Quantcast
Channel: 更新情報 --- 研究 | 東工大ニュース | 東京工業大学
Viewing all 2008 articles
Browse latest View live

異分野融合研究支援 2019年度 3チームを支援

$
0
0

東京工業大学は3月12日、2019年度の「異分野融合研究支援」に学内の3研究チームを選びました。

東工大は新しい研究分野を生み出すため、既存の研究分野にとらわれない異分野融合を推進する共同研究に取り組んでいます。異分野融合研究支援は、学内における研究分野の多様性を生かした異分野融合研究を目的とし、分野を横断した研究チームに対して研究費の支援を行うものです。研究領域が異なる場合のみではなく、「異なる技術、手法の組み合わせにより、既知の学問を超えた革新的な知見・知識の創出が期待できる場合」も、本支援の対象としています。東工大基金を活用して2018年度、創設されました。

第2回目となる2019年度は、工学院 機械系の石田忠准教授、環境・社会理工学院 融合理工系の齋藤健太郎助教、科学技術創成研究院 化学生命科学研究所の野本貴大助教を研究代表者とする3チーム計8名の研究者が選ばれました。

異分野融合研究支援 2019年度 3チームを支援

「異分野融合研究支援」採択者一覧

所属
職名
氏名
* は研究代表者)
研究課題名
准教授
多種特性を有した細菌創生のためのマイクロ流路デバイスの開発
助教
助教
電波伝搬環境をアクティブ制御できるコンクリート建材の研究
准教授
助教
助教
ナノ粒子のバイオ合成制御と波動エンジニアリングの融合による腫瘍ナノバリオロジーの究明と革新的薬物送達技術の開発
助教
助教

石田忠准教授チームの研究紹介

石田忠准教授チームの研究紹介 - 多種特性を有した細菌創生のためのマイクロ流路デバイスの開発

齋藤健太郎助教チームの研究紹介

齋藤健太郎助教チームの研究紹介 - 電波伝搬環境をアクティブ制御できるコンクリート建材の研究

野本貴大助教チームの研究紹介

野本貴大助教チームの研究紹介 - ナノ粒子のバイオ合成制御と波動エンジニアリングの融合による腫瘍ナノバリオロジーの究明と革新的薬物送達技術の開発

支援決定通知書授与式について

支援決定通知書授与式は新型コロナウイルス感染症の感染予防対策の観点から延期されました。

東工大基金

この取り組みは東工大基金によりサポートされています。

東工大への寄附 > 東京工業大学基金

お問い合わせ先

研究推進部 研究企画課 研究企画第1グループ

E-mail : kenkik.kik1@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2327


ナノ材料と色素分子の融合で人工光合成を実現 水と太陽光から水素を製造する光触媒の開発を加速

$
0
0

要点

  • 酸化物ナノシートと色素分子を融合した可視光駆動型水分解光触媒を開発
  • 太陽光に多く含まれる可視光をエネルギー源に水から水素を製造
  • 色素増感型水分解光触媒における世界最高効率を達成

概要

東京工業大学 理学院 化学系の前田和彦准教授、大島崇義大学院生、西岡駿太大学院生(2018年度博士後期課程修了)らは、酸化物ナノシートと色素分子からなる複合材料が、可視光照射下で水から水素を効率良く生成する光触媒として働き、いわゆる「人工光合成」を実現できることを発見した。実験条件を最適化した結果、触媒性能を示すターンオーバー頻度は、従来の245倍の1,960(毎時)にまで向上し、外部量子収率は2.4 %に達した。

この光触媒の高い性能は、優れた可視光吸収能をもつルテニウム系色素の担体として、表面積が高く、電子伝達に有利な酸化物ナノシートを用い、電子移動を促進する工夫を施すことで実現した。前田准教授らの発見により、精密設計されたナノ材料を活用して太陽光エネルギーをクリーンな水素へ変換する、革新的な光触媒材料を創出できる可能性が見えてきた。さらに本研究で得られた材料設計指針は、色素増感型光触媒の開発を大きく促進すると期待される。

研究成果は4月14日、アメリカ化学会誌「Journal of the American Chemical Society」オンライン版に掲載された。

ルテニウム錯体吸着HCa2Nb3O10ナノシート上での水素生成のデザインイラスト。掲載誌のグラフィカルアブストラクトに使用されている。Adapted with permission. Copyright 2020, American Chemical Society.

ルテニウム錯体吸着HCa2Nb3O10ナノシート上での水素生成のデザインイラスト。掲載誌のグラフィカルアブストラクトに使用されている。Adapted with permission. Copyright 2020, American Chemical Society.

背景

水を水素と酸素に分解する光触媒の開発は、太陽光に多く含まれる可視光を化学エネルギーへと変換する「人工光合成」実現の観点から重要な課題である。酸化チタンに代表されるある種の金属酸化物は、合成が比較的容易で、化学的にも安定であることから、水分解の光触媒材料として広く研究されてきた。だが、そうした金属酸化物のほとんどでは、バンドギャップ[用語1]が大きいため、紫外光しか吸収できないことが大きな問題となっていた。

この問題の解決法として、可視光の吸収が可能な色素分子を金属酸化物上に吸着させ、可視光吸収により励起状態[用語2]となった色素からの電子(e-)移動を利用して、水から水素を製造するシステムが提案されてきた(図1)。このシステムは色素増感太陽電池と同じ原理で駆動することから、色素増感型光触媒と呼ばれ、半世紀に渡って世界中で研究されてきたが、効率の向上が課題となっていた。

図1. 酸化物と色素分子を組み合わせた可視光駆動型水分解光触媒。

図1. 酸化物と色素分子を組み合わせた可視光駆動型水分解光触媒。

研究成果

前田准教授らはこれまでの研究で、酸化物ナノシート[用語3]KCa2Nb3O10の積層空間に白金(Pt)ナノ粒子[用語4]を内包したナノ構造体を開発し、これが紫外光照射下で効率良く働く水分解光触媒となることを明らかにしていた(参考文献1)。今回、類似組成の酸化物ナノシートHCa2Nb3O10に色素分子としてルテニウム錯体を吸着させたものを水素生成光触媒に用いたところ、酸化タングステン系の酸素生成光触媒とヨウ素系電子伝達剤(I3-/I-)の存在下において、可視光により、水を水素と酸素に完全分解できることを発見した(図2)。さらに、アモルファス[用語5]状の酸化アルミニウムをあらかじめ付着させた、酸化アルミニウム修飾Pt/HCa2Nb3O10ナノシートを使用することで、水分解反応が大幅に促進されることを突き止めた。この反応機構をレーザー分光で調べたところ、酸化アルミニウムの存在によって、ヨウ化物イオン(I-)からルテニウム錯体の電子供給過程が高速化されていることが確認され、このことが高活性化に寄与していることが明らかとなった。

最終的な触媒性能を示すターンオーバー頻度[用語6]は1,960(毎時)に、外部量子収率[用語7]は2.4 %(420 nmでの値)に達した。これらの値は、これまでに報告されてきた類似の光触媒系を大きく超え、世界最高値となった。類似の層状HCa2Nb3O10を用いて同様の操作を行っても高活性には至らず、ナノシートの活用が高活性化において不可欠であることもわかった。

図2. 酸化アルミニウム修飾Pt/HCa2Nb3O10ナノシートとルテニウム色素を組み合わせた複合材料を水素生成光触媒とした、水の可視光完全分解システム。酸化タングステン系光触媒を酸素生成系に用い、ヨウ素系電子伝達剤(I3-/I-)で水素/酸素生成系間の電子伝達を行っている。

図2.
酸化アルミニウム修飾Pt/HCa2Nb3O10ナノシートとルテニウム色素を組み合わせた複合材料を水素生成光触媒とした、水の可視光完全分解システム。酸化タングステン系光触媒を酸素生成系に用い、ヨウ素系電子伝達剤(I3-/I-)で水素/酸素生成系間の電子伝達を行っている。

今後の展開

これまで、色素増感型光触媒では、色素分子の耐久性や担体酸化物の制約があることから、水の水素と酸素への完全分解が可能な高性能の光触媒を創出することは困難と考えられてきた。今回の前田准教授らの発見により、精密設計されたナノ材料を色素増感型光触媒の部材として活用することで、太陽光エネルギーを化学エネルギーへ変換する革新的な機能材料を創出できる可能性が見えてきた。

今後、可視光吸収を担う色素の分子設計や類似ナノシート材料を検討することで、色素増感型光触媒のさらなる性能向上が見込まれる。本研究成果が、太陽光エネルギー変換を指向した色素増感型光触媒の開発を大きく促進すると期待される。

付記

本研究は米国ペンシルベニア大学のThomas E. Mallouk教授、産業技術総合研究所の佐山和弘博士、三石雄悟博士、物質・材料研究機構の木本浩司博士、柳澤圭一博士、江口美陽博士、新潟大学の由井樹人准教授、本学の石谷治教授、横井俊之准教授のグループとの共同で行った。

本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究B「金属酸化物ナノシートと第一遷移金属酸化物ナノ粒子からなる可視光水分解光触媒」(代表:前田和彦 東京工業大学 准教授)、同 新学術領域計画研究「複合アニオン化合物の新規化学物理機能の創出」(代表:前田和彦 東京工業大学 准教授)、公益信託ENEOS水素基金「エネルギー構造を制御したナノ構造金属酸化物/金属錯体ハイブリッド光触媒による高効率な可視光水素生成」(代表:前田和彦 東京工業大学 准教授)等の助成を受けて行った。

参考文献

1.
Takayoshi Oshima, Daling Lu, Osamu Ishitani, Kazuhiko Maeda, Angew. Chem., Int. Ed., 2015, 54, 2698-2702.

用語説明

[用語1] バンドギャップ : 半導体において、電子で占有されたバンドを価電子帯、空のバンドを伝導帯といい、価電子帯と伝導帯の幅の大きさをバンドギャップという。電子は伝導帯の下端を、正孔は価電子帯の上端を動く。

[用語2] 励起状態 : 光エネルギー(光子)を吸収した後の分子の状態のこと。光子を吸収する前の状態を基底状態という。

[用語3] ナノシート : ナノメートルオーダーの厚みとマイクロメートルオーダー以上の平面サイズをもった二次元材料の総称。一般的な三次元性の固体とは異なり、柔軟な構造と高い表面積を有するため、複合系の機能材料への応用研究が進められている。

[用語4] ナノ粒子 : ナノメートルオーダーのサイズをもった粒子の総称。一般的なマクロサイズの固体微粒子と比べて大きな表面積をもち、これに起因した特異な物性・機能性を示す。

[用語5] アモルファス : 原子やイオンが不規則に配列している固体。反対に、原子やイオンが三次元的な長距離秩序をもって配列している固体を結晶という。

[用語6] ターンオーバー頻度 : 触媒反応において、単位時間あたりに1個の触媒分子(あるいは活性点)が与える生成物数の最大値のこと。

[用語7] 量子収率 : ある反応系が吸収した光子数に対して、生成物を与えるのに使用された電子数の割合のこと。反射等の理由で反応系が吸収した光子数を厳密に計数できない場合、入射光子の全吸収を仮定して、外部量子収率、またはみかけの量子収率として表される。

論文情報

掲載誌 :
Journal of the American Chemical Society
論文タイトル :
An Artificial Z-Scheme Constructed from Dye-Sensitized Metal Oxide Nanosheets for Visible Light-Driven Overall Water Splitting
著者 :
Takayoshi Oshima, Shunta Nishioka, Yuka Kikuchi, Shota Hirai, Kei-ichi Yanagisawa, Miharu Eguchi, Yugo Miseki, Toshiyuki Yokoi, Tatsuto Yui, Koji Kimoto, Kazuhiro Sayama, Osamu Ishitani, Thomas E. Mallouk*, Kazuhiko Maeda*
DOI :
<$mt:Include module="#G-03_理学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 理学院 化学系

准教授 前田和彦

E-mail : maedak@chem.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2239 / Fax : 03-5734-2284

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

フェロモン受容機構が退化した哺乳類をゲノム解析で特定 哺乳類の鋤鼻器官進化に関する新たな知見

$
0
0

要点

  • 哺乳類261種についてフェロモン感覚に必須な2つの遺伝子を進化解析
  • この2つの遺伝子の機能を両方とも喪失した種を特定
  • フェロモン感覚が退化した哺乳類を新たにDNAレベルで見出すことに成功

概要

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の二階堂雅人准教授と総合理工学研究科の張子聡大学院生は、ゲノム情報が公開されている261種の哺乳類において、フェロモン受容機構[用語1]の中枢で働く遺伝子の進化解析により、フェロモン感覚が退化した生物種を新たに特定することに成功した。

フェロモンは動物の重要なコミュニケーション手段であるため多くの種で保存されている。しかし、上位の霊長類やクジラ、一部のコウモリ類では他の感覚器官が発達したことにより、フェロモン感覚が退化したことが知られていた。

今回の研究では、これらの種に加えて水棲哺乳類のマナティやアザラシ、カワウソの仲間と陸棲哺乳類のヨザルやフォッサ、ハーテビーストの仲間で、フェロモン受容に重要な2遺伝子の損壊および自然選択作用の緩みを検出した。

今回の発見は、哺乳類における鋤鼻器官[用語2]を介したフェロモン感覚の退化に関して新たな知見を与えるだけでなく、これらの動物における代替感覚の進化や、未知な部分の多い繁殖生態の解明につながることが期待される。

この研究成果は4月21日に英国の学術誌『Genome Biology and Evolution(ゲノム・バイオロジー・エボリューション)』に掲載された。

図1. 哺乳類の系統樹とフェロモン受容機構の収斂的な退化

図1. 哺乳類の系統樹とフェロモン受容機構の収斂的な退化


多くの哺乳類は鋤鼻器官を介したフェロモン受容機構を保持しているが、系統によってそれらを退化させていることが示唆された。黒実線:フェロモン受容機構を保持している種、灰色破線:今回の研究結果でフェロモン受容機構の退化が示された種、コウモリは系統によっては退化した種と保持している種が混在するため黒と灰色のまだら。

背景

我々ヒトは主に視覚や言語を用いてコミュニケーションするが、多くの哺乳類は視覚や言語が発達していないため、嗅覚に頼ってコミュニケーションしている。その嗅覚の中でも、異性の誘因や排卵誘発など、子孫を残すための生殖行動において重要な役割を果たしているのがフェロモンであり、多くの哺乳類はこのフェロモン感覚を保持している。

しかし、一部の哺乳類ではこの重要なフェロモン感覚が退化していることが示されてきた。例えばクジラは水棲環境への適応に伴いフェロモン感覚が退化した。他にはヒトやチンパンジーなどを含む上位の霊長類や一部のコウモリ類でフェロモン感覚が退化しており、これはそれぞれのグループにおける視覚や反響定位能力[用語3]の発達とのトレードオフの結果だと考えられている。

哺乳類は鼻の先端部に鋤鼻器官というフェロモン受容に特化した器官を持っており、フェロモン感覚の退化は鋤鼻器官の縮小・喪失といった解剖学的な特徴によっても強く示唆されてきた。しかし退化が形態的な変化を伴うまでには長い時間を要するため、例えば鋤鼻器官のわずかな縮小が機能の退化を反映しているものなのかどうかを、解剖学的な情報に頼って判断するのは困難である。また、解剖学的な研究の難しい希少種や大型種は鋤鼻器官の記載すらされてないこともある。

それに対し、特定の器官で働く遺伝子はその器官の退化とともに急速にDNA変異を蓄積することが分かっている。つまり、鋤鼻器官の機能に関わる遺伝子配列を解析すれば、その種における鋤鼻器官を介したフェロモン感覚の退化を客観的に検証することが可能になる。昨今では希少種も含めた実に多様な哺乳動物の全ゲノム配列データが公開され始めており、ゲノム解析の技術と知識さえあれば、あらゆる遺伝子の配列を取得できるようになったのも研究推進の追い風となっている。

研究成果

今回はゲノム情報が公開されている全261種(研究開始当時)に渡る哺乳類について、ancV1R[用語4]とTRPC2という2つの遺伝子配列を単離した。ancV1Rは2018年に二階堂准教授らの研究グループによって新規に発見された遺伝子で、鋤鼻器官の全体に発現し、脊椎動物の進化の過程で4億年も保存されてきたことが分かっている。そしてTRPC2は鋤鼻神経において神経伝達の根幹の担う遺伝子である。

二階堂准教授らは、これらの2つの遺伝子について、遺伝子の機能を破壊するDNA変異の有無と遺伝子に働く自然選択圧の緩み[用語5]を検証した。その結果、鋤鼻器官が退化したことが分かっているクジラ、上位の霊長類、一部のコウモリ類については、どの種においても上記のDNA変異と自然選択圧の緩みが検出された(図1)。そのため、解析に用いた2つの遺伝子の機能欠損が、鋤鼻器官を介したフェロモン感覚の退化を予測する有効なマーカーになりうることが示された。

さらに、上記の種だけでなく哺乳類全体について網羅的な進化解析をおこなったところ、水棲哺乳類ではマナティ、カワウソ亜科(カワウソ・ラッコ)、アザラシ科、陸棲哺乳類ではヨザル、フォッサ、ハーテビースト亜科において、ancV1R、TRPC2ともに、遺伝子の機能を破壊するDNA変異と自然選択圧の緩みの両方が検出された(図1)。

上記の種は鋤鼻器官の退化に関して現在も議論が続けられていたり、鋤鼻器官の解剖学的な記載すらなかったりする種である。今回の結果はこれらの種においても鋤鼻器官やフェロモン感覚が退化している可能性をDNAレベルで提示したものと言える。マナティやカワウソ亜科、アザラシ科におけるフェロモン感覚の退化はクジラと同様に水棲適応に伴って起きたと予想できる。そうすると、クジラが反響定位能力を発達させたように、これらの種においてもフェロモンに代わる何か別の感覚を発達させて異性の誘引や繁殖をおこなっているのかも知れない。

また、ヨザル、フォッサ、ハーテビーストなどはいずれも希少な動物であり、その繁殖生態に関する記載はごく限られたものだった。今回の研究はこのような生態のよく分かっていない種についても、網羅的なゲノム比較解析を通じて思いもよらない新たな発見があることを示した。

今後の展開

今回の研究でフェロモン感覚の退化が新たに示唆されたグループについては、解剖学・生態学を専門とする研究者と分野横断的に共同研究を進め、鋤鼻器官の詳細な観察や野外における繁殖行動の調査を予定している。加えて、解析の対象となる種や遺伝子を増やすことで、フェロモンの受容機構がどのような過程を経て退化に至ったのかを明らかにすることができると考えている。

そして、上記の種において鋤鼻器官の代替えとなる感覚器官を探っていくことにより、研究者がこれまでに気づくことすらなかった、まだ見ぬ哺乳類の進化の多様性を見出していく研究を進めていく方針である。

謝辞

本成果は主に、文部科学省(MEXT)/日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金、旭硝子財団、倉田記念日立科学技術財団のサポートを受けて行われた。

論文情報

掲載誌 :
Genome Biology and Evolution
論文タイトル :
Inactivation of ancV1R as a predictive signature for the loss of vomeronasal system in mammals
著者 :
Zicong Zhang and Masato Nikaido
DOI :

用語説明

[用語1] フェロモン受容機構 : フェロモンを感知してから脳が認識するまでの一連の経路とそのメカニズム。哺乳類のフェロモンのほとんどは匂いと同様に揮発性の小分子である。しかし、匂いとフェロモンはまったく異なる経路を経由して脳に認識され、異なる結果をもたらす。匂いの刺激は嗅神経から脳の主嗅球を経由して大脳皮質に至ることで認識される。一方で、フェロモンの刺激は鋤鼻神経と脳の副嗅球を経由して視床下部に至ることで内分泌系や自律神経系を直接駆動する。

[用語2] 鋤鼻器官(じょびきかん) : 両生類、爬虫類、哺乳類が持つフェロモン受容に特化した嗅覚器官である。匂いを感じる主嗅上皮(いわゆる鼻の粘膜)とは独立している。通常鼻腔の先端にあるが種によって形態が多様である。例えばウシなどでは口腔と鋤鼻器官がトンネルで繋がっている。爬虫類では鼻腔から断絶しており口腔の先端部に存在する。発見者の名前にちなんでヤコブソン器官とも呼ばれる。我々ヒトでは鋤鼻器官は退化していると考えられている。

[用語3] 反響定位能力 : 動物が音波を発しその反響を利用して周囲の環境の知覚や獲物の察知に役立てる方法。人間に馴染みの深いところとしては超音波診断として応用されている。哺乳類ではクジラやコウモリが独立に獲得しており、反響解析のための独自組織や聴覚などをそれぞれ発達させている。コミュニケーション手段としても用いられている。

[用語4] ancV1R : 脊椎動物のフェロモン受容体遺伝子群V1Rのうちの1つ。通常のV1R受容体と異なり、鋤鼻器官の神経細胞の全体に発現しており、フェロモン受容の根幹的な役割を果たすと予想されている。脊椎動物の進化の過程で4億年以上も保存されてきた唯一のV1Rであり、その起源がシルル紀まで遡ることからancV1R (ancientの意味)と名付けられた。2018年に東工大を中心とする研究グループによる成果。

ほぼ全ての脊椎動物に共通するフェロモン受容体を発見|東工大ニュース

[用語5] 自然選択圧の緩み : 遺伝子に対する変異(塩基置換)は、タンパク質の配列を変える変異(非同義置換)と、変えない変異(同義置換)に分けることができる。非同義置換は遺伝子機能に悪影響を与える確率が高く、同義置換は中立と予想される。一般に、機能遺伝子では非同義置換率が同義置換率よりも低いが、機能を失った遺伝子では非同義置換率が同義置換率に近づくと予想され、これが選択圧の緩みとして検出される。

<$mt:Include module="#G-11_生命理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

研究に関すること

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系

准教授 二階堂雅人

E-mail : mnikaido@bio.titech.ac.jp
Tel : 03-5734–2659 / Fax : 03-5734-2946

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

宇宙空間に流出する月の炭素を初観測 月誕生の定説を覆す発見

$
0
0

要点

概要

大阪大学 大学院理学研究科の横田勝一郎准教授・寺田健太郎教授らが率いる研究グループは、月周回衛星「かぐや」のプラズマ観測装置[用語3]によって月の表面全体から流出する炭素を世界で初めて観測しました(図1)。この観測結果から月には誕生時から炭素が存在することが強く示唆されます。

図1. 月から流出する炭素(イメージ図)。太陽照射を受けて炭素が月表面から放出し電離され、周囲の電場方向(図の場合は上向き)に運動する。

図1.
月から流出する炭素(イメージ図)。太陽照射を受けて炭素が月表面から放出し電離され、周囲の電場方向(図の場合は上向き)に運動する。

巨大衝突によって形成されたと考えられていた月には、炭素などの揮発性物質は存在しないとこれまで考えられていました。今回の観測成果から、月の誕生について揮発性物質を残らず蒸発させる従来の巨大衝突モデルから、揮発性物質が残ることを許容する新しい月誕生モデルへの転換が期待されます。

