cell(セル)」オンライン速報版で公開された。

背景と研究の経緯

エクソソームは、全ての細胞から産生される50-150 nmサイズの微粒子であり、1 mlの血液中に数百億個から数兆個のエクソソームが流れている。従来は細胞の不要物を処理する機構と考えられてきた。しかし近年、エクソソームが産生細胞から別の細胞へ取り込まれることが明らかになり、新たな細胞間コミュニケーションツールとして注目を浴びている。

研究グループはこれまでに、肺・肝臓・脳において、がん細胞が産生するエクソソームが、がんの未来転移先へ事前に到達してその臓器内細胞へ取り込まれることで、がん細胞が転移しやすい環境を作っていることを証明してきた[参考文献1,2]。また、がん細胞由来エクソソームには、特定のタンパク質(肺・肝臓では特定のインテグリン[用語3]、脳ではCEMIP[用語4])が選択的に含まれており、それらが「郵便番号」のような役割をすることで、エクソソームの臓器特異的な分布を規定していることを明らかにした。さらに、がん患者の血中エクソソームのELISA解析[用語5]を行うと、肺や肝臓転移があった患者の血中エクソソームでは特定のインテグリンが上昇していることが分かった。すなわち、がん患者の血中にはがん細胞由来のエクソソームが流れていることになる(図1)。こうした背景から、血中エクソソームのタンパク質を元にしたがん診断マーカーの開発が期待されており、この観点から今回の研究を行った。

図1. エクソソームの電子顕微鏡写真

図1. エクソソームの電子顕微鏡写真

血液中には全ての細胞が産生するエクソソームが大量に含まれ、脂質二重膜構造であるため、ドーナツ型にみえる。

研究成果

研究グループは、エクソソーム含有タンパク質に注目して、エクソソームのプロテオミクス解析[用語6]データを用いる機械学習を行った。その結果、エクソソームをマーカーとして使うことで、がん患者と健常者を分けることができるだけでなく、がん種の特定にも有効であることが分かった。

本研究では、426のヒト由来サンプルを用いた分析で、様々な組織(血漿、血清、手術組織等)からのエクソソーム全てに共通する「エクソソームマーカー」候補を見つけることに成功した。そのうえで、様々なステージの16種類のがん(乳がん、肺がん、中皮腫、膵臓がんなど成人のがんと、骨肉腫、神経芽細胞腫などの小児がん)の患者の血漿由来エクソソームのプロテオミクス解析と健常人のものを元に、機械学習を用いてエクソソーム含有タンパク質の種類によって、がんの有無を判定することができることを見出した。さらに、プロテオミクスから得られたエクソソームに含まれるタンパク質パネルを元に、がん種を分けられることを発見した(図2)。さらに、がん種特定やがんの有無を分けるために用いることができるエクソソーム含有タンパク質パネルには、がん細胞が直接産生するエクソソームだけでなく、その他の“正常細胞”から得られるメッセージが有力であることを明らかにした。これらの結果から、がん細胞が産生するエクソソームだけでなく、得られる全てのエクソソームによってがんの有無を確認でき、さらにがん種の特定まで可能であることを見出した。つまり、がん患者の血液には、がんの進行度合いに関係なくがん種別に体内で変化が起きており、それを反映した十分な量のバイオマーカーが存在していることになる。

図2. がん患者の血液中のエクソソームのプロテオミクス解析により、がんのステージに関係なく種類別にクラスタリングすることが確認された。

図2.
がん患者の血液中のエクソソームのプロテオミクス解析により、がんのステージに関係なく種類別にクラスタリングすることが確認された。

今回の研究成果は、特に膵臓がんなどの、早期ステージではなかなか見つからないがん種の特定に用いることが期待できるという点で、非常に大きなインパクトがあるといえる。また5 %ほどの患者では、転移は見つかるものの、どの種類のがんが原発なのか分からない「原発不明がん」としてがんが見つかることがある。そうした患者のがん種をエクソソームで特定できれば、これまで原発巣が不明なため治療法を選ぶのが困難だった患者の診断基準となると期待される。また診断の際に、一つのソース(例えばがん細胞)だけに頼ると、それが何らかの理由で検出できなかった時に偽陰性が生まれる恐れがある。エクソソームから得られる情報を用いれば、体内の様々な細胞ががんの存在に対して反応しているサイン全てをバイオマーカーとして活用できるため、そうした見落としの可能性を低くできると考えられる。前述の機械学習では、がんの診断としては感度95 %、特異度90 %の結果が得られた。