本研究成果は、米国科学誌「Science Advances」に、5月7日(木)午前3時(日本時間)に公開されました。

研究の内容

これまで、アポロ計画によって持ち帰られた岩石試料から月には炭素などの揮発性物質は存在しないと思われていました。月に揮発性物質が無いという考え方は、原始地球に飛来した火星サイズの天体(地球の半分)との巨大衝突によって月が誕生する「巨大衝突説」の根拠の一つにもなっていました。ところが最近になって、高精度化した分析装置によってアポロ試料から僅かながら水や炭素などの揮発性物質の発見が報告され始めました。水については月周回衛星による直接観測の報告が昨年出たばかりです。

一方で、他の揮発性元素である炭素の観測は周回衛星からの観測からは見つけることが出来ませんでした。本研究グループは、「かぐや」に搭載されたプラズマ質量分析装置の観測データから太陽光によって光電離された月の脱ガス物質を調べて、月の表面全体から恒常的に炭素イオンが流出していることを明らかにしました(図2)。

図2. 月から流出する炭素イオンの流量マップ

図2. 月から流出する炭素イオンの流量マップ

今回の観測では炭素イオンの流出量を見積もり、その地域差(新しい年代の海からの流量が高地からの流量より大きい)も明らかとなりました。炭素は太陽風や宇宙塵から月に運ばれてきてもいますが、月が元々炭素を含有していないと説明がつかない結果となりました。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

旧来の巨大衝突による月誕生進化モデルでは、月には誕生時から水や炭素など揮発性物質が存在しない(ドライ説)とされましたが、揮発性物質はある程度含まれていたという新たな考え方(ウェット説)が最近提唱されました。計算機環境の発展と共に、揮発性物質の存在を許す巨大衝突モデルも報告されています。本研究成果による炭素の発見は、私たちの月の誕生と進化をウェット説の観点で再考する大きな契機となることが期待されます。

JAXAの水星探査機ベピコロンボ/MIO(みお)や、火星衛星フォボス探査機Martian Moons eXploration(MMX)でも、「かぐや」と同じような質量分析装置による観測も予定されています。水星や火星の月フォボスから流出するイオンを観測することで、各天体の起源や進化に迫る研究など太陽系科学への大きな貢献が期待されます。

研究者のコメント

 質量分析装置は実験室での隕石やアポロ/はやぶさサンプル分析などに利用されていますが、太陽系探査機に搭載して現場で分析することも出来るようになってきました。今回の観測は私が学生の頃に開発した質量分析装置にて行われましたが、更に高性能化した質量分析装置も現在開発中です。今後の太陽系探査で質量分析装置の活躍がますます期待されます。(横田勝一郎 大阪大学 准教授)

付記

本研究は、横田勝一郎、寺田健太郎(大阪大学 大学院理学研究科)、齋藤義文、浅村和史、西野真木、綱川秀夫(JAXA宇宙科学研究所)、加藤大羽(日立製作所)、清水久芳(東京大学 地震研究所)、高橋太(九州大学 理学研究院)、渋谷秀敏(熊本大学)松島政貴(東京工業大学 理学院)により行われました。

用語説明

[用語1] 月周回衛星「かぐや」 : 宇宙航空研究開発機構(JAXA)の月周回科学観測衛星。2007年9月に打ち上げられ、2009年6月まで主に月の全球マッピングを目的とした月全表面の元素組成、鉱物組成、地形、表面付近の地下構造、磁気異常、重力場の観測を行った。

[用語2] 巨大衝突 : 月誕生モデルの一つ。原始地球に火星サイズの小惑星が衝突することで月の形成を説明している。旧来の巨大衝突モデルでは衝突時の月は高温状態の火球となるため、揮発性物質が残ることを許さなかった。

[用語3] プラズマ観測装置 : 月周辺でのプラズマ環境計測を目的とし、2台の電子分析器、2台のイオン分析器(うち1台は質量分析装置付き)、及び磁力計にて構成される。

論文情報

掲載誌 :
Science Advances(オンライン)
論文タイトル :
KAGUYA observation of global emissions of indigenous carbon ions from the Moon
著者 :
Shoichiro Yokota, Kentaro Terada, Yoshifumi Saito, Daiba Kato, Kazushi Asamura, Masaki N. Nishino, Hisayoshi Shimizu, Futoshi Takahashi, Hidetoshi Shibuya, Masaki Matsushima, Hideo Tsunakawa
DOI :
<$mt:Include module="#G-03_理学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 理学院 地球惑星科学系

助教 松島政貴

E-mail : masaki.matsushima@eps.sci.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3303 / Fax : 03-5734-3537

大阪大学 大学院理学研究科 宇宙地球科学専攻

准教授 横田勝一郎

E-mail : yokota@ess.sci.osaka-u.ac.jp
Tel : 06-6850-5496 / Fax : 06-6850-5480

熊本大学 大学院先端科学研究部(理学系) 地球環境科学分野

教授 渋谷秀敏

E-mail : shibuya@kumamoto-u.ac.jp
Tel : 096-342-3417

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

大阪大学 理学研究科 庶務係

E-mail : ri-syomu@office.osaka-u.ac.jp
Tel : 06-6850-5280 / Fax : 06-6850-5288

熊本大学 総務部 総務課 広報戦略室

E-mail : sos-koho@jimu.kumamoto-u.ac.jp
Tel : 096-342-3269 / Fax : 096-342-3110

九州大学 広報室

E-mail : koho@jimu.kyushu-u.ac.jp

粒子混雑効果による自発的なラチェット輸送に成功 外部操作を必要としない微小ロボット集団の制御に期待

$
0
0

要点

  • 外部のポテンシャル操作不必要の新原理による集団のラチェット輸送を実現
  • 粒子混雑効果でラチェット型ポテンシャルが自発的にON/OFFスイッチング
  • アクティブマター物理学やLab-on-a-chipのための粒子操作技術に貢献

概要

東京工業大学 情報理工学院 情報工学系の瀧ノ上正浩准教授と早川雅之日本学術振興会特別研究員(現・理化学研究所)らは、定常的なラチェット型ポテンシャル[用語1]のもとで、粒子同士の相互作用によって自己組織的に粒子が輸送される集団輸送方法の開発に成功した。

瀧ノ上准教授らは輸送される粒子間の相互作用を利用し、時間変化させないラチェット型ポテンシャルのもとで自己推進力を持たないマイクロ粒子を集団的に輸送することを実現した。また、この現象が粒子密度に依存して起こることを解明した。

今後は、粒子集団の運動原理を解明するアクティブマター物理学やソフトマター物理学[用語2]における基礎研究やLab-on-a-chipデバイス[用語3]内などのマイクロメートルスケール環境における粒子操作技術などの応用研究への貢献が期待される。

従来は非対称形状のラチェット型ポテンシャルによって粒子を輸送するラチェット輸送[用語4]では、ポテンシャル[用語5]の時間変化または粒子の自己推進力のいずれかが、輸送方向の方向性を出すために必要だった。

研究成果は4月7日にドイツの科学誌「Advanced Intelligent Systems(アドバンスト・インテリジェント・システムズ)」のオンライン速報版で掲載された。

研究の背景

近年のマイクロ加工技術の発展により、Lab-on-a-chipデバイス内などのマイクロメートルスケール環境における粒子操作技術は欠かせないものとなっている。中でも、非対称な周期ポテンシャル[用語6]を用いた粒子の輸送が注目されている。この輸送手法は、粒子の運動をラチェット型ポテンシャルのような非対称な周期ポテンシャル(トータルの勾配はゼロ)によって整流することが可能であり、ラチェット輸送と呼ばれる。

したがって、ラチェット輸送は輸送方向に沿ったマクロなポテンシャルの勾配を必要とせずに輸送を実現することができる。一般的に、ラチェット輸送では時間変化するポテンシャルまたは粒子の自己推進力のいずれかが必要である。

例として、フラッシングラチェット[用語7]と呼ばれる周期ポテンシャルのON/OFF切り替えを利用した手法が、ブラウン運動のような等方拡散する粒子の輸送を実現することが知られている。また、細胞のような自己推進粒子[用語8]は、ラチェット型に作られた立体障害などによって運動が整流され、一方向性の輸送[用語9]が可能になる。

瀧ノ上准教授らは今回、新たなラチェット輸送として、粒子間相互作用によって実現する集団的なラチェット輸送を提案した。以前の研究とは異なり、今回の研究では時間変化するラチェット型ポテンシャルも粒子自身の自己推進力も必要とせず、粒子密度が高い場合に生じる排除体積[用語10]的な粒子混雑効果[用語11]によって、自己組織的にあたかもラチェット型ポテンシャルがON/OFFされているような状況を自発的に生み出し、粒子集団が一方向に輸送される現象を実現した(図1)。

図1. 研究グループは粒子間相互作用によって実現する集団的なラチェット輸送を提案した。この輸送はノコギリ歯状マイクロ電極を使用して形成された、ラチェット型の定常静電ポテンシャルのもとで実現した。粒子密度が低い場合、粒子は安定点にトラップされ、一方向の輸送は観察されなかった。一方、粒子密度が高い場合、粒子集団内で生じる相互作用により疑似的にポテンシャルがOFFになり、粒子が一方向へ集団輸送された。

図1.
研究グループは粒子間相互作用によって実現する集団的なラチェット輸送を提案した。この輸送はノコギリ歯状マイクロ電極を使用して形成された、ラチェット型の定常静電ポテンシャルのもとで実現した。粒子密度が低い場合、粒子は安定点にトラップされ、一方向の輸送は観察されなかった。一方、粒子密度が高い場合、粒子集団内で生じる相互作用により疑似的にポテンシャルがOFFになり、粒子が一方向へ集団輸送された。

研究成果

瀧ノ上准教授らはノコギリ歯状マイクロ電極によって形成された非対称静電ポテンシャル[用語12]の下で、マイクロ粒子同士が相互作用することで輸送される集団輸送方法の開発に初めて成功した。実験はポリスチレンマイクロ粒子をノコギリ歯状マイクロ電極上に分散させ、定電圧を印加、その様子を観察することで行われた(図2)。

図2. (a)ノコギリ状マイクロ電極。二次元スライドガラス上に金をマイクロパターニングすることで作製された。(b)ノコギリ状マイクロ電極上に分散されたポリスチレンマイクロ粒子。(c)定電圧を印加することによって形成される静電ポテンシャル。(d)P0P1間における静電ポテンシャルのプロファイル。y方向に関して局所的には勾配があるものの、総和をとるとゼロになる。

図2.
(a)ノコギリ状マイクロ電極。二次元スライドガラス上に金をマイクロパターニングすることで作製された。(b)ノコギリ状マイクロ電極上に分散されたポリスチレンマイクロ粒子。(c)定電圧を印加することによって形成される静電ポテンシャル。(d)P0P1間における静電ポテンシャルのプロファイル。y方向に関して局所的には勾配があるものの、総和をとるとゼロになる。

電極間の粒子密度が低い条件では粒子は最も安定な位置である図3の線分PQ(点Pと点Qを結んだ線)上に制限され、一方向の輸送は観察されなかった。一方、粒子密度が高い条件では、粒子集団内の混雑効果により、粒子が一方向へ集団輸送された(図3)。それぞれの粒子は安定なPQ上に集まろうとするが、粒子の排除体積により存在できる粒子数が限られているため、PQ上を占有できなかった粒子が一方向へ輸送された。

図3. (a)前後運動を示す粒子のスナップショット(粒子密度が低い条件)。粒子は点Pと点Qを結んだ線分PQ上に制限され、一方向の輸送は観察されなかった。(b)粒子集団のスナップショット(粒子密度が高い条件)。粒子密度が高い条件では粒子が集団を形成し、一方向へ集団輸送されることが観察された。(c)個々の粒子のy変位を平均した値の時間変化。集団輸送によるy変位の増加がみられた。

図3.
(a)前後運動を示す粒子のスナップショット(粒子密度が低い条件)。粒子は点Pと点Qを結んだ線分PQ上に制限され、一方向の輸送は観察されなかった。(b)粒子集団のスナップショット(粒子密度が高い条件)。粒子密度が高い条件では粒子が集団を形成し、一方向へ集団輸送されることが観察された。(c)個々の粒子のy変位を平均した値の時間変化。集団輸送によるy変位の増加がみられた。

この結果は粒子に作用する静電気力、誘電泳動力[用語13]および衝突の効果を導入したモデルによるシミュレーションにおいても同様に確かめられた(図4)。さらに研究グループはノコギリ歯状マイクロ電極によって形成された非対称静電ポテンシャルを一次元のラチェット型ポテンシャルとして単純化し、数理モデルを構築した。

モデル内ではそれぞれの周期内に存在する粒子の数によってポテンシャルが弱まる。この単純化モデルは実験で観察された集団輸送現象を再現するだけでなく、粒子数(混雑度合い)と輸送スピードの非自明な非線形的依存性を明らかにした(図4)。

図4. (a)静電気力、誘電泳動力および衝突の効果を導入したモデルによるシミュレーションのスナップショット(粒子密度が高い条件)。一方向へ集団輸送されることが観察される。(b)個々の粒子のY変位を平均した値の時間変化。実験結果と同様に、粒子数が多い場合にのみ集団輸送が観察される。(c)単純化モデルによって計算された輸送度と混雑度の関係。単純化モデルでは、それぞれの周期内に存在する粒子の数によってポテンシャルが弱まる。混雑度が増加するにつれて輸送度が増加する一方で、混雑度がある値を超えると輸送度が減少し始める。

図4.
(a)静電気力、誘電泳動力および衝突の効果を導入したモデルによるシミュレーションのスナップショット(粒子密度が高い条件)。一方向へ集団輸送されることが観察される。(b)個々の粒子のY変位を平均した値の時間変化。実験結果と同様に、粒子数が多い場合にのみ集団輸送が観察される。(c)単純化モデルによって計算された輸送度と混雑度の関係。単純化モデルでは、それぞれの周期内に存在する粒子の数によってポテンシャルが弱まる。混雑度が増加するにつれて輸送度が増加する一方で、混雑度がある値を超えると輸送度が減少し始める。

今後の展開

今回の研究では新たなラチェット輸送として、研究グループは粒子混雑効果によって実現する集団的なラチェット輸送の原理を示した。この集団輸送において、粒子には主に衝突と電気的相互作用の力が加わる。

したがって、今後はサンプルの形状や大きさ、電気的パラメーターと集団輸送の関係を考えることで、輸送速度や方向を選択するより高度な集団輸送原理の開発につながる。将来的には、Lab-on-a-chipなどのマイクロメートルスケール環境における柔軟性と賢さを兼ね備えた高度なサンプル輸送の手法としての発展が期待される。

付記

本研究成果は、文部科学省 科学研究費補助金の支援のもとで得られたものである。また東京工業大学の岸野友輔学部生(当時)との共同研究である。

用語説明

[用語1] ラチェット型ポテンシャル : ラチェットとは爪車のこと。図1に示してあるような、極小点の左右で傾きが異なるノコギリ歯の形状を持つ周期ポテンシャル。

[用語2] アクティブマター物理学やソフトマター物理学 : アクティブマターはエネルギーを消費して運動を持続する物質・物体、およびそれらの集合体を対象とする物理学。ソフトマターは高分子や液晶、コロイド、両親媒性分子などの物質系を対象とする物理学。

[用語3] Lab-on-a-chipデバイス : チップ上に、フォトリソグラフィなどの微細加工技術を用いて作られた、反応・検出などを行う素子を統合したデバイス。サンプル消費量の少ない点や高い比表面積による反応時間の高速化などのメリットがあり、近年、顕著に発展している。

[用語4] ラチェット輸送 : ラチェット型ポテンシャルを利用し、Lab-on-a-chipデバイス内などの微小環境において、粒子などのサンプルを目的の場所に移動させること。

[用語5] ポテンシャル : 電気的なエネルギーなどの高低を表す指標。ポテンシャルが低い方が安定なので、一般に、物体などはポテンシャルが低い方へ動いていく。

[用語6] 非対称な周期ポテンシャル : ポテンシャルの安定な位置が空間的に偏っている場合、非対称なポテンシャルであるという。それが周期的に繰り返されている場合、非対称な周期ポテンシャルという。今回の研究では、ノコギリの歯のように周期的に並べられた電極の傾きが片方に偏っているため、非対称な周期ポテンシャルである。

[用語7] フラッシングラチェット : ラチェット型ポテンシャルのON/OFF切り替えと粒子の等方拡散を利用した輸送モデル。ラチェット型ポテンシャルの極小点にトラップされた粒子はポテンシャルがOFFになると粒子は等方的に拡散する。再びポテンシャルがONになると極小点にトラップされるが、ラチェット型ポテンシャルの極小点は非対称に偏っているため正味の輸送に方向性が出る。

[用語8] 自己推進粒子 : 周囲のエネルギーを利用して自発的に推進する粒子。例えば、遊走する細胞も自己推進粒子とみなすことができる。

[用語9] 一方向性の輸送 : ブラウン運動のようなランダムな運動には粒子集団全体を見ると特別な方向に動いているわけではないため、輸送方法としては適していない。逆に、粒子集団全体が同じ方向に揃って輸送されている時、一方向性の輸送という。

[用語10] 排除体積 : 物質が占有する空間(体積)。この空間には他の物質は入り込めない。

[用語11] 粒子混雑効果 : 多数の粒子が密集することで現れる効果。本研究では、マイクロ粒子の排除体積により、いくつかの粒子が非対称ポテンシャルの極小点を占有できなくなる効果を指す。

[用語12] 非対称静電ポテンシャル : 安定な位置が空間的に偏った電気的エネルギーに関するポテンシャル。

[用語13] 誘電泳動力 : 静電ポテンシャルの分布が不均一な場所で、ポリスチレンなどの誘電体に働く力。

論文情報

掲載誌 :
Advanced Intelligent Systems
論文タイトル :
Collective ratchet transport generated by particle crowding under asymmetric sawtooth-shaped static potential
著者 :
Masayuki Hayakawa, Yusuke Kishino, Masahiro Takinoue* (早川雅之、岸野友輔、瀧ノ上正浩*
DOI :
<$mt:Include module="#G-09_情報理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 情報理工学院 情報工学系

准教授 瀧ノ上正浩

E-mail : takinoue@c.titech.ac.jp / masahiro.takinoue@takinoue-lab.jp

Tel : 045-924-5680 / Fax : 045-924-5206

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp

Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

「がん遺伝子」として働くのか?組換え酵素Rad52が染色体異常を引き起こすことを発見 がん等の遺伝性疾患の治療薬開発に期待

$
0
0

要点

  • Rad52[用語1]反復配列[用語2]を介した染色体異常[用語3]を引き起こすことを発見
  • 染色体異常は発ガンの大きな要因であるが、その分子メカニズムは解明されていなかった
  • Rad52は多機能であるが、DNAアニーリング活性[用語4]が特異的に低下したRad52-R45Kを作成することで、染色体異常への関与が明らかに
  • 染色体異常により誘発されるガンなどの遺伝性疾患の治療薬の開発に期待

概要

図1. Red51によるDNA鎖交換を介した染色体の維持(左)とRed52によるDNAアニーリングを介した染色体異常(右)
図1. Red51によるDNA鎖交換を介した染色体の維持(左)とRed52によるDNAアニーリングを介した染色体異常(右)

大阪大学大学院理学研究科の中川拓郎准教授らの研究グループは、東京工業大学科学技術創成研究院の岩﨑博史教授、情報・システム研究機構国立遺伝学研究所の仁木宏典教授、明星大学理工学部の香川亘教授との共同研究により、組換え酵素Rad52が反復配列を介した染色体異常を引き起こすことを明らかにしました。

これまで、ヒトなどでは相同組換え因子BRCA2[用語5]Rad51[用語6]が正常に機能しないと、染色体異常が起こり、細胞がガン化することが知られていた(図1)。また、本研究で使用する分裂酵母[用語7]においても、Rad51遺伝子を破壊すると反復配列を「のりしろ」にした染色体異常が高頻度に起ることが知られていた。しかし、実際に、染色体異常が起きる分子メカニズムについては解明されていませんでした。

今回、中川拓郎准教授らの研究グループは、DNAアニーリング活性が低下した変異型酵素(図2)を用いることで、組換え酵素Rad52が染色体異常を引き起こすことを明らかにしました(図1)。染色体異常の誘導因子を同定したことで、今後、BRCA2などの遺伝子変異により生じる遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)[用語8]の治療薬の開発がより一層進むことが期待されます。

本研究成果は、Springer Nature社のオープンアクセス・ジャーナル「Communications Biology」に4月30日(木)18時(日本時間)に公開されました。

背景

染色体異常は発ガンの大きな要因であると考えられています。相同組換え因子BRCA2やRad51はDNA損傷の正確な修復に働きます。そのため、これらが機能しないと染色体異常が起こり、細胞がガン化することが知られていました。BRCA2遺伝子などに変異を持つ女性の約7割は80才までに乳がんを発症すると推定されています。こうした発ガンのリスクにも関わらず、これまで、染色体異常が起きる分子メカニズムは解明されていませんでした。

中川拓郎准教授らの研究グループは、組換え酵素Rad52が染色体異常を引き起こすこと明らかにしました。Rad52は多機能であるため、その役割を詳細に解析することが困難でした。そこで、DNAアニーリング活性が特異的に低下した変異型Rad52-R45Kを作成しました(図2)。そして、分裂酵母を用いて染色体異常の発生頻度を定量測定しました。その結果、Rad52のDNAアニーリング活性がゲノム上の反復配列を「のりしろ」にした染色体異常の発生に必要であることを明らかにしました。更に、本研究により、Rad52による染色体異常は、通常、DNA複製装置によって抑止されていることが示唆されました。

図2. Red52によるDNAアニーリング反応。Red52に比べてRed52-R45KはDNAアニーリング活性が低下している
図2.
Red52によるDNAアニーリング反応。Red52に比べてRed52-R45KはDNAアニーリング活性が低下している

興味深いことに、マウスではRad52を阻害すると発ガン率が低下することが知られています。また、ヒトのガン細胞ではRad52遺伝子のコピー数が増加している症例が報告されています。したがって、哺乳動物においても、Rad52は染色体異常を誘発する「がん遺伝子」として働くのではないかと考えられます。

研究成果が社会に与える影響(研究成果の意義)

これまで、染色体異常のメカニズムは解明されていなかった。今回、Rad52が染色体異常を誘発することが明らかになったことにより、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)などの治療薬の開発がより一層進むことが期待されます。

付記

本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金の基盤研究の一環として行われ、東京工業大学 科学技術創成研究院 岩﨑博史教授、情報・システム研究機構国立遺伝学研究所 仁木宏典教授、明星大学 理工学部 香川亘教授の協力を得て行われました。

論文情報

掲載誌 :
Communications Biology
論文タイトル :
DNA replication machinery prevents Rad52-dependent single-strand annealing that leads to gross chromosomal rearrangements at centromeres
著者 :
Onaka AT, Su J, Katahira Y, Tang C, Zafar F, Aoki K, Kagawa W, Niki H, Iwasaki H, & Nakagawa T.
DOI :

用語説明

[用語1] Rad52 : 酵母からヒトに至るまで広く真核生物に保存された蛋白質。酵母のRad52は相同組換え因子Rad51のDNA結合を促進する活性とDNAアニーリング活性を持つことが知られている。一方、ヒトのRad52は、DNAアニーリング活性のみが顕著である。

[用語2] 反復配列 : 同じ塩基配列が繰り返し現れるDNA配列を反復配列という。ヒトのセントロメア領域などに見られる連続的な反復配列と、SINE配列やLINE配列のように様々な染色体上に現れる散在的な反復配列が存在する。

[用語3] 染色体異常 : 転座、逆位、欠失など染色体の大きな変化。染色体異常が起きると、重要な遺伝子が壊れたり、遺伝子のコピー数が増加したりすることで、癌をはじめ様々な遺伝病が起こりうる。

[用語4] DNAアニーリング活性 : 相補的な塩基配列を持つ1本鎖DNAどうしを対にして2本鎖DNAを形成する活性です。Single-strand annealing(SSA)活性とも呼ばれる。

[用語5] BRCA2 : Breast Cancer 2の略。BRCA1(Breast Cancer 1)と同様、がん抑制遺伝子の1つであり、変異すると乳がんや卵巣がんのリスクが増大する。BRCA2はRad51のDNA結合を補助する活性を持つ。

[用語6] Rad51 : 酵母からヒトに至るまで広く真核生物に保存された蛋白質。Rad51は1本鎖DNAに結合し、それと相同な塩基配列を持つ2本鎖DNAとの間でDNA鎖交換を行う。傷を持たない2本鎖DNAを鋳型に使うことで、DNA損傷を正確に修復することができる。

[用語7] 分裂酵母(Schizosaccharomyces pombe : アフリカでビールの生産に使用されていた酵母であり、隔壁ができることで細胞分裂する。ヒトと共通した染色体構造を持つが、その数が3本しかなく解析しやすいので、染色体の研究に使用されることの多い真核生物の1種である。

[用語8] 遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC: Hereditary Breast and Ovarian Cancer) : BRCA1やBRCA2遺伝子の変異を原因とする遺伝性腫瘍であり、これらの遺伝子変異によりがん発症率が約10倍高くなる。日本人女性の乳がんの約5%がHBOCであると言われている。こうした遺伝子に変異が見つかった米国女優が、がん発症前に乳房などを切除したことが話題となった。

お問い合わせ先

研究に関すること

大阪大学 大学院理学研究科 生物科学専攻

准教授 中川拓郎

E-mail : takuro4@bio.sci.osaka-u.ac.jp
Tel : 06-6850-5432

東京工業大学 科学技術創成研究院 細胞制御工学センター

教授 岩﨑博史

E-mail : hiwasaki@bio.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5168

国立遺伝学研究所 遺伝形質研究系 微生物機能研究室

教授 仁木宏典

E-mail : hniki@nig.ac.jp
Tel : 055-981-6870

明星大学 理工学部 総合理工学科 生命科学・化学系

教授 香川亘

E-mail : wataru.kagawa@meisei-u.ac.jp
Tel : 042-591-5595

取材申し込み先

大阪大学 大学院理学研究科 庶務係

E-mail : ri-syomu@office.osaka-u.ac.jp
Tel : 06-6850-5280 / FAX : 06-6850-5288

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp

国立遺伝学研究所 リサーチ・アドミニストレーター室 広報チーム

E-mail : infokoho@nig.ac.jp
Tel : 055-981-5873 / FAX : 055-981-9418

明星大学 理事長室・学長室広報チーム

E-mail : koho@meisei-u.ac.jp

原子核の秩序「魔法数」の消失をフッ素同位体で発見 中性子数が過剰な極限原子核に現れる魔法数異常

$
0
0

要点

  • 中性子数が陽子数の2倍を超えるフッ素同位体:フッ素28(28F)の準位構造を初めて明らかに
  • フッ素同位体28Fで魔法数20が消えている証拠を得た
  • 魔法数の消失したフッ素同位体は、中性子星や宇宙における元素合成過程を理解する鍵ともなる
  • 二重魔法数が期待される未知の同位体、酸素28(28O)の構造を解く手がかりに

概要

東京工業大学 理学院 物理学系の近藤洋介助教、中村隆司教授、理化学研究所 仁科加速器科学研究センターの大津秀暁チームリーダー、上坂友洋室長らは中性子数が陽子数の2倍以上の原子核「フッ素28」(28F、陽子数9、中性子数19)の準位構造[用語1]を初めて明らかにした。フランスやドイツの研究機関・大学などとの国際共同による実験により実現した。

中性子と陽子でできている原子核は中性子数や陽子数が2、8、20、28、50、82、126個の時に特に安定なため、これらの数字は魔法数[用語2]と呼ばれている。最近、中性子数が陽子数より非常に多い原子核では従来知られていた魔法数が消失し、新しい魔法数が出現する「魔法数異常」という現象が見つかっている。

今回、フッ素28に魔法数異常の証拠となる侵入状態[用語3]を初めて発見した。魔法数異常は中性子数が過剰になっているという極限状態にある原子核において、中性子や陽子を結合させている「力」(核力)や安定性を理解する上でも重要である。これらは未だによくわかっていない中性子星の構造や宇宙における元素合成過程を理解する鍵にもなると期待される。

成果は4月16日に米国物理学会の学術誌「フィジカル・レビュー・レターズ(Physical Review Letters)」に掲載された。

共同実験に参加した海外機関:【フランス】重イオン加速器研究所(GANIL)、カン素粒子原子核研究所(LPC CAEN)、サクレー原子力庁(CEA-SACLAY)【ドイツ】重イオン研究所(GSI)、ダルムシュタット工科大学等

背景

天然に存在する原子核はほぼ同数の陽子と中性子からなり、観測できる宇宙の物質質量の99.9 %以上を占める基本的な粒子である。最近、地上の加速器施設では陽子数に比べ中性子数が2倍にも達するような短寿命の不安定核[用語4]が人工的に生成されるようになり、通常の原子核にはない性質が明らかにされつつある。一方、宇宙では超新星爆発や中性子星合体などの天体現象で中性子数が過剰な不安定核が瞬間的に生まれ、現在の宇宙の元素組成を決定づける重要な役割を果たしてきたと考えられている。

原子核は量子力学の法則に従う複合粒子であり、陽子や中性子は決められた軌道(席)のエネルギーの低い準位から埋められていく。そして特定の軌道準位が埋まると安定化するという性質がある。原子(原子核+複数の電子でできた系)では希ガスの安定性が知られているが、サイズが4桁小さい原子核の世界においても類似の安定性が存在する。

原子核の場合は陽子数または中性子数が2、8、20、28、50、82、126個の時、特に安定となる。この数字を魔法数と呼んでいる。魔法数は、従来の原子核物理学では、天然に存在する安定核から不安定核に至るまで「普遍的」と考えられてきた。しかし、不安定核の研究が進むにつれ、その代表格である中性子過剰核ではこれまで知られていた魔法数が消失する例が見つかり、一方で、新しい魔法数も発見された。つまり、魔法数が普遍ではないことがわかってきた。こうした魔法数異常の典型例が中性子過剰なマグネシウム(陽子数12)、ナトリウム(陽子数11)、ネオン同位体(陽子数10)における中性子魔法数20の消失である。図1には横軸を中性子数、縦軸を陽子数として表した原子核の地図、核図表を示している。魔法数20が消失した原子核群は核図表上で「逆転の島[用語5]」と呼ばれている。逆転の島内の原子核は、魔法数核の特徴である「球形」にはならず、ラグビーボール型の変形を示すことがわかっている。

魔法数20の破れがフッ素(陽子数9)や酸素(陽子数8)の同位体でも見られるかが魔法数異常のメカニズムを探る上で重要である。とりわけ酸素28(28O、陽子数8、中性子数20)という同位体に注目が集まっている。陽子・中性子ともに魔法数という稀有な二重魔法数核の候補だからである。28Oは現在、開発が急速に進んでいる原子核の第一原理計算[用語6]のベンチマークにもなる。これは中性子星の性質を決定づける基本方程式である中性子物質の状態方程式[用語7]の決定にも重要となる。

今回、研究の対象としたフッ素28(28F)は28Oと同じ質量数で、中性子と陽子を一個取り替えた原子核となっている。28Fが魔法数異常の核なのかそうでないのかは、現在未発見ながら今後研究が進むと期待される28Oの構造を予測する上でも重要である。28Fの先行研究は1例のみであり、統計量、分解能が十分とは言えないものであった。なお、この先行研究では28Fで魔法数20が維持されているという結論であった。

研究成果

近藤助教らの研究グループは理化学研究所(理研)の重イオン加速器施設RIBF(ラジオアイソトープ・ビームファクトリー)の基幹測定装置SAMURAIスペクトロメータ(多種粒子測定装置)を用いた実験で28Fを生成した。RIBFは世界最高性能を誇る不安定核生成装置である。48Ca(カルシウム48)をまず光速の70 %ほどに加速し、これとベリリウム標的との反応で29Ne(ネオン29)及び29Fを不安定核ビーム[用語8]として生成した。

28Fは2種類の反応で生成した。つまり、(1)29Neビームを陽子標的に入射し、29Neから陽子を1個剥ぎ取ることによって、また(2)29Fビームを陽子標的に入射し、29Fから中性子を1個剥ぎ取ることによって生成した。28Fは寿命が10-21秒未満程度であるため、中性子1個ないし2個を放出してすぐに崩壊する。

SAMURAIでこの崩壊過程をすべて検出し、28Fの詳細なエネルギースペクトル(エネルギー準位)を得た。本研究では国際協力による実験性能の大幅な向上が成功に導いた。その一つは理研とドイツのGSI及びダルムシュタット工科大学との協力に基づく中性子検出器NeuLANDのSAMURAIへの導入であり、もう一つは理研とフランスCEA-SACLAYとの協力に基づく液体陽子標的MINOSの導入である。

横軸を中性子数、縦軸を陽子数として表した原子核の地図、核図表を示している
図1.
核図表(陽子数:7≤Z≤12, 中性子数8≤N≤24)。 中性子数が陽子数の2倍に達するような中性子過剰核では魔法数が消失する「逆転の島」が現れる。28Fは不安定核の中でも「非束縛核」と呼ばれる同位体で、その基底状態が逆転の島の証拠を示す侵入状態であることがわかり、従来知られていた逆転の島の範囲(実線)がフッ素同位体の範囲(点線)まで拡がっていることが示された。

実験の結果、新たに10以上の励起状態を観測し、28Fの準位構造を初めて決定した。さらに、基底状態については運動量分布の測定から侵入状態であることが判明し、28Fにおいて魔法数20が消失していることが示された。つまり、逆転の島は核図表の南側である「フッ素」に拡がっていることが確定的となった(図1の点線の領域)。

今後の展開

今回の研究により、二重魔法数の候補原子核28Oにおいても魔法数の破れが見つかる可能性が高まった。27O、28Oの発見を目指した実験も近藤助教らが主導した本実験グループによってすでに行われており、実験データの解析が進んでいる。本研究の28Fに加え、今後27O、28Oの構造が判明すれば、原子核が極限状態(中性子数をこれ以上増やすことのできない極限)で魔法数が存在しうるのか、どのような核力、量子多体効果に支配されているかが明らかになり、現在、原子核の究極の理論ともなる第一原理計算の構築においても大きな役割を果たす。こうした第一原理計算は、核力や核構造の理解を飛躍的に進展させるだけでなく、より一般の量子多体系の理解、関連する中性子星や元素合成のメカニズム解明などでも大きな役割を果たすと期待されている。

謝辞

本研究は科研費・新学術領域研究(18H05404)、基盤A (16H02179)、物理学リーダーシッププログラムFGIP(東工大)、および、総合科学技術・イノベーション会議により制度設計された革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「核変換による高レベル放射性廃棄物の大幅な低減・資源化(プログラム・マネージャー:藤田玲子)」等の支援を受けて行われました。

参考文献

「不安定核の物理」(中村隆司著、共立出版、物理学最前線8)

用語説明

[用語1] 準位構造 : 原子核の構造はとびとびのエネルギー準位で特徴付けられ、それぞれの準位は決まったエネルギー(質量)、スピン、パリティ(偶奇性)を持つ。最低エネルギーの準位を基底状態、それ以外を励起状態と呼ぶ。

[用語2] 魔法数 : 原子核は何層かの殻からなる構造を持つとみなせる。一つの殻(軌道)に入る中性子や陽子の個数が決まっているため、その殻がすべて埋まる(殻が閉じる)とより安定になる。殻が閉じることによって安定化するその個数を魔法数と呼んでいる。従来知られていた魔法数は2、8、20、28、 50、82、126であり、その仕組みはノーベル賞受賞者であるメイヤーとイェンゼンによって説明された。しかし、最近の不安定核の研究から、中性子の多い原子核で8や20などの魔法数が消失すること(つまり殻構造が消失すること)、一方で、新しい魔法数16、32、34が発見されている。魔法数の消失や新魔法数の出現が魔法数異常である。

[用語3] 侵入状態 : 用語2で述べたそれぞれの殻はエネルギー順に並んでいる。しかし、この秩序が崩れ、通常ならエネルギーがより高い殻に起因する状態が基底状態(最小のエネルギーを持つ状態)や低い励起状態となる時、これを侵入状態と呼んでいる。殻の順番の逆転に起因し、魔法数異常を意味する。

[用語4] 不安定核 : 天然に存在する約270種の原子核を安定核と呼ぶ。一方、中性子数または陽子数が安定核より多くなると不安定になり、有限の寿命で崩壊する。このような原子核を不安定核あるいは放射性同位体(RI)と呼んでいる。不安定核には安定核より陽子の多い陽子過剰核、安定核より中性子の多い中性子過剰核がある。不安定核は、理研RIBFのような加速器施設で重イオンビームと原子核標的との反応によって生成でき、ビームとして取り出せる。用語8を参照のこと。

[用語5] 逆転の島 : 中性子数が20の原子核は、魔法数20で殻が閉じた安定的な球形構造となることが期待される。しかし、陽子数(=原子番号)が10、11、12のネオン(Ne)、ナトリウム(Na)、マグネシウム(Mg)同位体においては、中性子数20の場合でも強く変形していて、殻が閉じていないことがわかった(魔法数20の消失)。図1に示すように、魔法数20が消失した原子核が陽子数10〜12、中性子数20付近に島のように集まっていることから「逆転の島」と呼ばれている。

[用語6] 第一原理計算 : 原子核を構成する全ての中性子と陽子の自由度をとり入れ、中性子や陽子間の核力(自由空間における核子間力)から出発して核子多体系を量子力学的に解く多体計算。仮定や近似が最小限で、より根本原理に基づくため、実現すれば最も正確な原子核の多体計算になる。未知の原子核や中性子星の構造の予言、いまだ謎の多い3体核力の導出においても大きな役割を果たすと期待されている。原子核の第一原理計算は長い間、質量数10未満程度の軽い原子核でしか適用可能でなかったが、最近、多体計算技術や理論、計算機の進展で、より重い原子核においても実現しつつある。

[用語7] 中性子物質の状態方程式 : 無限個の中性子でできた物質を中性子物質と呼ぶ。高密度天体の中性子星はほぼ中性子だけでできていると考えられており、中性子物質と言える。中性子物質のエネルギーまたは圧力を中性子密度の関数で表したものを中性子物質の状態方程式と呼んでいる。この方程式が中性子星の半径や最大質量、最近重力波の観測で注目された中性子星合体現象で重要な鍵となる。しかし、未だに状態方程式の決定に至っていない。これは、中性子が過多な場合の核力や中性子相関の密度依存性がよくわかっていないためであり、本研究のような中性過剰核の研究が重要である。

[用語8] 不安定核ビーム : 加速された安定核のビーム(重イオンビームと呼ぶ)を高エネルギーで標的に衝突させ、原子核の反応(核破砕反応、飛行核分裂反応など)により、不安定核を生成することができる。この不安定核は重イオンビームの速度とほぼ同じ速度で生成することができ、磁気スペクトロメータ等による分離ののち二次的なビームとして実験に供される。これを不安定核ビームと呼んでいる。

論文情報

掲載誌 :
Physical Review Letters
論文タイトル :
Extending the Southern Shore of the Island of Inversion to 28F
著者 :
A. Revel et al.
DOI :
<$mt:Include module="#G-03_理学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

研究に関すること

東京工業大学 理学院 物理学系

教授 中村隆司

E-mail : nakamura@phys.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2652

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

理化学研究所 広報室 報道担当

E-mail : ex-press@riken.jp

透明領域でダイヤモンド光学フォノンの光制御を再現 拡張されたモデルで高精度な再現が可能に

$
0
0

要点

  • 透明領域における光学フォノンのコヒーレント制御に関する理論モデルを構築
  • 励起光パルスの重なった時間領域及び任意の光電場波形の取り扱いが可能
  • 超短パルス光を用いてダイヤモンドの光学フォノン量子状態を制御し、光干渉とフォノン干渉の結果を構築した理論モデルで再現

概要

東京工業大学 物質理工学院 材料系の木全哲也大学院生(博士後期課程3年)と科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所の中村一隆准教授らは、透明領域の超短パルス光を用いたコヒーレント光学フォノン[用語1]の量子状態を制御する理論モデルを構築した。さらにダイヤモンドを用いた実験を行い、光干渉とフォノン干渉[用語2]の実験結果を再現することに成功した。

振動準位および電子準位[用語3]で構成される系において、励起光パルス対の重なった時間領域についても光応答過程を計算することで、透明領域での光を用いてコヒーレント光学フォノンをコヒーレント制御[用語4]する理論モデルを新たに構築した。この理論モデルには任意の光電場波形[用語5]の取り扱いも可能である。

構築した理論モデルを検証するため、フェムト秒(fs)[用語6]以下の時間幅を持つ近赤外光パルスにより、ダイヤモンドコヒーレント光学フォノンの量子状態の制御実験を行った。励起パルス対[用語7]の重なった時間領域に対しても実験を行い、光干渉とフォノン干渉を観測した。この結果は理論モデルから計算される結果と良く一致することを確認した。

研究成果は5月4日(米国東部時間)に米国物理学会誌「Physical Review(フィジカル・レビュー) B」のオンライン版に掲載された。

研究成果

中村准教授らは2つの励起光パルスによる透明領域における光学フォノンのコヒーレント制御に関する理論モデルを構築した。

励起光パルス対の時間間隔を変化させることで、発生するコヒーレント光学フォノンの量子状態を制御することができる。この現象については、振動準位を2準位、電子準位を2準位の合計4準位レベル[用語8]の理論モデルにより、十分に励起光パルス対が離れている場合の光と物質の相互作用に関して、フォノンの生成・制御・計測過程まで含めた計算が行われている。

中村准教授らが新たに構築した理論モデルでは、励起光パルスの重なった時間領域に発現する現象も含めて取り扱うことができる。また、照射する光パルス波形及び光干渉を計測しておき、複数のガウス関数型パルス波形[用語9]でその波形を再現することで、パルスチャープ[用語10]まで含めた任意の光パルス波形を取り扱うことが可能となった(図1に計測した光パルス波形と再現した波形を示す)。

図1. 計測した光パルス波形と再現した波形。5つのガウス関数型パルス波形によって計測した光パルス波形を再現している。

図1.
計測した光パルス波形と再現した波形。5つのガウス関数型パルス波形によって計測した光パルス波形を再現している。

図2(a)は中村准教授らが構築した理論モデルから計算される結果を示している。振動の振幅を励起光パルス対の時間間隔に対して表示しており、25 fs周期の振動は40 THzのコヒーレント光学フォノンの干渉によるものである。また、励起光パルス対の時間間隔50 fs以内には、2.7 fs周期の振動が観察され、こちらは励起光パルス対の重なりに起因した光干渉の影響である。

構築した理論モデルを検証するため、ダイヤモンドに対して10 fs以下のパルス幅をもつ近赤外光を用いた時間分解透過光強度測定[用語11]を行った。励起光パルスを、高精度干渉計を用いて時間差が制御された光パルス対としてダイヤモンドに照射することで、ダイヤモンドコヒーレント光学フォノンの量子状態を制御し、観測光パルスの透過率変化を計測したところ、得られた透過率変化においても光干渉及びフォノン干渉が観察された(図2(b))。

図2. (a)理論モデルから計算される振幅と(b)2つ目の励起光パルスを照射した後の透過光強度の振幅の励起光パルス対時間間隔(横軸)依存性。木全大学院生と中村准教授らが新たに構築した理論モデルから計算される結果が実験結果を良く再現していることが分かる。

図2.
(a)理論モデルから計算される振幅と(b)2つ目の励起光パルスを照射した後の透過光強度の振幅の励起光パルス対時間間隔(横軸)依存性。木全大学院生と中村准教授らが新たに構築した理論モデルから計算される結果が実験結果を良く再現していることが分かる。

この実験結果は構築した理論モデルから計算される結果と良く一致しており、透明領域における光学フォノンのコヒーレント制御について新たに構築した理論モデルは、ダイヤモンドに対する取り扱いが可能であることを確認した。

研究の背景

コヒーレント制御技術はレーザーを用いて様々な量子状態を制御する技術の総称で、分子の振動回転状態の制御、化学反応の制御、固体中の原子運動の制御などに応用されている。これまでに、中村准教授のグループは超短パルス光により生じた25 fs周期で振動するダイヤモンドコヒーレント光学フォノンにより変化する透過率を実時間計測し、高精度に時間制御した光パルス対を励起に用い、ダイヤモンドコヒーレント光学フォノンの量子状態を制御することに成功している。

また、振動準位および電子準位で構成される系において光応答過程を計算、ダイヤモンドのコヒーレント光学フォノンに対するコヒーレント制御の理論モデルを構築し、実験結果を再現している。これまでの理論モデル及び計測は、十分に励起光パルス対が離れた場合に限られていた。今回の研究において、励起光パルス対の重なった時間領域も含めて取り扱うことができた。

今後の展開

今回、新たに構築した理論モデルによって、ダイヤモンドのコヒーレント光学フォノンの量子状態制御を、励起パルス対の重なった時間領域に発現する光干渉も含めて取り扱うことができた。今後、ダイヤモンドのような広いバンドギャップを持つ材料に対して計測・制御することにより、対象とする物質固有の光学フォノン生成・制御・計測過程といった光学特性を明らかにすることができると期待される。

付記

本成果はJSPS科学研究費助成事業15K13377、17K19051、17H02797、19K03696、19K22141および東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所 共同利用研究の支援を受けて得られた。

用語説明

[用語1] コヒーレント光学フォノン : 光学フォノンは光により直接生成できる結晶を構成する原子の集団振動である格子振動を量子化したもの。コヒーレント光学フォノンは、光学フォノンの振動周期よりも短いパルス幅の光パルスで励起することにより、振動のタイミングが揃った光学フォノンの集団が形成され、物質の反射率・透過率などのマクロな物理量を変化させるもの。

[用語2] 光干渉とフォノン干渉 : 光は電磁波であり、重ね合わせられるとタイミングによって、強くなったり弱くなったりする。このことを光干渉という。フォノンは固体内部に広がった格子振動の波であり、光と同様に干渉する。これをフォノン干渉という。

[用語3] 振動準位および電子準位 : 量子力学によれば、エネルギーはとびとびの値を取りうる。その離散化されたエネルギーの状態をエネルギー凖位と呼び、振動のエネルギーに対応する状態および電子のエネルギーに対応する状態を、それぞれ振動準位、電子準位という。