今後の展開

本研究では、エクソソーム含有タンパク質が、がんの有無の判定だけでなく、がん種の特定にも役立つことが分かった。今後はさらにサンプル数を増やして分析を行い、がん種についてもさらに幅広く検討する必要がある。今回は概念実証(proof of principal)としての論文となったが、今後実用化に向けて研究を進めていく予定である。さらに、本研究では必要なタンパク質パネルが特定されたが、今後はその全てが必要であるか、どのパネルの使用が最も有用であるかについても検討する。

用語説明

[用語1] バイオマーカー : 特定の疾病の有無やその進行度を反映する、血液中のタンパク質などを用いた測定

[用語2] エクソソーム含有タンパク質パネル : エクソソームに含まれるタンパク質をプロテオミクス解析する際の各要素を指す。これらを解明することで、がんの有無、もしくはがん種の特定に最も有用な予測分子のパネルを見出した

[用語3] インテグリン : 細胞の表面にあるタンパク質で、細胞同士をつなぐ役割等がある。αとβサブユニットからなるヘテロダイマーで、ヒトでは24種類確認されている。その中でも、研究グループでは、α6β4インテグリンはエクソソームを肺へ導きαvβ5は脳へ導く「郵便番号」の様な役割をすることを報告している

[用語4] CEMIP : ヒアルロン酸結合タンパク質で、エクソソーム上のこの分子はエクソソームを脳内の血管内皮細胞へ導きその形質を変化させることを報告している

[用語5] ELISA解析 : 抗体を使った免疫学的測定法。エクソソームに特定のタンパク質が含まれているかどうかを測定することができる

[用語6] プロテオミクス解析 : タンパク質の網羅的解析。エクソソームに含まれるタンパク質リストが得られる

参考文献

[1] Hoshino et al., "Tumour exosome integrins determine organotropic metastasis." Nature 527(7578) 329 - 35 2015年11月19日
DOI: 10.1038/nature15756 outer

[2] Rodrigues, Hoshino et al., "Tumour exosomal CEMIP protein promotes cancer cell colonization in brain metastasis." Nature cell biology 21(11) 1403 - 1412 2019年11月
DOI: 10.1038/s41556-019-0404-4 outer

論文情報

掲載誌 :
Cell
論文タイトル :
Extracellular Vesicle and Particle Biomarkers Define Multiple Human Cancers
著者 :
Ayuko Hoshino, Han Sang Kim, et al.
DOI :
<$mt:Include module="#G-11_生命理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系

准教授 星野歩子

E-mail : ayukohoshino@bio.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5139 / Fax : 045-924-5139

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

AIを使い生体材料(バイオマテリアル)の設計に成功 機械学習で生体分子の吸着を予測し、材料を高速スクリーニング

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要点

  • 材料の物性、生体分子との相互作用を、材料の化学構造から正確に予測
  • 過去の文献データを利用したデータベースの構築と機械学習を活用
  • 材料を高速にスクリーニングすることで、材料開発のスピードを圧倒的に加速
  • 従来の試行錯誤的な材料設計のアプローチから脱却した、新しい開発手法

概要

東京工業大学 物質理工学院 材料系の林智広准教授らのグループは、機械学習[用語1]を用いて、生体材料(バイオマテリアル)[用語2]を設計する新たな手法の確立に成功した。

有機薄膜の水への濡れ性[用語3]、膜へのタンパク質吸着に関する過去の文献・実験データを活用してデータベースを構築し、機械学習を用いて、膜を構成する分子の化学構造と膜の特性の相関解析を行った。これに基づいて、生体材料の化学構造から材料の濡れ性、タンパク質の吸着量を正確に予測する手法を開発した。

この手法は未知の材料の材料特性なども予測することができ、将来は材料の高速スクリーニング(必要なものを選び出すこと)に応用し、材料開発の時間とコストを大幅に削減する可能性があることを明らかにした。

研究成果は2020年8月17日付「ACS Biomaterials Science & Engineering(米国化学会バイオマテリアルズ・サイエンス&エンジニアリング)」に掲載された。

研究成果

本研究はモデル有機材料として広く用いられている、自己組織化単分子膜(Self-Assembled Monolayer:SAM)[用語4]の材料特性(水の接触角[用語5]、SAMへのタンパク質吸着量)を、世界で初めてSAMを構成する分子構造から予測した。

この成果は過去の文献からデータを抽出して独自のデータベースを構築し、人工ニューラルネットワーク[用語6]モデルを用いた機械学習を用いて達成した(図1及び2)。さらに未知の材料の材料特性の予測にも成功、本手法が材料のスクリーニングに応用可能であることを示した。将来的には材料開発のコスト・時間の大幅な削減に繋がることを明らかにした。