[用語4] コヒーレント制御 : コヒーレント制御はレーザーを使って物質の量子状態を制御する技術の総称。はじめは化学反応の制御に用いられた。最近では、固体中の電子、スピンやフォノンの量子状態制御に用いられている。

[用語5] 光電場波形 : 光は振動する電磁波であり、その電場の成分である波の形のこと。パルス光の場合には、電場振動に加えて光強度の時間変化に対応する包絡線の形を含む。

[用語6] フェムト秒 : フェムト秒は1,000兆分の1秒のことで、アト秒はフェムト秒のさらに1,000分の1の時間である。

[用語7] 励起パルス対 : 物質内に現象を引き起こすために照射するパルスを励起パルスという。この研究では、精緻に制御した2つの励起パルスを物質に照射しており、この2つのパルスを励起パルス対という。

[用語8] 4準位レベル : 量子力学によれば、エネルギーはとびとびの値を取りうる。その離散化されたエネルギーの状態をエネルギー凖位レベルと呼び、ここでは4つのエネルギー準位レベルを用いている。

[用語9] ガウス関数型パルス波形 : ガウス関数は釣鐘型をした関数であり、パルス強度の時間変化の釣鐘型として計算に用いた。

[用語10] パルスチャープ : 光パルス波形内で振動周期が一定ではなく、光周波数が変化する性質のこと。

[用語11] 時間分解透過光強度測定 : 励起光パルスを照射することで時々刻々と変化する透過率を、励起光パルスから遅れて照射される観測光パルスの透過光の強度変化として測定する方法。

論文情報

掲載誌 :
Physical Review B
論文タイトル :
Coherent control of 40-THz optical phonons in diamond using femtosecond optical pulses
著者 :
木全哲也、依田和磨、松本花菜、田邉弘行、南不二雄、萱沼洋輔、中村一隆
DOI :
<$mt:Include module="#G-07_物質理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所

准教授 中村一隆

E-mail : nakamura.k.ai@m.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5387

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661


火星コア物質の音速測定に成功 火星コアの組成と火星の起源解明に向けて

$
0
0

要点

  • 日本が世界に誇る川井型マルチアンビルプレス[用語1]を用いた高圧発生技術、大型放射光施設SPring-8[用語2]/JASRIおよび高エネルギー加速器研究機構(KEK)放射光実験施設フォトンファクトリー(PF)[用語3]の放射光X線により、火星コア[用語4]の最上部に相当する20万気圧2,000度という高圧高温の極限条件下で、液体鉄−硫黄合金の音速(地震波速度)の精密測定に世界で初めて成功しました。
  • 従来、火星由来とされる隕石の化学組成から、火星コアは鉄−硫黄合金で出来ていると考えられてきました。現在稼働中のNASAの火星探査機「インサイト[用語5]」によって、火星コアの地震波速度が測定され、それが本研究で得られた音速と一致すれば、その仮説を実証できます。
  • 一方、一致しない場合は、火星の起源を考え直す必要があります。地球のように、原始火星にも微惑星の衝突があったとすれば、コアには別の不純物が含まれている可能性もあります。火星の衛星フォボス・ダイモスの巨体衝突起源説の検証を目的の1つとしている、JAXAの火星衛星探査計画MMXとも関連があります。

概要

西田圭佑(研究当時:東京大学 大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻助教、現:バイロイト大 バイエルン地球科学研究所研究員)を中心とした、東京工業大学 地球生命研究所 所長の廣瀬敬教授・東京大学・東北大学・大阪大学・KEK・SPring-8/JASRIの共同研究チームは、大型放射光施設SPring-8および放射光実験施設フォトンファクトリー(PF)を利用して、火星コアの主要構成物と考えられている液体鉄−硫黄合金の音速を、火星コアの環境に相当する20万気圧2,000度という高圧高温の極限条件下で精密に測定することに成功しました。

従来、地球物理学的観測や火星隕石の研究から、火星には液体鉄−硫黄合金でできたコアの存在が示唆されてきました。しかし、これまで内部探査が行われてこなかったため、火星内部の構造や化学組成に関しては未だよくわかっていません。現在、NASAによる火星内部探査機インサイトが設置した地震計による内部構造探査が進行中で、すでに火震(火星の地震)を観測しています。火星コアを通る地震波を観測することができれば、その地震波速度を知ることができます。

そのような観測に先んじて、本研究グループは、火星コア物質とされている液体鉄−硫黄合金の音速(地震波速度)を実験室で測定することに成功しました。川井型マルチアンビルを使った高圧実験は、日本が世界をリードする研究手法で、これまでも地球や惑星深部の多くの謎を解明してきました。これに超音波パルス法[用語6]と、SPring-8やPFの強力な放射光X線を組み合わせることで、高圧高温下における音速の精密測定が可能になります。しかし、10万気圧を超える高圧下では安定した高温発生が難しくなること、加圧に伴い試料体積が減少し試料からの超音波エコーが弱くなることなど技術的な課題が山積しており、この手法による液体鉄合金の音速測定は従来8万気圧以下に限られていました。

本研究グループは、高圧実験技術と超音波測定技術の高度化を進めた結果、これまで不可能だった火星コア最上部に相当する20万気圧という極限環境下においても、高精度で液体鉄合金の音速を測定することに成功しました。その結果、火星コア条件(約20~40万気圧)の大部分で、硫黄含有量によって液体鉄−硫黄合金の音速がほとんど変わらないことが明らかになりました。これは、従来の考え通り、火星コアが液体鉄−硫黄合金の場合、その地震波速度は硫黄量に関わらず今回の測定値と一致する必要があります。

一方、火星探査で得られる火星コアの地震波速度が本測定結果と異なる場合、シリコンや酸素など別の不純物の存在を意味します。シリコンと酸素は火星のマントルの主要元素であり、火星が微惑星の衝突によって大規模に融解した場合、両元素はコアにも取り込まれます。近未来の火星コア探査と実験室での液体鉄−シリコン・酸素合金の音速測定の組み合わせにより、火星コア中のシリコン・酸素の存在、さらには火星がかつて巨大衝突を経験したかどうかを検証することが出来ます。

現在JAXAは、火星衛星探査計画MMX(2020年代前半打ち上げ予定)を進めており、その目的の1つが、火星の2つの衛星フォボスとダイモスの起源の解明です。その有力な仮説が巨大衝突起源説です(月の成因と同じ)。このように本研究そして今後の研究の成果は、火星やその衛星の起源とも深く関わっている他、MMXミッションとも密接な関連があります。

本研究成果は国際科学雑誌『Nature Communications』に5月13日に掲載されました。

背景

火星は地球の次に研究が進んだ惑星であり、近年は探査が盛んに行われています。これまでの地球物理的観測や火星由来とされる隕石の研究から、火星にも金属コアがあり、それは液体鉄−硫黄合金でできていると考えられてきました。しかし、これまで内部の探査が行われてこなかったため、火星内部の構造(例えばコアの大きさ)や化学組成に関しては未だよくわかっていません。ごく最近、NASAの火星内部探査を目的とした探査機インサイトによって、地震計が設置され、内部構造探査が進行中です。すでに数多くの火震(火星の地震)が観測されています。今のところ、火星の浅い部分を通った地震波しか観測されていませんが、今後火星コアを通過した地震波を観測することができれば、その地震波速度を知ることができます。

地震波速度の観測から火星コアの物質を特定するには、あらかじめ実験室で音速を測定しておく必要があります。火星コアは20万気圧以上の高圧下にあると考えられています。川井型マルチアンビルを使った高圧実験は、日本が世界をリードする研究手法で、これまでも地球や惑星深部の多くの謎を解明してきました。また超音波パルス法は、物質中を伝わる音速を測る手法の一つで、原理的に単純なことから産業分野でも広く使われています。これらにSPring-8やPFの強力な放射光X線を組み合わせることで、高圧高温下で音速の精密測定が可能になります。しかし、高圧下において液体試料が漏れないように封入し、なおかつ超音波の反射波を得るために試料の反射面を超音波振動子と平行に保たなくてはいけないため、非常に高い技術力を必要とされます。特に、10万気圧を超える高圧下では安定した高温発生が難しくなること、加圧に伴い試料体積が減少し試料からの超音波エコーが弱くなることなど技術的な課題が山積しており、この手法による液体鉄合金の音速測定は従来8万気圧以下に限られていました。

研究手法と成果

本研究グループは、上記の問題を解決するために、鉄合金液体の音速測定に特化したセラミックス円筒ヒーターを開発しました。また、超音波振動子のサイズの最適化や張り付け技術の高度化により、高強度でありながら低ノイズな超音波信号の取得を可能にしました。その結果、火星コアの圧力に相当する20万気圧という極限環境下においても、高精度な音速測定を実現しました。

実験は、PFのビームラインAR-NE7AとSPring-8のビームラインBL04B1において行いました。川井型マルチアンビル装置を使って、目的の圧力まで荷重をかけ、その後セラミックスヒーターを使って加熱することにより、試料を高圧高温にし、融解させます。高温高圧下での試料長は、X線画像(レントゲン写真)から決定します(図1)。試料近くに取り付けた超音波振動子によって、電気信号を超音波信号に変換し、超音波が試料に伝播します。試料の前面と背面で反射した超音波パルスは来た道を通り、再度電気信号に変換されてオシロスコープで観測されます。この試料前面で反射した波と背面で反射した波の到達時間の差から試料中の超音波の往復の伝播時間がわかるので、試料長をこの伝播時間で割ることによって試料中の音速を求めることができます。このような実験を圧力と試料中の硫黄量を変えて何度も実験し、最終的に火星コア最上部に相当する20万気圧まで、液体鉄−硫黄合金の音速の圧力・温度・硫黄量依存性を明らかにしました。その結果、火星コアの条件下(約20~40万気圧)では、その音速は温度や硫黄量にほとんど依存しない(圧力もしくは深さのみで決まる)ことが明らかになりました(図2)。したがって、従来の仮説通り、もし火星コアが液体鉄−硫黄合金である場合、その硫黄量に依らず(純粋な鉄であっても)、観測される地震波速度は本研究で測定された値に一致する必要があります。一方、異なる場合は、シリコンや酸素など別の不純物の存在を意味します。

図1. 13万気圧における、鉄−10 wt%硫黄合金(Fe80S20)の超音波信号とX線画像

図1. 13万気圧における、鉄−10 wt%硫黄合金(Fe80S20)の超音波信号とX線画像

図2. 硫黄量を関数としてプロットした、火星コア条件での液体鉄−硫黄合金の音速(紫色)。オレンジの領域は過去に見積もられたコア中の硫黄量。緑と灰色のシンボルは、液体鉄−炭素合金、液体鉄−シリコン合金の測定値。

図2.
硫黄量を関数としてプロットした、火星コア条件での液体鉄−硫黄合金の音速(紫色)。オレンジの領域は過去に見積もられたコア中の硫黄量。緑と灰色のシンボルは、液体鉄−炭素合金、液体鉄−シリコン合金の測定値。

今後の展望と社会的意義

火星のコアの化学組成(コア中の不純物の種類と量)は、火星の起源と深く関わっています。近い将来、NASAのインサイトをはじめとする火星内部探査ミッションによって火星コアの地震波速度が決定され、硫黄が主要な不純物ではない(もしくは硫黄以外の不純物も含まれている)とわかった場合、火星の起源を見直す必要があります。鍵となるのがシリコンと酸素です。

現在日本のJAXAは、火星の2つの衛星フォボスもしくはダイモスに探査機を送る、火星衛星探査計画MMX(2020年代前半打ち上げ予定)を進めています。地球の場合、原始地球に微惑星が衝突し(巨大衝突)、月が誕生したとされています。同じように火星も巨大衝突を経験し、これら2つの衛星が誕生したのか、それとも火星の重力によって微惑星が捕獲されただけなのか、衛星からサンプルを持ち帰ってどちらが正しいのか決着をつけようとしているのです。

もし火星が巨大衝突を経験し大規模に融解した場合、火星マントルの主要元素シリコンと酸素はコアにも取り込まれます。近未来観測されるであろう火星コアの地震波速度と、今後の実験室での液体鉄−シリコン・酸素合金の音速測定の組み合わせにより、火星コア中のシリコン・酸素の存在を検証することができます。したがって、火星が巨大衝突を経験したかどうかをこの手段でも検証することにより、MMXミッションと連携した、火星の形成プロセスの解明に関する大きな成果が期待されます。

用語説明

[用語1] 川井型マルチアンビル : 8個の立方体アンビルを大型のプレスで加圧し、中心に置かれた試料に力を集中することにより高い圧力を発生させる装置。通常、アンビル材として超硬合金が用いられ、約30万気圧までの実験が可能です。

[用語2] 大型放射光施設SPring-8 : 兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す、理化学研究所が所有する放射光施設で、その利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する、細く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究を行っています。

[用語3] 放射光実験施設フォトンファクトリー(PF) : 大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構(KEK)のつくばキャンパスにある放射光施設です。電子加速器から生まれる放射光で、物質・生命の構造から機能発現のしくみを明らかにする研究を推進しています。PFリング(2.5 GeV)、PFアドバンストリング(PF-AR、6.5 GeV)という、特徴ある2つの放射光専用の光源加速器を有し、KEKで培ってきた放射光技術・加速器技術により世界最先端の研究の場を提供しています。

[用語4] 火星コア : 火星は半径約3,400 kmの天体です。火星コアは、中心から半径約1,800 kmの領域で、主に鉄でできていると考えられています。不純物として硫黄を多く含むと考えられていますが、詳細な化学組成は不明です。地球のようなグローバルな火星磁場はないため、かつては液体のコアは存在しないという説が有力でしたが、近年の観測からは液体であることが示唆されています。

[用語5] インサイト(InSight : Interior Exploration using Seismic Investigations, Geodesy and Heat Transport) : インサイトはアメリカ航空宇宙局(NASA)が開発した火星深部探査を目的とした探査機で、地震計、熱流量計を搭載しています。2018年11月26日に火星に着陸し、現在も観測が進行中です。すでに150回以上の火星の地震観測に成功しています

[用語6] 超音波パルス法 : 超音波パルスを試料に照射し、試料中の超音波の伝播時間と、試料の長さから速度を求めることができます。川井型マルチアンビルと組み合わせる場合、試料の長さを強力な放射光X線を使ったX線画像(レントゲン写真)から求める必要があります。

発表者

西田圭佑
(東京大学 大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 助教(研究当時)/現・バイロイト大学 バイエルン地球科学研究所 研究員)
柴崎祐樹
(東北大学 学際科学フロンティア研究所 助教(研究当時)/現・高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 特別助教)
寺崎英紀
(大阪大学 大学院理学研究科 宇宙地球科学専攻 准教授(研究当時)/現・岡山大学 大学院自然科学研究科 地球生命物質科学専攻 教授)
肥後祐司
(高輝度光科学研究センター放射光利用研究基盤センター 回折・散乱推進室 主幹研究員)
鈴木昭夫
(東北大学 大学院理学研究科地学専攻 准教授)
船守展正
(高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 教授)
廣瀬敬
(東京工業大学 地球生命研究所 所長・教授/東京大学 大学院理学系研究科 地球惑星科学専攻 教授)

論文情報

掲載誌 :
Nature Communications
論文タイトル :
Effect of sulfur on sound velocity of liquid iron under Martian core conditions
著者 :
Keisuke Nishida*, Yuki Shibazaki, Hidenori Terasaki, Yuji Higo, Akio. Suzuki, Nobumasa Funamori, Kei Hirose (*corresponding author)
DOI :

お問い合わせ先

バイロイト大学 バイエルン地球科学研究所

研究員 西田圭佑

E-mail : Keisuke.Nishida@uni-bayreuth.de

東京工業大学 地球生命研究所

所長・教授 廣瀬敬

E-mail : kei@elsi.jp

東北大学 大学院理学研究科 地学専攻

准教授 鈴木昭夫

E-mail : akio.suzuki.c5@tohoku.ac.jp

岡山大学 大学院自然科学研究科 地球生命物質科学専攻

教授 寺崎英紀

E-mail : tera@okayama-u.ac.jp

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

東京大学 大学院理学系研究科・理学部

特任専門職員 武田加奈子、教授・広報室長 飯野雄一

E-mail : kouhou.s@gs.mail.u-tokyo.ac.jp

東北大学 大学院理学研究科

広報・アウトリーチ支援室

E-mail : sci-pr@mail.sci.tohoku.ac.jp

大阪大学 理学研究科 庶務係

E-mail : ri-syomu@office.osaka-u.ac.jp

高エネルギー加速器研究機構 広報室

E-mail : press@kek.jp

SPring-8 / SACLAに関すること

公益財団法人 高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課

E-mail : kouhou@spring8.or.jp

東工大関係者7名が令和2年度科学技術分野の文部科学大臣表彰を受賞

$
0
0

東京工業大学の教授ら7名が、科学技術に関する研究開発、理解増進等において顕著な成果を収めたとして令和2年度科学技術分野の文部科学大臣表彰を受賞しました。科学技術賞(研究部門)が3名、若手科学者賞が3名、今回新設された研究支援賞が1名です。表彰式は新型コロナウイルス感染リスクを考慮し中止されました。文部科学省が4月7日、発表しました。

科学技術賞(研究部門)は科学技術の発展等に寄与する可能性の高い独創的な研究または開発を行った者が対象です。令和2年度は50件68名が受賞しました。

若手科学者賞は、萌芽的な研究、独創的視点に立った研究等、高度な研究開発能力を示す顕著な研究業績をあげた40歳未満の若手研究者を対象としています。令和2年度の受賞者数は97名です。

研究支援賞は、高度で専門的な技術的貢献を通じて研究開発の推進に寄与する活動を行い、顕著な功績があった者を対象としています。研究現場を支える技術職員等の育成及び活躍を促進することを目的として、今回新たに創設されました。第1回目の令和2年度は10件19名が受賞しました。

令和2年度受賞した東工大の関係者7名は以下のとおりです。

科学技術賞(研究部門)

若手科学者賞

研究支援賞

科学技術賞(研究部門)

福島孝典 科学技術創成研究院 化学生命科学研究所 教授

受賞業績:ナノとマクロを繋ぐ分子技術に関する先駆的研究

福島教授
福島教授

近年の有機合成化学のめざましい発展により合目的的に機能分子を構築できるようになってきました。一方、有機系物質は、原子からなる無機物質とは異なり、形がいびつでしかも柔らかい分子を構成要素とするため、実応用に資する巨視的スケールまで精緻に組み上げることは困難であり、それを実現する方法論が求められています。

本研究では、ナノカーボン系新素材や有機ナノチューブなどの新規ナノ材料を創製するとともに、これらを巨視的スケールに組み上げるための手法開発を通じて、常識を覆す自発的超長距離構造秩序を形成する分子集合体や、有機物質の凝縮相の理解を革新する新物質を見いだしました。また応用展開により、ナノスケールの太陽電池として機能する物質、ソフトロボティクス用アクチュエータ素材、伸縮性エレクトロニクスを拓いた導体などの開発に成功しました。本成果は基礎科学的に新規かつ重要な知見を提供するものであり、ひいては我が国の物質科学の発展に寄与するものと考えられます。

受賞対象となった研究は、共同研究者、研究室スタッフ、学生諸氏の多大なご尽力のもとに成し得たものであり、これまでお世話になった皆様に深く感謝申し上げます。

本研究で創製されたナノから巨視的スケールの物質の例

本研究で創製されたナノから巨視的スケールの物質の例

山田拓司 生命理工学院 生命理工学系 准教授

受賞業績:オミクス解析による大腸癌発症に関連する細菌に関する研究

山田准教授
山田准教授

本研究では、大腸がんの患者さんを対象に、凍結便を収集しメタゲノム解析やメタボローム解析を行っています。これまで進行大腸がんに特徴的な細菌は特定されていましたが、前がん病変である腺腫や粘膜内がん、すなわち大腸がんの発症のごく初期に関連する細菌については解明されていませんでした。我々の研究の結果、多発ポリープ(腺腫)や非常に早期の大腸がん(粘膜内がん)患者さんの便中に特徴的な細菌や代謝物質を同定しました。

我々の研究の目指す所は、大腸がんの予防、治療、早期発見、作用機序の理解であり、その実現のためにはまだ多くの壁があります。しかしながら、今回の結果は、個々人の腸内細菌叢の違いにまで踏み込んでがん予防や治療選択を行う「Microbiome-Based Precision Medicine」時代の幕開けになると考えています。

我々の研究には、臨床現場の医師チーム、情報解析を行うデータ解析チーム、実際の実験を行う実験チームの協力体制が重要です。多くの共同研究者、協力者の皆様のご尽力があり、今回の受賞の一連の研究を成し得ることができました。この場を借りて、皆様に感謝いたします。

また、今後も共同研究を軸とした臨床現場からの様々なデータの蓄積を推進するとともに、そこからさらに発展させた研究を国内外の研究者と幅広く強力に連携し、協力し、多くの分野と融合しながら、研究推進をしていきたいと考えています。

がんの多段階発がんと腸内環境の変動

がんの多段階発がんと腸内環境の変動

山口昌英 理学院 物理学系 教授

受賞業績:最も一般的なインフレーショ ン宇宙論の研究

山口教授
山口教授

現在の宇宙は大域的に一様・等方な空間が広がっていますが、これはビッグバン宇宙論では初めから地平線を越えた一様空間を仮定しない限り説明できない大問題です。これを解決するのが、創生直後の宇宙が指数関数的急膨張をした、というインフレーション宇宙論です。

本研究では、一般相対論を拡張し、インフレーションを起こすスカラー場を含み時間発展が二階微分方程式で与えられる最も一般的なインフレーション理論を構築し、これを一般化G-インフレーション理論と名付け、その枠組みの下で観測可能量である曲率ゆらぎ・密度ゆらぎや重力波の最も一般的な理論公式を導出しました。

本研究により、これまで個別のモデルを時間のかかる数値解析によって観測と比較していたのを、一挙にかつ包括的に解析することが可能になりました。また、ここで与えた公式は、宇宙論だけでなく、拡張重力理論から重力波天文学に至るまで、今日幅広く活用されています。

大変重要な賞を頂き、身に余る光栄に存じます。これまでの共同研究者の方々、諸先輩、学生諸氏など、多くの関係者の皆様に心からお礼申し上げます。

今後も、少しでも宇宙の謎が明らかになるよう研究を続けたいと思います。

若手科学者賞

飯村壮史 元素戦略研究センター 助教

受賞業績:鉄系高温超伝導体の電子相図に関する研究

飯村助教
飯村助教

超伝導とはある臨界温度(Tc)以下において電気抵抗が完全にゼロになる現象です。2008年に1111型鉄系超伝導体REFeAsO1-xFx (RE=ランタノイド)において銅系に次ぐ高いTcが報告されて以降、Tcの更なる高温化と超伝導発現機構の解明を目指し、世界中で活発な研究が展開されました。しかし、合成とドーピング、結晶育成の困難さから、1111型の研究は次第に下火となってしまいました。

私は「水素の陰イオン」というこれまで物性物理において全く注目されてこなかったイオンを用いて1111型への高濃度電子ドーピングに成功し、鉄系最高温超伝導が二つの異なる反強磁性相の境界に生じることを見出しました。

本研究成果は鉄系の“多軌道性”、つまり複数の電子軌道が物性に寄与する、という特徴が顕著に表れた例であり、今後、新規高温超伝導体の候補物質として多軌道系が有望である事、さらに、候補を絞り込む上での具体的な指針を与えるものと期待されています。

本受賞は細野秀雄栄誉教授、松石聡准教授をはじめとするご指導いただいた先生方や共同研究者のご支援ご指導の賜物です。この場を借りて改めて深く感謝申し上げます。

(a, b) LaFeAsO1−xFxおよびSmFeAsO1−xHxの電子相図。(c, d)従来の鉄系超伝導発現モデルと我々が提案している協奏的スピン揺らぎによる鉄系高温超伝導発現モデル

(a, b) LaFeAsO1-xFxおよびSmFeAsO1-xHxの電子相図。(c, d) 従来の鉄系超伝導発現モデルと我々が提案している協奏的スピン揺らぎによる鉄系高温超伝導発現モデル

石田忠 工学院 機械系 准教授

受賞業績:マイクロマシンと電子顕微鏡の融合システムの研究

石田准教授
石田准教授

世の中にはわかっているようで実はわかっていないことが沢山あります。例えば、「摩擦」は高校で学習しますが、そのメカニズムは未だわかっておらず、経験則で利用されています。この摩擦による経済損失は我が国だけでも年間10兆円を超えるといわれ、摩擦がどのように生じているかナノスケールで明らかにし、制御できるようにすることが重要です。私はこのような現象のメカニズムを明らかにするために、ナノスケールで現象を観察しながら実験を行いました。具体的には、多機能性が特徴であるマイクロマシンを電子顕微鏡に組み込み、ナノスケールの観察下で摩擦や電気、熱等の実験を可能にしました。さらにマイクロ流路と電子線透過膜を電子顕微鏡に組み込み、物理・化学・生物という分野の垣根を超えたナノスケール観察下での実験を可能にしました。本研究によって、ナノテクノロジーのさらなる発展が期待でき、多くの社会課題の解決につながります。今後は本成果を足掛かりに、バイオ・医療の研究に発展させる所存です。

最後に、本研究の成果は、国内外の多くの共同研究者の方々との協力のもと得られたものです。この場をお借りして心より感謝申し上げます。今後、この分野のさらなる発展には、より多くの人の協力が必要です。ご興味のある皆さん、ぜひ一緒に研究しましょう。

独自に開発したナノスケール観察下実験装置とそれを用いた代表的な実験の観察結果

独自に開発したナノスケール観察下実験装置とそれを用いた代表的な実験の観察結果

清水亮太 物質理工学院 応用化学系 准教授

受賞業績:酸化物薄膜の原子レベル制御による新奇低次元材料創製の研究

清水准教授
清水准教授

遷移金属酸化物は光触媒や燃料電池等の多彩な物性・機能を示すことから、基礎から応用まで非常に関心の高い物質です。その一方で、その機能を司る表面の原子配列は制御できていませんでした。そこで我々は、「原子レベル基板表面制御」・「高品質薄膜合成」・「非破壊原子レベル観察」の全過程を大気非曝露で行う装置を一から開発し、高品質薄膜を用いたモデル表面における機能の本質に原子レベルで迫りました。その成果として、遷移金属酸化物を初めとした新奇な低次元構造をもつ材料創製と導電性・磁性などの物性制御に成功しました。バルク結晶の理想切断面ではなく、実在する原子レベルの配列構造を提示することで、理論シミュレーションにおける予測精度のさらなる向上に貢献できます。また、このような「高品質材料合成」と「高度計測」を大気非曝露で両立する取り組みは、全固体Li電池等の実用材料の研究分野においても、ますます重要なコンセプトとなっています。

この度、栄誉ある賞を賜りまして大変光栄に感じております。ご指導くださった先生方、共同研究者に厚く御礼申し上げますとともに、本学・東北大学(前任校)の多大なご支援にも感謝いたします。

原子レベル制御にもとづく物質創製と物性・機能開拓の概要図

原子レベル制御にもとづく物質創製と物性・機能開拓の概要図

研究支援賞

松谷晃宏 オープンファシリティセンター マイクロプロセス部門長/主任技術専門員

受賞業績:共用クリーンルームの運営と技術開発による先端研究への貢献

松谷主任技術専門員
松谷主任技術専門員

マイクロメートルサイズのデバイス分野の研究開発においては、半導体微細加工技術を利用する高度な技術的支援が必要とされています。特に共用クリーンルームにおいては、研究成果の創出に直結する高度な技術レベルのサポート人材が必須とされています。これに応えるため、12年に亘り技術部研究支援部門長として高度技術専門人材である技術職員のスタッフとともに取り組みました。その結果は、年間約120 名登録の共用クリーンルームの管理運営、利用講習会開催、利用者の研究成果の創出に活かされております。また、先端研究に関しては、半導体光デバイス、グラフェン、フォトニック結晶、新材料デバイス、バイオチップ等のさまざまな研究の発展に貢献しました。特に、伊賀健一元学長発明の面発光レーザの研究には、30年に亘り半導体微細加工技術での支援を行い性能向上にも貢献しました。これらの研究支援の成果は内外の学術論文誌に120報の論文として掲載されています。

この度の第1回目の研究支援賞をいただくにあたり、歴代の技術部長、当部門の技術職員の皆さん、クリーンルーム利用者の皆様、本学関係者の皆様にはこの場を借りて心より感謝申し上げます。

本年4月より技術部はオープンファシリティセンターに改組し、研究設備の共用推進機能の中心となりました。今後はより一層、学内外の研究者の成果創出に貢献したいと考えております。

共用クリーンルーム、研究者の成果創出に共に取り組む高度な技術支援

共用クリーンルーム、研究者の成果創出に共に取り組む高度な技術支援

お問い合わせ先

総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975

6月8日 13:55 関連リンクを変更しました。

菅野了次教授が第52回市村賞 市村学術賞を受賞

$
0
0

東京工業大学 科学技術創成研究院 全固体電池研究ユニットの菅野了次教授が第52回 市村賞 市村学術賞本賞を受賞することが決まりました。受賞テーマは「超イオン伝導体創成と全固体電池開発」です。公益財団法人 市村清新技術財団が3月12日に発表しました。贈呈式は7月15日に予定されていましたが、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため中止されました。

市村清新技術財団は菅野教授の研究業績について「科学的常識を覆す革新的なリチウム超イオン伝導体LGPS(リチウム・ゲルマニウム・リン・硫黄で構成される材料)とその関連物質を創成することに成功した。さらに、超イオン伝導体LGPSを固体電解質として用いた全固体電池が、リチウムイオン電池を大きく凌駕できる蓄電・高出力特性を有することを世界で初めて実証する成果を得た」と高く評価しました。

市村清新技術財団によると、市村賞はリコー三愛グループの創始者である市村清氏(1900~1968)が1963年創設し、現在は市村清新技術財団が表彰しています。日本の科学技術の進歩、産業の発展に顕著な成果をあげ、産業分野あるいは学術分野の進展に多大な貢献をした個人またはグループを表彰します。市村賞には市村産業賞、市村学術賞、市村地球環境産業賞、市村地球環境学術賞があります。その中で市村学術賞は大学ならびに研究機関で行われた研究のうち、学術分野の進展に貢献し、実用化の可能性のある研究に功績のあった技術研究者またはグループに贈呈されます。

菅野了次教授のコメント

菅野教授
菅野教授

第52回市村学術賞を受賞することは、私にとって大変な名誉です。この賞を受賞された方々の業績を改めて拝見しますと、身の引き締まる思いがします。この受賞の対象となった、私たちの研究グループの物質開発から電池開発に至る研究成果は、ひとえに、一緒に研究を行ってきた非常に優秀な共同研究者・技術者の方々、さらに苦労と発見の喜びを共にしてきた研究室の学生の方々の努力があってのことです。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

私の研究テーマは、蓄電池そのものを固体にするというものです。蓄電池が発明されてからほぼ200年がたちましたが、ごく少数の例外を除いて、電池を構成する電解質には液体を使用するのが常識でした。私たちは、この電解質に固体を用いようと試みました。大変、苦労しましたが幸いにも物質探索の過程で、固体であってもイオンが非常に速く動き回る物質を見いだすことができ、この物質を電解質に用いると蓄電池そのものの特性が向上しました。この発見を契機に、実用化に向けたデバイス開発が猛烈な勢いで進展していることは、材料研究に携わる基礎研究者としてたいへん幸運な状況です。実用製品を目指した技術開発がめまぐるしい勢いで進展している段階でこの賞を受賞することができたのは、デバイス化に向けて技術開発がより加速することが社会から期待されている証であり、さらに精進を重ねなければならないとの思いを新たにいたしました。 電池を固体にするという、一見無謀にも見える試みの研究に取り組むことができたのは、この夢のような研究課題を1960年代に設定した諸先輩方の先見の明によるものです。この受賞のテーマとなった技術が、社会に大きく貢献するまでに育つには、さらなる技術開発の進展が必要です。そのための一層の努力をする所存です。

受賞概要および研究業績

市村清新技術財団が発表した研究業績は次の通りです。

  • 賞名
    第52回 市村学術賞 本賞
  • 受賞理由
    超イオン伝導体創成と全固体電池開発
  • 受賞者
    東京工業大学 科学技術創成研究院 教授 菅野了次

研究業績の概要

受賞者は、固体においてイオンが高速で拡散する材料「超イオン伝導体」の新規開拓に携わり、固体でありながら液体を上回るイオン伝導率を有するという、従前の科学的常識を覆す革新的なリチウム超イオン伝導体LGPS(リチウム・ゲルマニウム・リン・硫黄で構成される材料)とその関連物質を創成することに成功した。さらに、創成した超イオン伝導体LGPSを固体電解質として用いた全固体電池が、幅広く実用用途に供されている液体電解質を用いたリチウムイオン電池を大きく凌駕できる蓄電・高出力特性を有することを世界で初めて実証する成果を得た。この成果は、純粋サイエンスの観点からみた斬新さと将来性の提示に留まらず、世界中で全固体電池の開発競争を開始させることとなった。

また、既存の電池では社会が期待する電動車両、IoT電源などの来るべき電動化社会へのニーズに耐え得る実力が疑問視されるなかで、従来の電池デバイス性能を遥かに凌駕する全固体電池のインパクトのスケールを社会的といえるレベルまで格上げした。全固体電池の実用化開発を目的とした国を挙げてのプロジェクトが立ち上がるとともに、国内外の企業で実用化に向けた熾烈な開発競争が繰り広げられるに至り、さらには全固体電池の標準化規格策定の動きも始まるなど、受賞者が2011年に創出した材料が引き起こした影響力は全世界に広がっている。

基礎研究者である受賞者は材料研究からデバイス製造・事業化への橋渡しを果たした。全固体電池の実現は多大な社会・経済的効果が期待でき、世界の蓄電デバイスの状況を一変させるものである。全固体電池は、日本発の技術として日本での実用化が諸外国に先駆けて試みられているとともに、固体ですべて形成された蓄電デバイスにエネルギーを蓄えるという、全く新たなエネルギー貯蔵のジャンルを切り拓いた。

お問い合わせ先

科学技術創成研究院 菅野・全固体電池研究ユニット
特任教授 池松正樹

E-mail : ikematsu@echem.titec.ac.jp

最高水準の伝導度を示す新型プロトン伝導体を発見 燃料電池やセンサーなどの発展に貢献

$
0
0

要点

  • 世界最高クラスの伝導度を示す、化学置換が不要な新型プロトン伝導体を発見、新しい材料設計指針による開発に期待
  • 中性子回折実験と結晶構造解析により、高いプロトン伝導度の起源を解明
  • 固体酸化物形燃料電池の低コスト化・用途拡大など多様な分野に応用可能

概要

東京工業大学 理学院 化学系の村上泰斗特任助教と八島正知教授らの研究グループは中低温域で世界最高水準のプロトン(H+、水素イオン)伝導度を示す新材料Ba5Er2Al2ZrO13[用語1]を発見した。さらに豪州原子力科学技術機構(ANSTO)のヘスター・ジェームス博士と共同で、中性子回折測定[用語2]と結晶構造解析を行い、この新材料が示す高いプロトン伝導度の発現機構を明らかにした。

今回発見した新型プロトン伝導体[用語3]化学置換[用語4]無しで高いプロトン伝導度を示すことから、従来の問題点とは無縁であり、新型プロトン伝導体およびその設計法として幅広い分野での応用が期待される。

現在、実用化されている固体酸化物形燃料電池(SOFC)は動作温度が高いため、低コスト化・用途拡大のために中低温域(300~600 ℃)で高いプロトン伝導度を示す材料が求められている。従来の候補材料では、高い伝導度を実現するために化学置換が必要であり、安定性や高純度試料の合成に難があった。

本研究成果は、2020年5月15日にアメリカ化学会誌「Journal of the American Chemical Society」電子版に掲載された。

背景

プロトン伝導体は水素ポンプや水素センサー、燃料電池など幅広い応用例のあるクリーンエネルギー材料として期待されている。特にプロトン伝導体を燃料電池の電解質材料として用いた場合、従来の酸化物イオン伝導体を用いた燃料電池と比べ、デバイスの低温作動化が期待される。

このため中低温域(300~600 ℃)で高いプロトン伝導度を示す材料が求められてきたが、既存の材料の結晶構造[用語5]フェルグソナイト型構造[用語6]ABO3ペロブスカイト型構造などに限られていた。また、これらの既存材料の母物質の伝導度は低いため、高い伝導度を実現するために化学置換やドーピングが必要であり、材料の安定性や均一性に問題があった。

六方ペロブスカイト関連酸化物[用語7]は、広義のペロブスカイトの一種であり、様々な結晶構造や物理的・化学的特性を示す物質が知られている。中低温域で高いプロトン伝導度を示す材料が立方ペロブスカイト型酸化物で多く報告されている一方、六方ペロブスカイト関連酸化物はプロトン伝導体としてほとんど検討されてこなかった。

研究成果

八島教授らの研究グループは、六方ペロブスカイト関連酸化物の一つであるBa5Er2Al2ZrO13が中低温域で高いプロトン伝導度を示すことを発見した。

既存のプロトン伝導体の多くは、格子中の陽イオンの一部を低価数の陽イオンで化学置換することで酸素空孔[用語8]を導入し、プロトン伝導体と水蒸気H2Oが反応して、酸素空孔にH2OのOが入ると共に、プロトンがプロトン伝導体に取り込まれることでプロトン伝導性が現れる。

一方、今回発見した新材料では、結晶中のh′層に元々酸素空孔が存在するため、化学置換無しで高いプロトン伝導度を示すことが明らかになった(図1)。さらに、結晶構造解析と熱重量測定[用語9]から、実際にプロトンがh′層に存在し、電気伝導を担っていることを示した。

図1. (a) 新型プロトン伝導体Ba5Er2Al2ZrO13の結晶構造。(©American Chemical Society, 八島正知、村上泰斗)

図1. 。(b) Ba5Er2Al2ZrO13と種々のプロトン伝導体とのプロトン伝導度の比較(©American Chemical Society, 八島正知、村上泰斗)

図1.
(a) 新型プロトン伝導体Ba5Er2Al2ZrO13の結晶構造。(b) Ba5Er2Al2ZrO13と種々のプロトン伝導体とのプロトン伝導度の比較(©American Chemical Society, 八島正知、村上泰斗)

今後の展開

本研究で見出したBa5Er2Al2ZrO13のプロトン伝導度は、中低温域において立方ペロブスカイト型酸化物以外の物質群で最も高い値であり、六方ペロブスカイト関連酸化物がプロトン伝導体の新構造ファミリーとして高いポテンシャルを持つことを示している。六方ペロブスカイト関連酸化物には、Ba5Er2Al2ZrO13のように構造中にh′層を持つ物質が他にも多く知られており、それらの物質も高いプロトン伝導度を示す可能性がある。

本研究はプロトン伝導体の新たな設計指針を示すものであり、今後、新たなプロトン伝導体が数多く発見されることが予想される。さらに、Ba5Er2Al2ZrO13を燃料電池・センサーなどに応用した材料の開発が期待される。

付記

本研究は、科学研究費助成事業基盤研究(A)「新構造型イオン伝導体の創製と構造物性」、科学研究費助成事業挑戦的研究(開拓)「多様な配位多面体による新型イオン伝導体の創製」、日本学術振興会拠点形成事業(A.先端拠点形成型)「高速イオン輸送のための固体界面科学に関する国際連携拠点形成」、科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型)「複合アニオン化合物の理解:化学・構造・電子状態解析」、科学研究費助成事業特別推進研究「化学機械応力に立脚する革新的な高性能触媒の創生」等の助成を受けて行った。

用語説明

[用語1] Ba5Er2Al2ZrO13 : バリウム、エルビウム、アルミニウム、ジルコニウムおよび酸素から構成される酸化物。六方ペロブスカイト関連酸化物[用語7]の一つである。

[用語2] 中性子回折測定 : 中性子回折を利用して物質の結晶構造を調べる手法を中性子回折法という。中性子回折データを測定することを中性子回折測定という。中性子回折では原子番号の小さい元素(酸素や水素など)の情報を引き出しやすい。本研究では、中性子回折データを用いてBa5Er2Al2ZrO13の結晶構造を決定した。

[用語3] プロトン伝導体 : 外部電場を印加したときプロトンが伝導する物質。プロトン伝導体には純プロトン伝導体やプロトン-電子混合伝導体などがある。

[用語4] 化学置換 : 化合物中の原子の一部を別の元素の原子で置換すること。

[用語5] 結晶構造 : 原子の配列が並進周期性を持つ物質が狭義の結晶であり、シャープな回折ピークを示す物質として広義の結晶が定義される。結晶中の原子配列を結晶構造という。結晶構造は空間群(原子配列の対称性)、格子定数(単位胞の大きさと形)、原子座標(単位胞における原子の位置)などによって記述される。

[用語6] フェルグソナイト型構造 : 鉱物フェルグソン石と同じ結晶構造。フェルグソナイト型化合物の一般式はABX4で表される。ここで、AはLa3+などの比較的大きな陽イオン、Bは遷移金属イオンなどの比較的小さな陽イオン、Xは陰イオンを示す。

[用語7] 六方ペロブスカイト関連酸化物、ペロブスカイト : 鉱物ペロブスカイトCaTiO3と同じあるいは類似した結晶構造を持ち、一般式ABO3で表される酸化物をABO3ペロブスカイト型酸化物という。ここで、AはBa2+やLa3+などの比較的大きな陽イオン、Bは遷移金属イオンなどの比較的小さな陽イオン、Oは酸化物イオンを示す。ペロブスカイト型酸化物はAO3層の立方最密充填から構成されるが、六方ペロブスカイト型化合物はAO3層の六方最密充填からなる構造を有する。六方ペロブスカイト関連酸化物は、六方最密充填および立方最密充填が様々な比で積層した構造を持つ。いくつかの六方ペロブスカイト関連化合物はAO3層だけではなく、例えばAOVのような本質的に空孔Vを含む層を含む。今回発見した新型プロトン伝導体Ba5Er2Al2ZrO13は、BaO3層(c層)のほかに酸素の一部が本質的に欠損したBaOV層(h′層)を構造中に含む。BaOV層(h′層)にH2Oがx入ることによりBaO1+xV1-xH2xとなり、H+イオン(プロトン)が伝導する(図1a)。

[用語8] 酸素空孔 : 結晶中の酸素が存在する席(サイト)で原子が欠けているところを酸素空孔と呼ぶ。

[用語9] 熱重量測定 : 試料の温度を変化あるいは保持しているときの試料の重量を測定すること。

論文情報

掲載誌 :
Journal of the American Chemical Society
論文タイトル :
High Proton Conductivity in Ba5Er2Al2ZrO13, a Hexagonal Perovskite-Related Oxide with Intrinsically Oxygen-Deficient Layers
著者 :
Taito Murakami, James R. Hester, Masatomo Yashima (責任著者)
DOI :
<$mt:Include module="#G-03_理学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

研究に関すること

東京工業大学 理学院 化学系

教授 八島正知

E-mail : yashima@cms.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2225 / Fax: 03-5734-2225

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

伝統芸能における身体活動は寿命延伸に効果がないことが判明 伝統芸能従事者(歌舞伎、能等)の寿命解析から判明

$
0
0

要点

  • 1700年以降生まれの伝統芸能従事者の男性566名の寿命を解析・比較
  • 長寿が予想された歌舞伎役者の寿命が他の伝統芸能従事者より短いことが判明
  • 長期にわたる高強度の運動には寿命延伸効果がないことを示唆

概要

東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院の林直亨(はやし なおゆき)教授と毛塚和宏(けづか かずひろ)講師は、日本の伝統芸能(歌舞伎、茶道、落語、長唄、能)に従事する1700年以降に生まれた男性566名の寿命を分析した。その結果、伝統芸能従事者は寿命が長い傾向があるものの、歌舞伎役者には例外的にその傾向が見られず、他の伝統芸能従事者よりも寿命が短いことを明らかにした。

運動習慣には各種疾病の予防や寿命延伸に効果があることが知られている。そのため、伝統芸能従事者の中でも、特に高強度の運動を頻繁に行う歌舞伎役者や能楽者は寿命が長いことが予想された。しかし統計的な分析からは、歌舞伎役者の寿命は伝統芸能従事者の中では例外的に、対照群とした天皇・将軍家と差がないという結果になった。

この結果は、伝統芸能の分野で長期間運動を含む演目を演じていても、寿命の延伸に影響をもたらさないことを示唆している。一方で、歌舞伎以外の伝統芸能で行われる楽器演奏、発声、発話などの活動の中に、運動習慣に匹敵する寿命延伸に効果を有するものがある可能性もあり、今後のさらなる研究が期待される。

本研究は、5月18日(日本時間)に欧州の人文社会科学誌「Palgrave Communications」に掲載された。

背景

運動習慣は、各種疾病の予防や寿命の延伸に関与することが、多くの大規模追跡調査から明らかになっている(例えばMorrisら 1953、LeeとPaffenbarger 2000)。一方、長年にわたって高強度の運動を頻繁に実施することの影響については明らかにはなっていない。

日本の伝統芸能従事者の間では、日常生活の水準や様式がよく似ており、職業としての身体活動や様式が長年にわたってある程度一定に保たれていると考えられる。一方で、歌舞伎役者や能楽師は他の分野の従事者とは異なり、高強度の運動を頻繁に実施している。このことから、伝統芸能従事者の寿命を解析し、従事している伝統芸能の影響を比較することによって、長年にわたる高強度の運動が寿命に与える影響を検討することが可能と考えられる。研究グループでは、職業として運動を行う歌舞伎役者や能楽師の寿命が長いとの仮説を立てて研究を行った。

研究成果

本研究では、日本の伝統芸能(歌舞伎、茶道、落語、長唄、能)に従事する1700年以降に生まれた男性566名の誕生年と死没年を、各種情報源(ウェブや書籍)から集計した。20歳以下の死亡や、自殺、戦死、事故死は除いたうえで、2点以上の情報源から誕生・死亡月を確認できた者を解析対象者とした。ただし、能楽師については情報が比較的少ないため、1点の情報源で確認できた者も対象者とした。さらに対照群として、各時代において最高の医療や食料を受けていた天皇家および将軍家の男性133名のデータも解析した。なお、日本の伝統芸能従事者の多くが男性であったため、本研究では男性のみを対象としている。