人工ニューラルネットワークを用いた機械学習の概略図

図1. 人工ニューラルネットワークを用いた機械学習の概略図

機械学習を用いた水の接触角とタンパク質吸着量の実験値と予測値の比較。点線(y = x)に近いほど予測が正確であることを示す。

図2. 機械学習を用いた水の接触角とタンパク質吸着量の実験値と予測値の比較。
点線(y = x)に近いほど予測が正確であることを示す。

背景

情報科学を活用した材料設計は触媒、バッテリー材料などの固体材料の分野で多くの成功例が報告されている。これらの例では、計算科学を活用して構築する大規模な材料の化学構造と物性(材料機能)のデータベース(ビッグデータ)が重要な役割を果たす。一方で、生体材料の機能、例えば生体分子・細胞の接着などは、計算科学で予測することができず、生体材料(バイオマテリアル)の分野における材料設計の成功例は極端に少ない。

生体材料へのタンパク質などの生体分子の吸着、細胞の接着は最も基本的な生体材料の特性であるが、定量的な予測は今まで実現されていなかった。そのため生体材料の設計は従来からの"試行錯誤"的なアプローチ(実際に材料を作り、その特性を解析し、次の材料設計にフィードバックする)に頼らざるを得ないのが現状であり、材料開発の時間やコストという面で非常に非効率だった。

研究の経緯

林准教授らは生体材料と生体分子・細胞との相互作用を系統的に調べるためのプラットフォームの開発を続けてきた。特に、材料表面上で化学組成が位置によって連続的に変化する傾斜表面(Langmuir 2015, 31, 7100. Japanese Journal of Applied Physics 2009, 48, 095503など)など、材料の化学組成と生体分子・細胞の応答に関するビッグデータを系統的に取得するための手法を提案してきた。また、過去の文献データからの情報抽出も行い、これらのデータを融合させ、情報科学的な手法で未知の材料を設計することを発案した。

今後の展開

現在も継続的にデータベースの規模を拡大中である。材料の化学構造の記述方法も改良を続け、数年以内に3大バイオマテリアルである、高分子、セラミクス、金属への応用も可能とし、本手法の応用可能範囲を広げる予定である。特に産(実際の材料開発現場での応用)、学(未知材料の開発)、官(データベースの公開)と広く連携を進める。

付記

本研究は科学研究費補助金(課題番号:JP19H02565、JP20H05210)、およびJSTさきがけの支援で行われました。

用語説明

[用語1] 機械学習 : コンピューターにデータを読み込ませ、あるアルゴリズムに基づいて分析させる手法。データを反復的に学ばせることによって、そこに潜む特徴やパターンを見つける手法。

[用語2] 生体材料(バイオマテリアル) : 主にヒトの生体に移植することを目的とした素材のこと。具体的な生体材料としては人工関節やデンタルインプラント、人工骨および人工血管用の素材などが該当する。

[用語3] 濡れ性 : 固体表面に対する液体の親和性(付着しやすさ)を表すもの。液体が水の場合には、濡れ性は親水性や疎水性という言葉でも表される。

[用語4] 自己組織化単分子膜(Self-Assembled Monolayer:SAM) : 固体材料表面上において、有機分子が基板との相互作用、分子間相互作用によって、有機分子が高い秩序性を持って、単分子膜を形成する現象を利用した固体表面の改質方法。基板と分子の組み合わせは、金-チオール、シリコン-シラン、酸化物-リン酸などがある。

[用語5] 水の接触角 : 材料の水に対する親和性の指標。材料表面に水滴を置き、その水滴の水面と材料表面のなす角度。疎水性(親水性)が高い程、接触角は大きく(小さく)なる。

[用語6] 人工ニューラルネットワーク(Artificial Neural Network:ANN) : シナプス結合で相互結合した神経細胞の構造に類似した情報処理のための数理モデル。各要素(ニューロン)は異なる結合強度でネットワークを形成する。機械学習の過程において、結合強度は最適化される。

論文情報

掲載誌 :
ACS Biomaterials Science & Engineering
論文タイトル :
Data-driven prediction of protein adsorption on self-assembled monolayers toward material screening and design.
著者 :
Kwaria, R. J.; Mondarte, E. A.; Tahara, H.; Chang, R.; Hayashi, T.
DOI :
<$mt:Include module="#G-07_物質理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 物質理工学院 材料系

准教授 林智広

E-mail : tomo@mac.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5400

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
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