対象とした伝統芸能のうち、歌舞伎や能では、長期間にわたり高強度の運動が行われていると考えられる。実際に、対象の歌舞伎役者からランダムに抽出した36名について公演(通常は1ヵ月間にわたって実施される)回数を集計したところ、年間6回から27回の公演をこなしており、稽古も含めると相当の運動量であったことが推察された。

生存曲線[用語1]を算出したところ、伝統芸能従事者はすべての群が、天皇家および将軍家よりも寿命が中央値で15歳程度長かった(表1)。一方で、1901年以降に生まれた者に限定すると、伝統芸能従事者の中では歌舞伎役者の寿命が低かった(図1)。

離散時間ロジスティック回帰解析[用語2]を行った結果、誕生年を考慮した場合には、歌舞伎役者の寿命は、天皇家および将軍家と有意差がなく、本研究で対象とした他の分野の伝統芸能従事者よりも短いことが分かった(表2)。このことは、長年にわたり高強度の運動を行う歌舞伎役者や能楽師の寿命は長いとした、当初の仮説を支持しない結果だと考えられる。

表1. 全サンプルの寿命の中央値とサンプル数、そのうちの死亡者数

 
寿命の中央値
サンプル数
死亡者数
歌舞伎
71
150
120
長唄
74
119
89
落語
70
115
75
茶道
69
82
59
69
100
75
将軍
54
64
64
天皇
54
69
64

表2. 誕生年を考慮した離散時間ロジスティック回帰分析の結果の一部

係数
職業
(参照:天皇・将軍家)
長唄
-0.6356
***
歌舞伎
-0.1318
茶道
-0.5894
***
落語
-0.5894
**
-0.3071
*
***:p<0.001、**:p<0.01、*:p<0.05。

係数が負であるほど、天皇・将軍家に比べて寿命が長いことを表す。歌舞伎の係数のみに有意性が確認できず、参照カテゴリー(天皇・将軍家)との差異が確認できないことがわかる。(Hayashi and Kezuka 2020, Table 2より作成)

図1. 1901年以降生まれのサンプルに限定して生存率を示した(横軸年齢、縦軸生存率、Kaplan-Meier法による)。歌舞伎役者(黒線)の生存率が若い年齢から低下することが分かる(Hayashi and Kezuka, Lifespan of Japanese traditional artists Harvard Dataverse, V1, 2020 より作図)

図1.
1901年以降生まれのサンプルに限定して生存率を示した(横軸年齢、縦軸生存率、Kaplan-Meier法による)。歌舞伎役者(黒線)の生存率が若い年齢から低下することが分かる(Hayashi and Kezuka, Lifespan of Japanese traditional artists Harvard Dataverse, V1, 2020 より作図)

今後の展開

本研究では、比較的生活水準が安定していると考えられる、日本の伝統芸能従事者を対象としたことで、通常では解析が困難な、ほぼ一生涯にわたる運動実施の影響を解析することが可能になった。一方で課題としては、(1)対象者が男性限定である、(2)健康寿命は解析できない、(3)運動した群(歌舞伎と能)の遺伝の影響や、家を継ぐ使命に伴って運動が開始・継続されたことの影響は考慮していない、といった点があげられる。今後はこうした点を考慮した長期間の運動の影響についての研究が期待される。

また、長期にわたる高強度の運動実施が寿命の延伸に影響しないことがわかった一方で、歌舞伎以外の伝統芸能で実施されていた、運動以外の楽器演奏、発声、発話といった活動が好ましい効果を発揮していた可能性も考えられる。現時点ではそれを支持する論拠は十分ではないため、今後の研究では、伝統芸能における運動以外の活動が健康や寿命に与える影響を検討する必要もあるだろう。

用語説明

[用語1] 生存曲線 : 時間経過に伴う個体数の減少を示したもの。

[用語2] 離散時間ロジスティック回帰解析 : ある出来事が、いつどのような状況で起こる傾向があるのかを、数量的に明らかにする生存時間解析モデルの一つ。本研究の場合、死亡という出来事が起こる傾向を解析している。

論文情報

掲載誌 :
Palgrave Communications 6: 98, 2020
論文タイトル :
The influence of occupation on the longevity of Japanese traditional artists
著者 :
Naoyuki Hayashi, Kazuhiro Kezuka
DOI :

お問い合わせ先

東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院

教授 林直亨

E-mail : naohayashi@ila.titech.ac.jp

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

安川電機とYASKAWA未来技術共同研究講座を開設

$
0
0

東京工業大学と株式会社安川電機は4月1日、「YASKAWA未来技術共同研究講座」を開設しました。

この講座では、人協働ロボット用の超軽量アクチュエータの研究を行います。

人協働(ひときょうどう)ロボットは人間と同じ空間で、人間と作業を分担したり、人間の作業を補助したりするロボットです。

十年後の超軽量人協働ロボットの実現をゴールに、その第一歩として、駆動源として使われる超軽量アクチュエータの研究に、材料、モータ、ロボティクスなどの研究者を結集して取り組みます。

講座教員、講座所属学生、共同研究担当教員が一丸となって、安川電機がモータ、ロボット、メカトロニクスで培った技術に東工大の叡智を加味し、ロボットの用途拡大をめざした人協働ロボットの実現に挑戦します。

本講座の概要

名称
YASKAWA未来技術共同研究講座
研究実施場所
工学院、物質理工学院、科学技術創成研究院
設置期間
2020年4月1日(水) - 2023年3月31日(金)(3年間)
大学代表者
植松友彦 工学院長
共同研究担当教員
工学院 電気電子系 千葉明 教授、工学院 機械系 菅原雄介 准教授
物質理工学院 材料系 合田義弘 准教授、物質理工学院 応用化学系 森伸介 准教授
科学技術創成研究院 未来産業技術研究所 進士忠彦 教授
共同研究講座教員
工学院 電気電子系 中村裕司 特任教授、工学院 機械系 遠藤央 特任准教授

YASKAWA未来技術共同研究講座イメージ図

YASKAWA未来技術共同研究講座イメージ図

前列左より、東工大 渡辺治理事・副学長(研究担当)、安川電機 津田純嗣代表取締役会長、東工大 益一哉学長、安川電機 熊谷彰常務執行役員(3月9日、東工大学長室で)

前列左より、東工大 渡辺治理事・副学長(研究担当)、安川電機 津田純嗣代表取締役会長、
東工大 益一哉学長、安川電機 熊谷彰常務執行役員(3月9日、東工大学長室で)

<$mt:Include module="#G-05_工学院モジュール" blog_id=69 $> <$mt:Include module="#G-07_物質理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 工学院 千葉研究室

E-mail : chiba@ee.e.titech.ac.jp

「DNA液滴」の形成と制御に成功 人工細胞・人工細胞小器官や分子ロボットの開発に期待

$
0
0

要点

  • DNAナノ構造の液-液相分離により、水中にDNAの液滴を形成することに成功
  • DNAの塩基配列を緻密に設計することで、DNA液滴の融合・分裂、タンパク質の捕捉などの動的挙動の制御を実現
  • 分子ロボットの開発や、人工細胞・人工細胞小器官(オルガネラ)の構築による原始細胞の起源の解明、人工細胞工学分野への貢献に期待

概要

東京工業大学 情報理工学院 情報工学系の瀧ノ上正浩准教授、佐藤佑介日本学術振興会特別研究員(現所属 東北大学)らの研究グループは、DNAの塩基配列情報を人工的に設計することで、液-液相分離による「DNA液滴」の形成に成功した。さらにDNA塩基配列を緻密に設計することで、液滴の融合や分裂などを制御可能であることを実証した。

細胞内では液-液相分離現象により、マイクロサイズの様々な液滴状の構造が形成されている。これまでにも細胞から抽出したタンパク質などを利用して、細胞内での液-液相分離の原理・役割の解明などが行われてきた。

一方、DNAやタンパク質などの生体高分子の振る舞いは、分子内の配列に依存している。しかし、そうした生体分子の配列を人工的に設計することで、相分離現象や、形成されたマイクロ液滴の動的挙動を制御する方法は確立されていなかった。

本研究で実証されたDNA液滴の制御技術は、薬剤送達システム(DDS)や医療用分子ロボットへの応用が期待できる。さらに、人工細胞や人工細胞小器官(オルガネラ)の構築を通して、原始細胞の起源や、細胞核での遺伝子制御原理などの解明にも貢献できる。

本研究成果は、2020年6月3日(米国東部時間)にアメリカ科学技術振興協会(AAAS)刊行の科学雑誌「Science Advances」のオンライン版で公開された。

研究の背景と経緯

細胞内部では、液-液相分離[用語1]によって、マイクロサイズ[用語2]の微小な液滴が形成されている。そうした液滴は、遺伝子の転写制御、細胞小器官(オルガネラ)の形成、抗ストレス刺激など、細胞機能の制御に重要な役割を担っている。これまでにも、細胞から抽出したタンパク質などを用いて、タンパク質の濃度や溶液に加える塩の濃度が液滴の形成に及ぼす影響などが研究されてきた。

一方、核酸やタンパク質などの生体高分子が持つ最大の特徴の一つは、分子内に「情報」が塩基配列やアミノ酸配列としてコードされており、分子の振る舞いがこの配列情報に従う点である。したがって、そうした生体分子の配列を適切に設計すれば、液-液相分離のような複雑な現象を制御し、形成された液滴に任意の機能を実装するといった応用が期待できる。

人間が容易に設計できる生体分子の一つがDNAである。生命の遺伝情報を担う物質として知られるDNAは、4種類の塩基(A, T, G, C)の配列に従って二重らせんを形成するという性質を持つ。つまり、4種類の塩基の並び順を人工的に設計することで、二重らせんの形成を制御することができる。そのため、DNAはプログラムが可能な生体分子材料として利用できる。この技術はDNAナノテクノロジーと呼ばれる。このDNAが持つ可制御性と生体親和性を巧みに利用して、がん治療や病気の検出のための医療用分子デバイスの構築や、細胞が持つ高度な機能性分子の模倣などが行われてきた。しかし、細胞内で生じる液-液相分離のような物理現象を人工的に制御するという観点で、DNAが持つ可制御性に着目した研究はこれまで行われてこなかった。

研究成果

研究グループは、Yモチーフと名付けたY字型のDNAナノ構造[用語3]を設計・作製した(図1a)。Yモチーフは3種類のDNAで構成されている。その分岐の先端部分には粘着末端[用語4]と呼ばれる1本鎖のDNAが設けられており、Yモチーフはこの粘着末端を介して互いに結合できる。研究グループは、粘着末端の配列を緻密に設計することで、液-液相分離により、DNAで構成された液滴(以下、DNA液滴)が水中に形成されることを示した(図1b)。さらに、粘着末端の配列を様々に変更し、DNA分子間の相互作用の強さを調節することで、DNA液滴が形成される温度を変えることに成功した。

図1. (a) YモチーフとDNA液滴の概念図。Yモチーフの粘着末端の塩基配列を適切に設計すると、Yモチーフが液-液相分離により液滴状に集合する。(b) 水中に形成されたDNA液滴が融合する様子を撮影した連続写真。2つの液滴が衝突すると、一つに融合する様子が観察された。

図1. (a) YモチーフとDNA液滴の概念図。Yモチーフの粘着末端の塩基配列を適切に設計すると、Yモチーフが液-液相分離により液滴状に集合する。(b) 水中に形成されたDNA液滴が融合する様子を撮影した連続写真。2つの液滴が衝突すると、一つに融合する様子が観察された。

一般的に、同種の分子の液-液相分離で形成された液滴は、互いに融合する性質がある。一方、研究グループは、DNAの塩基配列を緻密に設計して、同じDNAを材料としていても融合しない、2種類の液滴を作ることに成功した(図2a, b)。また、そうした2種類の液滴が融合するかどうかを、配列設計の変更により制御できることを実証した(図2c)。さらに、DNAの配列設計技術と酵素反応を組み合わせることで、DNA液滴に分裂機能を持たせることにも成功した(図2d)。そのうえで、DNA液滴の分裂機能を応用し、ヤヌス液滴[用語5]や水玉模様の液滴のような、複雑な形状のDNA液滴を形成することもできた(図2e)。

図2. (a) 融合しない2種類のDNA液滴の模式図。Yモチーフと結合しづらい配列(「直交配列」)を持つ「直交Yモチーフ」を新たに設計した。直交Yモチーフどうしも互いに結合し、DNA液滴を形成できるが、Yモチーフとは結合できないため、Yモチーフと直交Yモチーフは独立してDNA液滴を形成し、それぞれのDNA液滴は融合しない。(b) 融合しない2種類のDNA液滴を撮影した連続顕微鏡画像。緑色の蛍光がYモチーフ、青色の蛍光が直交Yモチーフを表す。緑と緑、青と青のDNA液滴の融合は観察されたが、緑と青の融合は観察されなかった。(c) Yモチーフと直交YモチーフをつなぐことができるDNAを加えたことにより、2種類のDNA液滴が融合した(直交性が解消された)様子を撮影した顕微鏡画像。緑色と青色が一つの液滴の中に観察できることから、2種類のDNA液滴が融合していることがわかる。(d) 分裂するDNA液滴を撮影した連続画像。直交性が解消されたDNA液滴に酵素を作用させることで、直交性が回復し、DNA液滴が分裂する。(e) Yモチーフと直交Yモチーフが左右2成分に分離したヤヌス液滴と、斑点状に分離した水玉模様のDNA液滴。

図2. (a) 融合しない2種類のDNA液滴の模式図。Yモチーフと結合しづらい配列(「直交配列」)を持つ「直交Yモチーフ」を新たに設計した。直交Yモチーフどうしも互いに結合し、DNA液滴を形成できるが、Yモチーフとは結合できないため、Yモチーフと直交Yモチーフは独立してDNA液滴を形成し、それぞれのDNA液滴は融合しない。(b) 融合しない2種類のDNA液滴を撮影した連続顕微鏡画像。緑色の蛍光がYモチーフ、青色の蛍光が直交Yモチーフを表す。緑と緑、青と青のDNA液滴の融合は観察されたが、緑と青の融合は観察されなかった。(c) Yモチーフと直交YモチーフをつなぐことができるDNAを加えたことにより、2種類のDNA液滴が融合した(直交性が解消された)様子を撮影した顕微鏡画像。緑色と青色が一つの液滴の中に観察できることから、2種類のDNA液滴が融合していることがわかる。(d) 分裂するDNA液滴を撮影した連続画像。直交性が解消されたDNA液滴に酵素を作用させることで、直交性が回復し、DNA液滴が分裂する。(e) Yモチーフと直交Yモチーフが左右2成分に分離したヤヌス液滴と、斑点状に分離した水玉模様のDNA液滴。

次に、DNA液滴技術の拡張性を示すため、タンパク質と組み合わせることを試みた。タンパク質(ストレプトアビジン)に、配列設計したDNAを修飾することで、DNA液滴内部へのタンパク質の選択的な集積(図3a)や非対称な配置を実現した(図3b)。この結果から、DNAを修飾できる様々な分子に対して、本研究の成果であるDNA液滴の制御技術を適用できる可能性が示された。

図3. (a) DNA液滴へのタンパク質の選択的集積を表す模式図と顕微鏡画像。タンパク質(ストレプトアビジン)にYモチーフ・直交Yモチーフそれぞれの粘着末端と同じ配列を修飾することで、集積が生じる。図中のグラフは、顕微鏡画像の白線における蛍光強度(青:直交Yモチーフ、緑:Yモチーフ、赤:タンパク質)の分布を表す。(b) ヤヌス型のDNA液滴内部でタンパク質が非対称に分布する様子を撮影した顕微鏡画像。この画像では、タンパク質がYモチーフ成分の片側にのみ分布している。

図3. (a) DNA液滴へのタンパク質の選択的集積を表す模式図と顕微鏡画像。タンパク質(ストレプトアビジン)にYモチーフ・直交Yモチーフそれぞれの粘着末端と同じ配列を修飾することで、集積が生じる。図中のグラフは、顕微鏡画像の白線における蛍光強度(青:直交Yモチーフ、緑:Yモチーフ、赤:タンパク質)の分布を表す。(b) ヤヌス型のDNA液滴内部でタンパク質が非対称に分布する様子を撮影した顕微鏡画像。この画像では、タンパク質がYモチーフ成分の片側にのみ分布している。

今後の展開

今回の成果は、生体分子内に配列としてコードされた情報に基づいて、マイクロサイズの液滴を設計・制御するためのプラットフォームを提供するものと考えられる。またDNAは、配列設計を変えることで分子間の相互作用の強さを任意に調節できることから、細胞内で生じる生体分子の相分離現象を調べるためのモデルとしての活用が期待できる。さらに、これまでに報告されている様々なDNA分子センサやDNAコンピュータと組み合わせれば、分子ロボット[用語6]の開発につながり、この技術を通して、体内での治療技術や薬剤送達技術の発展に寄与できる。本成果をもとに、細胞小器官(オルガネラ)のような構造の創出、細胞核で起こる相分離等の物理現象の解明、原始細胞[用語7]の起源の探求など、人工細胞工学分野への展開も期待される。

本研究成果は、文部科学省 科学研究費補助金、「東工大の星」支援【STAR】、旭硝子財団研究奨励の支援のもとで得られた成果である。また、東京工業大学の阪本哲郎修士課程大学院生(当時)との共同研究である。

用語説明

[用語1] 液-液相分離 : 溶液中の分子が混じり合わずに分離する現象。1種類の分子が溶けている場合の液-液相分離は、水の中に分子の濃度が濃い相と薄い相の2層に分かれる。2種以上の分子が溶けている場合は、お互いに混ざらずに分離することを表す。

[用語2] マイクロサイズ : マイクロメートル(µm)は1メートルの100万分の1の長さ。大腸菌などの細菌の大きさが約1マイクロメートルである。

[用語3] ナノ構造 : ナノメートル(nm)は1メートルの10億分の1の長さ。水分子の大きさが約0.4ナノメートルである。ナノメートルサイズの大きさを持つ構造のことをナノ構造と呼ぶ。

[用語4] 粘着末端 : DNAの二重らせんの末端構造の呼び方の一つで、二重らせんを形成せずに1本鎖の状態で飛び出ている状態を指す。

[用語5] ヤヌス液滴 : 一般に、一つの粒子の中で成分が二つに分かれていることを、ローマ神話に登場する2つの顔を持つ神(Janus:ヤヌス)になぞらえて「ヤヌス粒子」と表現する。同様に、一つの液滴の中で成分が二つに分かれている液滴のことをヤヌス液滴と呼ぶ。

[用語6] 分子ロボット : 分子デバイス(分子レベルで設計されたセンサ、アクチュエータ、プロセッサなど)を統合した、人工的な分子システム。日本の分子ロボティクス研究会 outerが世界に先駆けて提唱した概念である。

[用語7] 原始細胞 : 現在の細胞の原型と考えられる細胞。原始細胞の起源にはいくつかの候補があるが、高分子の粒子が集まって形成された液滴(コアセルベート)を起源とする仮説がある。

論文情報

掲載誌 :
Science Advances
論文タイトル :
Sequence-based engineering of dynamic functions of micrometer-sized DNA droplets
著者 :
Yusuke Sato, Tetsuro Sakamoto, Masahiro Takinoue(佐藤佑介、阪本哲郎、瀧ノ上正浩)
DOI :
<$mt:Include module="#G-09_情報理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 情報理工学院 情報工学系

准教授 瀧ノ上正浩

E-mail : takinoue@c.titech.ac.jp / masahiro.takinoue@takinoue-lab.jp

Tel : 045-924-5680 / Fax : 045-924-5206

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp

Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661


伸び縮みによって色が変化する伸縮性カラーシートの開発に成功 皮膚に貼って画像を表示する電子皮膚応用へ向けて

$
0
0

概要

豊橋技術科学大学 電気・電子情報工学系の熊谷隼人(博士後期課程)、髙橋一浩准教授と、東京工業大学 生命理工学院の藤枝俊宣講師らの共同研究チームは、膜厚400ナノメートル(髪の毛の太さの100分の1以下)のシートを伸び縮みさせ、発色を変化させる可変カラーシートの開発に成功しました。この可変カラーシートは、エラストマーシートの中に形成した金属ナノ構造による発色を利用して、伸縮動作により波長域495-660ナノメートルの範囲で透過光の可逆的な波長制御を実現します。開発した伸縮性カラーシートはエラストマーの高い凝着性を利用して、皮膚への接着や様々な電子機器上へ室温で転写接着が可能なため、貼り付け型の表示素子への応用が期待されます。

伸縮性カラーシートの構造と伸び縮みの際の色変化

伸縮性カラーシートの構造と伸び縮みの際の色変化

詳細

金属のナノ構造を周期的に配列した構造の表面では、特定の光に対して電子が集団振動する表面プラズモンと呼ばれる効果を発生させることができ、この効果を利用して本来光が通過できない狭いナノ隙間を透過するカラーフィルタを作製することができます。この現象を光の異常透過現象と呼び、この原理を利用したカラーフィルタは顔料を利用した従来のカラーフィルタとは異なり、経年劣化の恐れがなく、スマートフォンなどに内蔵されているイメージセンサを構成するカラーフィルタに利用できると期待されています。また、最近では、表面プラズモンを生成する光の波長を制御する手法として、伸縮性の材料上に金属ナノ周期構造を形成し、シートの伸縮により構造の周期を変位させて色を変化させるダイナミックカラーチューニングが研究されています。この技術により、形態自由度の高いフレキシブルディスプレイや、構造のひずみを可視化するセンサ等への応用が期待されています。

しかしながら、これまでに報告されてきた研究報告例では、ナノ構造を支えるシートの膜厚がミリメートルオーダーであったため、マイクロマシン技術による駆動機構と組み合わせることが困難でした。また、支持シートの伸縮駆動に要する駆動力はシートの膜厚に依存するため、厚いシートはマイクロマシンデバイスの駆動電圧が増大する課題があります。

そこで、研究チームは、自動車用タイヤなどに使われているゴム材料の一種であるスチレン・ブタジエン・スチレンブロック共重合体(SBS)の膜厚を1マイクロメートル以下まで薄膜化したエラストマーナノシートを使用して、伸縮性カラーシートを開発しました。ナノ薄膜化したエラストマー材料中に金属ナノ構造を埋め込むことによって、表面プラズモンを利用した光の異常透過を確認しました。このナノシートへひずみを与え、シートを透過する光が青、緑、赤へと変化することを確認し、表面プラズモンによる異常透過光の動的制御に成功しました。また、透過ピークの波長の495ナノメートルから660ナノメートルに及ぶ連続的な変化を実現するとともに、繰り返し伸縮動作が可能なことを実証しました。作製したカラーシートを伸縮するための駆動力は、従来の数値よりも2〜3桁小さく、一般的なマイクロアクチュエータの発生力で十分に駆動可能です。さらに、エラストマーの接着力によりあらゆる場所への貼り付けが可能なため、構造物のひずみの検出・視覚化を可能にし、さらにマイクロマシン技術との一体化により可変カラーフィルタの実現が期待されます。

今後の展望

研究チームは、伸縮性カラーシートをマイクロアクチュエータで駆動することにより電子的に発色を変化させる表示素子に適用可能であると考えています。シートの柔軟性や接着性を利用して、皮膚上に貼り付けて画像を表示する電子皮膚への応用が期待されます。

付記

本研究は、文部科学省科学研究費(基盤研究B、若手研究A、特別研究員奨励費)、卓越研究員事業、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)さきがけ 素材・デバイス・システム融合による革新的ナノエレクトロニクスの創成の助成によって実施されました。

論文情報

掲載誌 :
Advanced Optical Materials, 8, 1902074 (2020)
論文タイトル :
Stretchable and high-adhesive plasmonic metasheet using Al subwavelength grating embedded in an elastomer nanosheet
著者 :
Hayato Kumagai, Toshinori Fujie, Kazuaki Sawada, Kazuhiro Takahashi
DOI :
<$mt:Include module="#G-11_生命理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系

講師 藤枝俊宣

E-mail : t_fujie@bio.titech.ac.jp

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

豊橋技術科学大学 広報担当総務課広報係

前田・高柳・古橋

E-mail : kouho@office.tut.ac.jp
Tel : 0532-44-6506

偏波MIMO対応ミリ波フェーズドアレイ無線機を開発 5Gのさらなる高度化を実現

$
0
0

要点

  • 256 QAM変調による偏波MIMOに世界で初めて成功
  • アクティブキャンセル技術により単一のアンテナ素子で二信号の同時送受信が可能
  • 安価で量産可能なシリコンCMOS集積回路チップを搭載したミリ波無線機を実現

概要

国立大学法人東京工業大学 工学院 電気電子系の岡田健一教授と、日本電気株式会社は共同で、第5世代移動通信システム(5G)[用語1]の高度化に向けた偏波MIMO[用語2]に対応するミリ波[用語3]フェーズドアレイ[用語4]無線機を開発した。同じ周波数帯域幅で比較すると、従来に比べ、通信速度を二倍にすることが可能である。

5Gでは、ミリ波帯の周波数を用いて通信速度の向上を図っているが、さらなる高速化のための方法の一つが、単一のアンテナから二つの独立した偏波[用語5]信号を送受信する偏波MIMOである。しかし従来の回路方式では、二つの偏波信号が混信し、信号品質が劣化するため、十分に通信速度を向上させられなかった。

本研究では、偏波信号間の混信を無線機回路内で打ち消すことにより、信号品質を改善し、通信速度を向上させる新たな回路方式の開発に成功した。この回路方式による28 GHz帯フェーズドアレイ無線機を製作したところ、変調精度(EVM)[用語6]を7.6 %から3.2 %へ改善し、256 QAM[用語7]による偏波MIMOでの通信に世界で初めて成功した。この無線機は、安価なシリコンCMOS(相補型金属酸化膜半導体)プロセスで製作された。今回開発した回路は、5G向けの各種無線通信機器に搭載可能で、高い周波数利用効率と装置の小型化を両立し、ミリ波帯の5Gの普及や高度化を加速させる成果といえる。

研究成果は6月15日からオンライン開催される国際会議「Symposium on VLSI Circuits 2020(VLSI回路シンポジウム2020)」で発表する。また、この発表論文は同国際会議の注目論文に選定されている。

本研究は総務省委託研究「第5世代移動通信システムの更なる高度化に向けた研究開発(JPJ000254)」の成果の一部である。

背景

昨今の急激な社会情勢などの変化により、人々が物理的に隔離された状況下でも社会・経済活動を円滑に進めていくことが、人々の健康や持続的な社会を維持するために極めて重要となっている。その基礎の一つとなる技術が無線通信であり、特に動画配信やテレワーク、リモート授業などの拡大によって高まる通信需要を満たすものとして、第5世代移動通信システム(5G)が脚光を浴びている。

現在、日本を含めて、先駆的な取り組みを行っているいくつかの国では、初期の5Gシステムの運用が開始されつつあるが、社会的変化により、さらなる通信高速化の需要が高い。5Gでは、事業者ごとに周波数帯が割り振られており、そのうちミリ波帯の一部である28 GHz帯では、400 MHz帯域幅を上限として割り当てが行われている。この400 MHzの帯域幅を用いて64 QAM変調による通信を行うと、2.1 Gbpsの通信速度を実現できるが、5Gの高度化のためにはさらなる通信速度の向上が必要とされる。

5Gの高度化に向けた課題

従来のマイクロ波帯での通信と異なり、ミリ波帯では送受のアンテナ間に遮蔽物のない見通し通信が行われる。このため、マイクロ波帯で通信速度向上のために用いられるMIMO技術は、ミリ波帯では必ずしも利用することができない。そのため、偏波を用いることで見通し間でもMIMOを可能とする、偏波MIMO技術が注目を浴びている。

偏波MIMOでは、図1に示すように、一つのアンテナにおいて水平と垂直の直交する二つの偏波信号を発生させる。しかしながら、単一のアンテナから異なる二つの信号を放射するため、両者の分離が難しく、また集積回路チップ内やプリント基板上の配線でも信号が混信する。特に周波数帯域幅が広くなるほど混信を防ぐのが困難となる。このような理由から、従来の回路方式では信号品質が劣化するため、64 QAM変調での偏波MIMO通信が限界であった。また、別々のアンテナを用いれば、ミリ波帯でもMIMOを利用することができるが、省面積化の観点から、単一のアンテナでの偏波MIMOを実現できる技術の確立が望まれていた。

図1.偏波信号間の漏洩補正および任意角偏波回転を実現

図1. 偏波信号間の漏洩補正および任意角偏波回転を実現

研究成果

研究グループは、従来の回路方式で問題となっていた偏波信号間の混信を無線機回路内で打ち消すことにより、信号品質を改善し、通信速度を向上させる新たな回路方式の開発に成功した。具体的には、信号漏洩を検出する回路と、高精度補償を可能とするアクティブキャンセル回路を無線機内に内蔵することにより、偏波補償回路を実現した。5Gでは広帯域信号を扱うため、デジタル信号処理で偏波漏洩を一括して補償することが難しいため、高周波回路部でのアクティブキャンセルを行うことで、高精度に補償することを可能とした(図1)。また、この技術を用いることで、偏波を任意角に回転させることも可能となった(図1)。

この新しい回路方式を用いたフェーズドアレイ無線機を、最小配線半ピッチ65 nm(ナノメートル)のシリコンCMOSプロセスで製作した。この無線機では、16平方mmの小面積に、水平偏波用に4系統分、垂直偏波用に4系統分のトランシーバを搭載した(図2)。集積回路チップはWLCSP(Wafer Level Chip Size Package)技術によりパッケージングした。プリント基板の表面にはアレイアンテナを設け、裏面に集積回路チップを実装した。個々のアンテナ素子には、それぞれ水平・垂直の2偏波分の信号線が接続されている。プリント基板全体では、合計64個のアンテナ素子と、16個の集積回路チップを実装した(図3)。

図2. 偏波MIMO対応フェーズドアレイ無線機
図2. 偏波MIMO対応フェーズドアレイ無線機

図3. 64アンテナ素子搭載プリント基板
図3. 64アンテナ素子搭載プリント基板

製作したフェーズドアレイ無線機について、電波暗室内で2台のモジュールを対向させ、今回開発した偏波補償回路を動作させてデータ伝送試験を実施した。その結果、偏波補償回路の動作により、偏波間信号漏洩を-15 dBから-41 dBに改善できることが分かった。トランシーバ1系統あたりの飽和出力電力[用語8]は16.1 dBmで、0度方向での等価等方輻射電力(EIRP)[用語9]の最大値は52 dBmであった。従来技術では、偏波間の信号漏洩のため、28 GHz帯に割り当てられている400 MHz帯域幅を用いて256 QAMの偏波MIMO通信を行うことができなかったが、今回開発した回路によって補償することで、変調精度(EVM)を7.6 %から3.2 %へ改善し、256 QAMによる偏波MIMOでの通信に世界で初めて成功した。

今後の展開

本研究成果により、ミリ波帯フェーズドアレイ無線機の小型化と、さらなる高速化が可能となった。開発した無線機は、5G用基地局向けの仕様にあわせて製作されており、早期の実用化が可能であると考えられる。

用語説明

[用語1] 第5世代移動通信システム(5G) : 2019年に展開を開始した、国際的な移動通信ネットワークの第5世代技術標準。現在ほとんどの携帯電話に用いられている第4世代移動通信システム(4G)ネットワークの後継の規格である。5Gネットワークの主な利点の一つは、より大きな帯域幅を持つことであり、さらなる高速化によって、最終的には10ギガビット/秒(Gbit/s)以上の通信速度を目標としている。既にサービスを開始している5Gの移動通信のほとんどは従来技術の延長であり、4G携帯電話と同じかわずかに高い、6 GHz程度までの限られた帯域の周波数範囲を使用している。一方で、高度な技術が必要とされる、ミリ波・超広帯域などを利用した5Gシステムも活発に研究されており、新たなテクノロジーの突破口となることが期待されている。

[用語2] 偏波MIMO : MIMO(multiple input multiple output)とは、複数の送受信アンテナを使用することで、複数の無線通信経路を確立し、利用する技術であり、帯域あたりの伝送速度の向上が可能である。適切なアンテナを用いることで、特定の偏波[用語5]の電波を取り出すことが可能であり、水平偏波と垂直偏波の二つの偏波を用いて複数の通信経路を作り出すMIMO技術を、特に偏波MIMOという。

[用語3] ミリ波 : 波長が1~10 mm、周波数が30~300 GHzの電波。

[用語4] フェーズドアレイ : 複数のアンテナへ位相差をつけた信号を給電する技術。放射方向を電気的に制御するビームフォーミング(電波を細く絞って、特定の方向に向けて集中的に発射する技術)の実現に利用される。

[用語5] 偏波 : 光が空間を伝わるときに波が振動する方向のことを偏光といい、カメラの偏光フィルタなどを用いることで、特定の振動方向の光を取り出すことができる。同様に電波が空間を伝わるときに波が振動する方向のことを偏波といい、振動方向が一定で、電界が地面に対して垂直な偏波を垂直偏波、電界が水平な偏波を水平偏波と呼ぶ。

[用語6] 変調精度(EVM) : Error Vector Magnitudeの略。無線通信に用いられるデジタル変調の品質を示す尺度の一つ。理想的な信号と、測定された雑音や歪などの劣化を含む信号との間の、差分のベクトルの大きさから計算される。値が小さいほど品質の高い理想的な信号に近いことを示す。

[用語7] 256 QAM、64 QAM : デジタルデータと電波や電気信号の間で相互に変換を行うためのデジタル変調方式の一つ。AMラジオ等で用いられるAM(Amplitude Modulation)変調は搬送波の振幅を利用した変調方式であるが、QAM(Quadrature Amplitude Modulation)は搬送波の位相と振幅の両方を利用した変調方式である。データを示す位相と振幅の組み合わせの数が256であるものを256 QAMと呼び、64であるものを64 QAMと呼ぶ。例えば256 QAMでは、位相が直交する二つの波を合成して搬送波とし、それぞれに16段階の振幅を与えることで、合計での256値(16×16)のシンボルを利用して一度に8ビットの情報を伝送することができる。

[用語8] 飽和出力電力 : 増幅器が出力できる最大電力。

[用語9] 等価等方輻射電力(EIRP) : Equivalent Isotropic Radiated Powerの略。指向性のあるアンテナを用いると、放射方向によっては無指向(等方性)のアンテナを用いるよりも強い電力密度を発生させることができる。この場合に、指向性のあるアンテナで生じる電力密度を、等方性アンテナにより得るために必要となる送信電力を等価等方輻射電力という。

発表予定

研究成果は6月15日からオンライン開催される国際会議「Symposium on VLSI Circuits 2020(VLSI回路シンポジウム2020)」において発表される。また、本研究は、同国際会議の論文委員会において高く評価され、全110件の発表のうち6件の注目論文(Technical Highlights)の一つに選定されている。

会議Webサイト:
講演タイトル :
A 28-GHz CMOS Phased-Array Beamformer Supporting Dual-Polarized MIMO with Cross-Polarization Leakage Cancellation(アクティブリークキャンセルによる偏波MIMO対応28GHz帯CMOSフェーズドアレイ無線機)
講演ビデオ公開時間:
日本時間6月15日午前1時(CF2 – RF & mm-Wave Circuits)
Q&Aセッション:
日本時間6月19日午前9時(High Speed Circuits, Systems and Devices)
<$mt:Include module="#G-05_工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

研究に関すること

東京工業大学 工学院 電気電子系

教授 岡田健一

E-mail : okada@ee.e.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3764 / Fax : 03-5734-3764

日本電気株式会社 ネットワークサービス企画本部

E-mail : contact@nwsbu.jp.nec.com

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

日本電気株式会社 コーポレートコミュニケーション本部
広報室 友永

E-mail : press@news.jp.nec.com
Tel : 080-2074-3176

凝集誘起発光とは何か?その本質が明らかに 理論化学で発光現象を映画のように視覚的に再現

$
0
0

要点

  • 1分子で働く理想的な凝集誘起発光(AIE)色素の発見
  • 福井謙一博士の化学反応経路を予測する理論を発展させ蛍光現象を解明
  • 大きな構造変化を経て失活する分子の探索により環境応答型蛍光色素を設計

概要

東京工業大学 物質理工学院応用化学系の小西玄一准教授、京都大学福井謙一記念センターの鈴木聡博士、フランス・ナント大学ジャン・ルエル材料科学研究所の佐々木俊輔博士、香港科学技術大学のBen Zhong Tang(唐本忠)教授らの研究グループは、現象論的に定義されてきた凝集誘起発光(AIE)[用語1]について1分子で働く理想的な分子系を発見した。光物理過程の実験・理論的解析によりAIE現象の本質を明らかにし、新分子探索法や機能開発の指針を提案した。

今回の研究成果はAIE色素の理解を深めるだけでなく、新しいAIE色素の開発や性能向上への応用が期待される。

同グループは2015年に大きく捻じれたジアルキルアミノ基[用語2]を持つ芳香族炭化水素類が1分子でAIE挙動を示す理想的な分子群であることを発見し、実験と理論の両面から発光・消光メカニズムを解明、AIE現象の本質は溶液中での失活経路[用語3]にあることを明らかにした。

AIE色素は希薄溶液状態では発光せず、固体・凝集状態で強発光する蛍光色素で、一般的な蛍光色素と反対の挙動を示す。この性質を利用し、固体発光材料や生体分子観察などへの応用が進んでいる。しかしAIEは現象につけられた名前で、様々な発光メカニズムや分子集合体の効果が混在しており、その原理を統一的に理解し新しい分子の設計や機能の開発を行うための基礎研究が必ずしも十分であるとは言えなかった。

研究成果はドイツ化学会Wiley-VCH(ワイリー社)の総合化学雑誌Angewandte Chemie(アンゲヴァンテ・ケミー)Web版に5月18日付で公開された。

研究成果

溶液中で消光し、固体状態で強く発光する凝集誘起発光(AIE)色素は、生体分子分析や固体発光材料への多彩な応用への期待から、大きな注目を集めている。しかし、AIEは現象につけられた名前であり、様々な発光メカニズムや分子集合体の効果が混在しているため、その原理を統一的に理解して新しい分子の設計や機能の開発を行う基礎研究が不十分だった。

研究グループは2015年に偶然発見したAIE色素(図1、文献1)および類似の構造である大きく捻じれたジアルキルアミノ基を持つ芳香族炭化水素類が1分子でAIE挙動を示す理想的な分子群であることを発見した(代表的なAIE色素は構造もメカニズムも複雑である)。そして、実験と理論の両面からこれらの色素の発光・消光メカニズムの解明に挑戦した。

図1. 研究グループが発見したAIE色素

図1. 研究グループが発見したAIE色素

AIE現象の特徴である溶液中の消光は光励起後に極めて短いスケール内で起こる内部転換(内部変換)領域で起こる。したがって、実験的手法で解析することが困難なため、発光・消光メカニズムを実証することが難しいとされてきた。研究グループは、量子化学をベースに、ポテンシャル曲面[用語4]、すなわち化学反応の経路を算出し、消光が起こる際の分子の構造変化を可視化することに成功した(図2)。

図2. 理論計算による発光現象の解析。左:溶液中での消光。励起一重項と基底一重項[用語5]のポテンシャル面の交差(円錐交差CI)付近を経由する(無放射)失活経路。右:円錐交差CIの不安定化による蛍光発光Fl(放射失活)

図2.
理論計算による発光現象の解析。左:溶液中での消光。励起一重項と基底一重項[用語5]のポテンシャル面の交差(円錐交差CI)付近を経由する(無放射)失活経路。右:円錐交差CIの不安定化による蛍光発光Fl(放射失活)

これらの議論から、AIE現象の本質は溶液中での無輻射失活経路[用語6]にあることを明らかにした。このことは、分子集合体の性質により蛍光強度が増加する系でも成り立つ。また、これらの知見をもとに、溶液中で励起された分子が、大きな構造変化を伴う失活経路により消光する分子系が新しいAIE色素の候補となることを指摘した。

背景

一般的な蛍光色素は希薄溶液中で強発光し、固体状態になると蛍光が弱くなるか消光する。それに対して、2001年に香港科技大のBen Zhong Tang教授(京大工博・高分子化学専攻1988)は溶液中でほとんど発光せず、凝集すると可視領域に強発光を示す凝集誘起発光(AIE)色素を発見し、材料科学や分析化学への応用を展開してきた。

概念の提唱から20年、AIEは化学・材料分野の中で最もエキサイティングな領域の1つに成長した。しかしながら、AIEは発光現象につけられた名前であり、さらに発光メカニズムも分子系ごとに異なると考えられるため、光化学の中での定義が不明確だった。また、AIE色素はサイズが大きく複雑な構造のものが多く、さらに合理的な分子設計法が確立されていなかった。

研究の経緯

研究グループは2015年に偶然、新しいAIE色素である9,10-ビス(ジアルキルアミノ)アントラセン[用語7]を発見した[文献1]。しかし、実験的な光物理過程の解析では発光・消光メカニズムを解明することができなかった。その後、理論計算により、AIEは分光学的に観測が難しい時間領域で起こる現象であることを明らかにした[文献2]。その方法は福井謙一博士が創始し、諸熊奎治博士が発展させた化学反応経路の探索法である。以下にその歴史的背景を説明する。

複雑な化学反応を紙と鉛筆で理解するフロンティア軌道理論[用語8]は、1981年に日本人として初めてノーベル化学賞を受賞した福井博士(京大名誉教授)が切り拓いた分野である。福井博士が発見したもう一つの重要な理論として、IRC(intrinsic reaction coordinate: 固有反応座標、1970年)がある。反応速度論と分子軌道法を融合した理論で、複雑な化学反応の経路を探索することができる。ノーベル賞を受賞した翌年、福井博士は次のように記している。

「この化学反応の経路に関する理論によれば、化学反応にともなう分子の形の変化が自動的に計算される。それに従来のフロンティア軌道理論の計算を加えることによって化学反応をまさしく映画のように、視覚的に表現し得る可能性が生じたのである(『学問の創造』1982)」。

福井博士の弟子である諸熊奎治博士(エモリー大学名誉教授、元・京大福井センター、2017年逝去)はその考え方を発展させ様々な化学反応のメカニズムを明らかにした。光化学反応におけるポテンシャル面の円錐交差に着目した研究でも世界を先導した。研究グループは、諸熊博士とともに実験と理論の両面からAIE色素の光物理過程の解明と新たな分子の設計を開始した。

今後の展開

研究グループでは理論計算を駆使して、AIE色素に限らず、様々な発光材料の設計や光物理過程の予測・解析を行っている。計算機の性能の大幅な向上により、福井博士の期待通り、化学反応や発光現象をまるで映画を見るように計算により可視化できるようになった。実際の化学反応はもう少し複雑だが、反応の進行や発光の予測に十分な情報が得られるようになっている。実験的な解析が難しく、未開だった分子系の光機能の開発が期待される。

付記

本論文は、アメリカ化学会の発行の学術雑誌に発表されたAIE色素の重要論文30選outerに選定された。

用語説明

[用語1] 凝集誘起発光(AIE=Aggregation-Induced Emission) : 希薄溶液状態では発光せず、固体・凝集状態で強発光する蛍光色素で、一般的な蛍光色素と反対の挙動を示す。

[用語2] ジアルキルアミノ基 : -NR2で表される。[用語7]に示す構造の場合、立体障害によりRが平面に対して上下に捻じれた配置になる。

[用語3] 失活経路 : 光励起された分子がエネルギー的に安定な状態に移ることを失活と言う。蛍光またはりん光を発光して基底状態に戻る輻射(ふくしゃ)失活、内部転換や項間交差による無輻射失活がある。

[用語4] ポテンシャルエネルギー曲面(反応経路) : 特定のパラメータに対して系のエネルギーを表したものであり、化学反応の速度や分子のエネルギーを最小化する場合の形状を求めることに利用される。

[用語5] 励起一重項と基底一重項 : スピンが対になった状態が一重項であり、基底状態と、光を吸収して電子がより不安定な軌道に遷移した励起状態がある。

[用語6] 無輻射失活経路 : [用語3]に示した状態の遷移において熱的に失活する経路。

[用語7] 9,10-ビス(ジアルキルアミノ)アントラセン : 溶液中では発光せず、固体状態で強く発光する色素。かつては合成が難しかったが、現在はパラジウム触媒を用いた方法で大量合成も可能である。

9,10-ビス(ジアルキルアミノ)アントラセン

[用語8] フロンティア軌道理論 : 化学反応の経路が、ある特定の分子軌道=フロンティア軌道によって制御されるという量子化学の理論。今日では、化学反応や物質の状態のみならず、半導体の性質の解明にも用いられる普遍性の高い理論として、幅広く使用されている。

参考文献

1.
S. Sasaki, K. Igawa, G. Konishi, J. Mater. Chem. 2015, 3, 5940. [DOI: 10.1039/C5TC00946Douter]
2.
S. Sasaki, S. Suzuki, S. W. C. Sameera, K. Igawa, K. Morokuma, G. Konishi, J. Am. Chem. Soc. 2016, 138, 8194. [DOI: 10.1021/jacs.6b03749outer]

論文情報

掲載誌 :
Angewandte Chemie International Edition
論文タイトル :
Principles of Aggregation-Induced Emission: Design of Deactivation Pathways for Advanced AIEgens and Applications(凝集誘起発光の原理:失活経路のデザインによる新しい凝集誘起発光色素の開発とその応用)
著者 :
Satoshi Suzuki, Shunsuke Sasaki, Amir Sharidan Sairi, Riki Iwai, Ben Zhong Tang, Gen-ichi Konishi
DOI :
10.1002/anie.202000940 outer(全文を無償でご覧になれます)
<$mt:Include module="#G-07_物質理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

東京工業大学 物質理工学院 応用化学系

准教授 小西玄一

E-mail : konishi.g.aa@m.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2321 / Fax : 03-5734-2888

京都大学 福井謙一記念研究センター

博士 鈴木聡

E-mail : suzuki.satoshi.8v@kyoto-u.ac.jp
Tel : 075-711-7708 / Fax : 075-781-4757

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

京都大学 総務部 広報課 国際広報室

E-mail : comms@mail2.adm.kyoto-u.ac.jp
Tel : 075-753-5729 / Fax : 075-753-2094

7大学参加の研究グループ「コロナ制圧タスクフォース」発足 新型コロナウイルス感染症の遺伝学的知見に基づいたCOVID-19粘膜免疫ワクチンの研究開発を促進

$
0
0

概要

今、世界は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)[用語1]による未曾有の脅威に直面しています。2020年5月19日現在で、全世界で480万人の方がCOVID-19に感染し、30万人以上の方が命を落としており、今後の展開については全く予断を許しません。この脅威を克服するためには、全世界で協力して、本感染症をさまざまな側面から科学的に解明し、これに基づいた正確な診断法、重症化の予測、有効な治療薬およびワクチンの開発が火急の課題となっています。

今回、慶應義塾大学、東京医科歯科大学、大阪大学、東京大学医科学研究所、国立研究開発法人国立国際医療研究センター、北里大学、東京工業大学、京都大学の感染症学、ウイルス学、分子遺伝学、ゲノム医学、計算科学を含む、異分野の専門家が共同で研究グループ「コロナ制圧タスクフォース」を立ち上げました。本学からは、生命理工学院 生命理工学系の上野隆史教授が分子ニードル技術を用いたワクチン開発の研究に参加しています。

新型コロナウイルス感染症の最大の脅威の一つは、重症患者のうちの多くが短期間のうちに急に重篤化し、その救命のためには、大きな医療リソースを必要とするということです。本タスクフォースでは、最先端のゲノム解析技術を駆使して、COVID-19が重症化するメカニズムの遺伝学的な基盤を明らかにするとともに、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)[用語2]に対する有効な粘膜ワクチンの開発を行います。具体的には、日本人のCOVID-19の人口当たりの死亡者数が欧米諸国に比べ圧倒的に少ない点に注目し、日本人におけるCOVID-19の重症感染者と軽症・無症候感染者を比較することで、日本人特有のCOVID-19重症化に関連する疾患感受性遺伝子の探索を行います。このようにして得られる知見から、今後、COVID-19診療における治療予測を提供するだけでなく、独自の特許技術に基づいて、有効な粘膜ワクチンの開発を目指します。

コロナ制圧タスクフォースとは

WHO(世界保健機関)をはじめ、感染症・公衆衛生の専門家の見解によれば、このパンデミックは2年から3年続き、この秋冬にも流行の第2波が到来することは必至の状況とも言われています。このような100年に一度の事態に当たって、私達の生活も変更を余儀なくされています。こうした社会状況をふまえて、本研究グループは「コロナ制圧タスクフォース」を立ち上げました。当初は医師、研究者の少人数の仲間による議論でスタートしましたが、日本を始め全世界で、毎日、多数の方々が亡くなっている現状を前にして、「医学」「科学」という観点から社会に貢献することはできないかと、多数の人々が集まり、その輪が広がっています。病院の集中治療室で治療にあたっている方々、病院で働いている医療スタッフ、地域医療の最前線を担う開業医の方々、免疫学者、感染症学者、あるいはまた、医学の専門家ではないけれどもこうした活動に共感をもっていただける一般の方々が、チームを作ってCOVID-19をより理解し、合理的な予防や治療に資する、「客観的な」研究や情報の発信を目指しています。本タスクフォースのミッションは以下のとおりです。

1.
できるだけ多数の、COVID-19に罹患した患者の検体(DNA, RNA, 血漿)および臨床情報を集積することにより、国際協調も含めた研究の推進に資すること
2.
臨床検体を用いた基礎的な研究を推進すること
3.
ワクチン開発を推進すること

すでに検体の集積は始まっていて、2020年5月19日現在で、10施設で研究の倫理委員会の承認を得て検体集積が始まっており、40施設が倫理委員会の承認を申請しており、間もなく検体の集積が大規模に行われます。今後とも、できるだけ多くの医療機関の参画をお願いしてまいりたいと考えています。最初の具体的な研究目標は、COVID-19の重症化に関わる宿主側(患者側)の因子、とくに遺伝学的な因子を明らかにすることです。なお、研究成果と研究の進捗は定期的に本タスクフォースのウェブサイトouterで更新されます。

研究の背景と抗ウイルス免疫について

COVID-19は、人類に対する大きな脅威となっています。とくに欧米諸国では、COVID-19による死者はすでに数十万人に及び甚大な被害が生じています。一方、日本を始めとする東アジア諸国においても、COVID-19の蔓延は深刻な公衆衛生上・社会上の問題となっていますが、これに伴う死亡率は欧米諸国と比較して低く、国際的にも注目されています。その要因としては、高いマスク着用率と手指衛生遵守率、過去の類似ウイルス流行による潜在的獲得免疫の存在の可能性、BCG接種、特に日本においては国民皆保険制度を基盤とする医療システムと医療水準などが指摘されていますが、人種間での遺伝学的な相違が関与する可能性が大きいのではないかと推測されています。

図1. 国別に見たCOVID-19による死亡者数 出典:Our World in Data

図1. 国別に見たCOVID-19による死亡者数
出典:Our World in Data

一般にヒトが未知のウイルスに感染すると、これを排除するためにさまざまな生体の仕組みが惹起されます。こうした仕組みは「免疫」と呼ばれますが、免疫は大きく分けて、「自然免疫」と「獲得免疫」とに分けられます。前者はさまざまな細菌やウイルス、毒素に対して生まれつき人間に備わっている仕組みで、感染が生じた場合に直ちに動員される仕組みです。一方、獲得免疫は、やや遅れて動員される免疫反応で、特定のウイルスに感染した細胞を特異的に認識する細胞障害性T細胞と呼ばれる細胞によってウイルスに感染した細胞が除去される一方、B細胞と呼ばれる細胞によって、ウイルスを中和する特異的な抗体の産生が行われるようになります。後者の免疫は、一旦成立すると、これによって「獲得」され、次に同じウイルスに感染した場合には、速やかにそのウイルスを排除できるようになります。

図2. HLAと抗ウイルス免疫

図2. HLAと抗ウイルス免疫

「多型」と呼ばれる個人間の遺伝子の塩基配列の違いにより、こうしたウイルスに対する免疫応答も異なっています。つまり、その多型の違いによって、同じウイルスに感染しても、異なった免疫反応を生じます。中でも、HLA[用語3]と総称される一群の分子は、獲得免疫を誘導する、いわば司令塔のような役割を担っており、「エピトープ」と総称されるウイルスのタンパク質の一部をその上に特異的に結合します。このHLAに結合した「エピトープ」がT細胞受容体とよばれるT細胞によって認識されることが、細胞障害性T細胞や抗体を産生するB細胞の機能に代表される「獲得免疫」が機能する鍵となります。このHLAには非常に多くの種類、(HLA A、B、C、DR、DQ、DPなど)の遺伝子が存在し、また、それぞれのHLAについても(例えばHLA A)についても、個人によって異なる多型が知られており、ウイルスに対する応答性の違いだけでなく、花粉症やその他の免疫が関わる多くの病気になりやすさの違いに関係していると考えられます。一方、自然免疫を含むこれらの免疫反応は、HLAの多型以外の個人のバリエーションによっても強く影響をうけることが知られており、従って、COVID-19の重症化にはHLAを含むさまざまな多型が重要な役割を担っていることが示唆されます。

図3. COVID-19の重症化に関わる遺伝子多型を見つける

図3. COVID-19の重症化に関わる遺伝子多型を見つける

それでは、「HLAを含めた多型がCOVID-19の重症化に関わっているのか?」、もし、そうだとしたら、「一体、どの遺伝子のどのような多型がそれに関与するのか?」という疑問が生じます。もし、そのような多型があれば、重症の患者と、軽症ないし無症状の患者で、その頻度が異なることが推察されます。

そこで、今回の本タスクフォースの研究では、まず、COVID-19で重症化した患者と軽症ないし無症状で終わった患者のすべての遺伝子配列を決定して、両者で頻度に違いのある多型を見つけることを目的としています。COVID-19の重症化に関わる因子の一つとして「サイトカインストーム」という現象が注目されています。これは免疫細胞の機能やそれに反応した生体の反応を調節する「サイトカイン」[用語4]と呼ばれるタンパク質が、正常の応答の範囲を大きく逸脱して、過剰に産生される結果、ウイルスに感染した細胞のみならず、正常の細胞・臓器まで障害されてしまう現象です。このような現象も、遺伝子多型によって影響を受けている可能性があります。

一方、新興のウイルス感染症の克服には有効なワクチンの開発が鍵となります。COVID-19の重症化に関与する日本人特有の遺伝子を特定できれば、COVID-19の重症化予測そして有効な治療薬の開発に役立つだけでなく、ワクチン開発の加速が期待されます。また、本タスクフォースは分子ニードル技術やオルガノイド[用語5]技術などの独自の技術を有しており、SARS-CoV-2のワクチン開発にこれらの独自技術が相乗効果を生むことが期待されます。

図4. コロナ制圧タスクフォースの概要

図4. コロナ制圧タスクフォースの概要

研究の計画

本タスクフォースは、共同研究機関(5月19日現在40病院)から日本人COVID-19患者の血液検体を600人分集積する予定です。これらの検体を用いて、高解像度HLA解析[用語6]SNPアレイ解析[用語7]全ゲノムシーケンス解析[用語8]、T細胞レパトア解析などの包括的な解析を行い、重症化例および軽症ないし無症候感染例を比較することにより、日本人COVID-19患者の重症化に関わる遺伝子の同定を目指します。

ワクチンのターゲットとなるエピトープを決定することは、ワクチン開発の上で非常に重要なステップですが、このエピトープを予測することは困難とされています。今回、本タスクフォースは、日本人のCOVID-19患者の重症化に関わる遺伝子同定後に、次のステップとしてスパコンシミュレーションにより重症化に関わるSARS-CoV-2の抗原候補の同定を目指し、重症化の予防により適したワクチン開発を行います。

なお一連のゲノム解析については、すでに慶應義塾大学および大阪大学における倫理委員会で承認されており、協力医療機関の追加を募りつつ、承認された医療機関より逐次検体収集を開始しています。

また、本タスクフォースの研究では、COVID-19の重症感染者と軽症・無症候感染者の遺伝学的・免疫学的解析から得られる情報を基盤に、独自の分子ニードル技術に基づき、SARS-CoV-2に対する有効な粘膜ワクチン[用語9]の開発を目指します。

分子ニードル技術とは、バクテリオファージの尾部先端にある長さ約10ナノメートルの蛋白質の針(分子ニードル)を利用した、蛋白質分子の運搬技術です。分子ニードルは、自発的に細胞膜を貫通して細胞内に侵入する性質があります。この分子ニードルに、ワクチンの成分となるウイルスの蛋白質や、ペプチド配列を融合させて、鼻腔や舌下など粘膜経由で接種すると、体内(細胞内に)にウイルス抗原を届けることができるため、効率良くウイルスに対する免疫応答を誘導できます。従来のワクチンは、皮下注射で接種するタイプが主流ですが、分子ニードル技術を利用したワクチンの接種は、鼻からの吸引、舌下への滴下、またはカプセルを飲むことで実施できますので、痛みも無く安全です。

図5. アジュバント不要のCOVID-19粘膜ワクチンの開発

図5. アジュバント不要のCOVID-19粘膜ワクチンの開発

本研究では、COVID-19の重症化に関する遺伝子を探索しますが、COVID-19の免疫応答に関与する遺伝子も網羅的に調べます。その成果を利用し、COVID-19の原因ウイルスであるSARS-CoV-2の蛋白質配列のうち、効果的にCOVID-19の重症化を防ぎ、治癒や予防に結びつく部分を見つけ出すことが期待されています。私達は、このようにして発見されたSARS-CoV-2の蛋白質や、ペプチド配列を融合させた分子ニードルワクチンを開発していきます。

今後の展開

本タスクフォースでは、多くの共同研究施設を募集しています。本年7月に一旦収集した検体のヒト遺伝子を解析し、9月を目処に研究成果を速やかにまとめる予定です。本解析によって、COVID-19の日本人における重症化関連遺伝子を明らかにすることにより、COVID-19診断時に重症化を予測し、医療行政の指標として活用することによって、COVID-19第2波、第3波での医療指針に反映させ、医療崩壊を防止することが期待されます。さらに、得られる免疫学的遺伝子の情報を基盤に、多くの日本人に適応するSARS-CoV-2ワクチンのデザインに利用できることが期待されます。

特記事項

本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)によってサポートされ、AMEDの創薬支援推進事業;新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対するワクチン開発における研究開発課題「新型コロナウイルス感染症の遺伝学的知見に基づいた分子ニードルCOVID-19粘膜免疫ワクチンの開発」(研究開発代表者:金井隆典)に採択されました。

また本研究は、AMED研究費と本研究プロジェクトにご賛同いただいた寄付者からの寄付金を基に実施されます。

タスクフォースメンバー

慶應義塾大学
教授 金井隆典、教授 福永興壱、教授 長谷川直樹、教授 佐藤俊朗、病院長 北川雄光
東京医科歯科大学
M&Dデータ科学センター長 宮野悟、教授 小池竜司、教授 藍真澄、理事・副学長 木村彰方
大阪大学
教授 岡田随象、教授 熊ノ郷淳(大学院医学系研究科)
東京大学医科学研究所
教授 井元清哉
国立国際医療研究センター
プロジェクト長 徳永勝士
東京工業大学
教授 上野隆史(生命理工学院)
北里大学
教授 片山和彦、准教授 高野友美
京都大学
教授 小川誠司

用語説明

[用語1] 新型コロナウイルス感染症(COVID-19) : coronavirus disease 2019(2019年に発生した新型コロナウイルス感染症)を略した言葉で、新型コロナウイルスによる病気のことを表します。2019年の終わり頃に、中国・武漢を中心に発生したのを皮切りに、その後、世界中に感染が拡大しました。新型コロナウイルスに感染すると、発熱や咳、息苦しさといった症状が出て、感染が肺に及び肺炎を発症すると呼吸困難に陥ります。

[用語2] 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2) : 新型コロナウイルス感染症の原因となるウイルスのことを表します。2002年に流行したSARSコロナウイルスとウイルスが似ているため、SARS-CoV-2と命名されました。

[用語3] HLA : 赤血球にはA型、B型、AB型、O型などの血液型があるように、白血球をはじめとする全身の細胞にも型があります。その型をヒト白血球抗原(HLA:Human Leukocyte Antigen)と呼んでいます。HLA型は、多様性が高く、個体間で大きな違いがありますが、抗原への免疫応答性に深く関わっています。このため、特定のHLA型ごとに特定の抗原への免疫応答性が異なることが知られています。

[用語4] サイトカイン : 細胞から分泌されるタンパク質の総称で、細胞と細胞の間の相互作用、特に免疫や炎症に大きな役割を果たします。SARS-CoV-2による感染症でも、免疫や炎症の異常をきたしていることが、多くの研究で報告されています。

[用語5] オルガノイド : 従来の細胞培養技術では、多くの細胞はシート状に培養されています。オルガノイドは細胞の増殖の足場となるジェルと増殖因子と呼ばれる栄養により、3次元構造として育てられた培養細胞を指します。1つの幹細胞から生体内の組織に似た構造を培養皿の中で作り出すことが可能であり、気道や肺などのさまざまな組織の正常細胞を無限に増やすことが可能です。

[用語6] 高解像度HLA解析 : HLA遺伝子領域は多様性に富んでおり、人種間でも、個人の間でも、その配列が異なることが知られています。今回の研究では、次世代シークエンサーを用いて、詳細に解析することを目指します。

[用語7] SNPアレイ解析 : ヒトゲノムを構成する塩基配列が一つだけの塩基単位で変異した違いを、一塩基多型(SNP:Single Nucleotide Polymorphism)と呼びます。個人間の病気のかかりやすさの違いを生み出すことがあります。ゲノム全長のSNPを網羅的に解析する手法をSNPアレイと呼びます。

[用語8] 全ゲノムシーケンス解析 : ゲノム情報をゲノム全長に渡って解析することです。主に高速で大量のゲノムの情報を読み取る「次世代シークエンサー」という解析装置で、多数の遺伝子を同時に調べます。

[用語9] 粘膜ワクチン : 腸や鼻咽頭などの粘膜面をターゲットとして経口あるいは経鼻的な経粘膜に投与されるワクチンのことです。現状、多く普及されている注射型ワクチンと比較して、全身の免疫だけでなく、粘膜にも免疫を誘導することから、気道や消化器系といった粘膜面が侵入門戸となる病原体のワクチンとして期待されています。また、注射型ワクチンよりも非侵襲的であることから、実用的な面でもその普及が期待されています。

<$mt:Include module="#G-11_生命理工学院モジュール" blog_id=69 $>

分子ニードル技術の研究に関する問合せ先

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系

教授 上野隆史

E-mail : tueno@bio.titech.ac.jp

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

超音波照射のみで汎用培養ディッシュやフラスコから細胞シートを剥離 再生医療などの発展に貢献する基盤技術

$
0
0

要点

  • 特殊な化学物質や培養環境などを用いずに、超音波照射のみで一般的な培養ディッシュやフラスコから細胞シートを剥離、生成する技術を世界で初めて開発しました。
  • 通常の培養環境で細胞シートを生成できるため、細胞シートの活性は向上し、生産コストを低減できます。
  • 培養フラスコから接着タンパク質を有する細胞シートの剥離を実現した技術は他に例を見ません。

概要

慶應義塾大学 理工学部 機械工学科の竹村研治郎教授、今城哉裕博士研究員(当時。現 東京女子医科大学 博士研究員)らは安田女子大学の平野真講師、長岡技術科学大学 大学院 工学研究科の大沼清准教授、東京工業大学 物質理工学院 材料系の倉科佑太助教、慶應義塾大学 理工学部の宮田昌悟准教授と共同で、超音波を照射するだけで汎用培養容器から細胞シートを剥離する技術を開発しました。

シート状に繋がった細胞群である細胞シートによって、再生医療における培養細胞の体内への移植効率が向上します。これまで細胞シートを生成する際は、温度応答性ポリマーをコーティングした特殊な細胞培養ディッシュにおける低温培養が必要でした。一方、開発した技術では、超音波を用いることで、一般的な培養ディッシュやフラスコにおける適切な培養温度での細胞シート生成が可能になりました。培養温度の保持と一般的な培養容器の使用により、活性の高い細胞シートを安価に生成でき、臨床試験が進む再生医療を広く普及させることに大きく貢献する基盤技術となります。

本研究成果は学術雑誌Scientific Reports誌webサイトにて6月11日(英国時間)に公開されました。

背景

細胞シートとは再生医療の基盤技術のひとつです。通常の細胞剥離ではタンパク質分解酵素を用いて、細胞同士あるいは細胞と培養面を接着させるタンパク質を分解します。このため、細胞が単一の状態となり、ハンドリングが難しいうえ、体内に移植した際の生着性が低いことが課題でした。一方、温度応答性培養ディッシュという特殊なディッシュでコンフルーエント[用語1]まで培養した細胞を低温環境に曝露すると、培養面からシート状に細胞が剥離します(図1)。
この細胞シートは再生医療の飛躍的な発展に貢献しましたが、温度応答性培養ディッシュによる生成には以下の弱点もありました。

図1.酵素処理によってバラバラになる細胞と温度応答性ポリマー(従来手法)により生成される細胞シート
図1. 酵素処理によってバラバラになる細胞と温度応答性ポリマー(従来手法)により生成される細胞シート

  • 細胞を低温環境下へ暴露することによる代謝の低下
  • 消耗品として高価で特殊な培養ディッシュが必要

これらの課題を解決するために、温度低下を必要とせず、かつ一般的な培養ディッシュから細胞シートを生成することを本研究の目的としました。

研究成果

図2.超音波による細胞シート生成のイメージ図
図2. 超音波による細胞シート生成のイメージ図

上記の目的を達成するためには、通常の培養ディッシュで培養した細胞から、通常の培養温度(37 ℃)環境下において、薬品等を用いずに細胞シートを生成する必要があります。そこで、本研究グループは、超音波による音響放射圧[用語2]を用いることで細胞を物理的に剥離する手法を着想しました(図2)。

このコンセプトを確認すべく、通常の培養ディッシュの下方から超音波を細胞まで伝播させる装置を製作しました。この装置を用いて、通常の培養ディッシュからマウスの骨格筋由来の細胞株であるC2C12の細胞シートを生成することに成功しました(図3左)。さらに、細胞シートを培養に適切な温度環境で生成できるため、従来手法で生成したシートと比較して代謝が高いことがわかりました。なお、タンパク質やDNAの発現に異常はありませんでした。

さらに、同様の手法によってフラスコからの細胞シートの剥離も確認しています(図3右)。フラスコからの細胞シート剥離はこれまでいかなる手段でも報告がありません。

図3.超音波により生成した細胞シート。左:ディッシュから生成した細胞シート、右:フラスコから生成した細胞シート

図3. 超音波により生成した細胞シート。左:ディッシュから生成した細胞シート、右:フラスコから生成した細胞シート

今後の展開

今後は、ヒトiPS細胞由来の心筋細胞を用いて細胞シートを生成できることを確認する予定です。その後、動物実験により心筋シート移植の安全性と治療効果を確かめた後に臨床応用を目指します。また、本研究の成果は心筋シートに限らず細胞シート生成のランニングコストを大幅に低減できると考えられ、細胞シートを用いた再生医療などの発展に寄与できると考えています。

論文情報

掲載誌 :
Scientific Reports
論文タイトル :
Detachment of cell sheets from clinically ubiquitous cell culture vessels by ultrasonic vibration
著者 :
Chikahiro Imashiro, Makoto Hirano, Takashi Morikura, Yuki Fukuma, Kiyoshi Ohnuma, Yuta Kurashina, Shogo Miyata, Kenjiro Takemura
DOI :

用語説明

[用語1] コンフルーエント : 細胞が培養容器の培養面を覆いつくした状態

[用語2] 音響放射圧 : 超音波が照射された物体に付与される圧力

<$mt:Include module="#G-07_物質理工学院モジュール" blog_id=69 $>

お問い合わせ先

研究に関すること

慶應義塾大学 理工学部 機械工学科
教授 竹村研治郎

E-mail : takemura@mech.keio.ac.jp

安田女子大学 薬学部 薬学科
講師 平野真

E-mail : hirano-ma@yasuda-u.ac.jp
Tel : 080-4357-1876

長岡技術科学大学 大学院工学研究科技術科学
イノベーション専攻 准教授 大沼清

E-mail : kohnuma@vos.nagaokaut.ac.jp
Tel : 0258-47-9454

東京工業大学 物質理工学院 材料系
助教 倉科佑太

E-mail : kurashina.y.aa@m.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5123

取材申し込み先

慶應義塾広報室(村上)

E-mail : m-pr@adst.keio.ac.jp
Tel : 03-5427-1541 / Fax : 03-5441-7640

安田女子大学 企画部企画課(江口)

E-mail : kikaku.box@yasuda-u.ac.jp
Tel : 082-878-9980

長岡技術科学大学 大学戦略課 企画・広報室

E-mail : skoho@jcom.nagaokaut.ac.jp
Tel : 0258-47-9209 / Fax : 0258-47-9010

東京工業大学 総務部 広報・社会連携課

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

Viewing all 2008 articles
Browse latest View live