要点
- 光を長時間ショウジョウバエに当て続けると視神経のシナプスの数が減少
- 下流の神経(脳神経)が、上流の神経(視神経)にWNTというタンパク質を送り改変指令を伝達
- 学習や記憶など経験による神経シナプスの改変能力の分子メカニズム解明
概要
東京工業大学の鈴木崇之(たかし)准教授らはドイツ神経変性疾患研究所(DZNE)の杉江淳(あつし)研究員らと共同で、外界からの継続した刺激に対し、脳の神経細胞がシナプス(神経細胞の接続部分)[用語1]の構成タンパク質を入れ替え、数を減らすことによって、環境に適応することを発見した。この適応能力は、シナプスの下流から上流に運ばれる「WNT」と呼ばれる分泌タンパク質が伝達役となっていることも突き止め、シナプスが柔軟に変化する分子レベルのメカニズム解明に成功した。
鈴木准教授らはショウジョウバエ[用語3]に3日間普通の強さの光を当て、自然環境に近い形で実験を行い、シナプスの構成タンパク質の変化とシナプスの減少を観察した(図1、2参照)。この環境適応能力は経験による学習や記憶などと類似のメカニズムと考えられ、脳神経系に無数にあるシナプス接続の柔軟な適応能力の分子メカニズムの全貌解明につながる。またこの能力は、過剰な情報伝達を抑制し、過剰な興奮による細胞死を抑制する自己防衛機能を反映していると考えられる。
ショウジョウバエのような寿命の短い動物ではシナプスを変化させる神経系はあまり見出されていなかったが、スピーディーな遺伝子機能解明に定評のあるショウジョウバエで見つかったことは、シナプス変化のカギを解く研究が加速することになる。将来はヒトの心の仕組みまで理解できるような主要な共通原理の発見、神経変性疾患や精神疾患の治療に役立つほか、記憶や脳機能の向上につながることが期待される。この成果は4月16日発行の米国の脳科学誌「ニューロン」オンライン版に掲載された。
- 図1.
- ショウジョウバエの複眼に3日間光を当てると、WNTという分泌タンパク質が減少することにより視神経細胞のシナプスの数が減少することが分かった。(作図:鈴木崇之)
研究の背景
ヒトは、見たり聞いたりしたことによって、ものを覚えたり、ものの考え方が変化したりする。それは外界からの刺激により、神経が興奮し、その入力によって神経の全体としてのつながり方が変化するからである。主に、神経と神経の接続部分であるシナプスという構造の特性が変化することで、それが行われていると考えられている。
このことを神経活性依存的なシナプスの可塑的な変化と呼ぶ。シナプス可塑性の変化は非常によく研究されている分野で、さまざまな動物の脳神経系において、さまざまな形の変化が起こっていることはよく知られている。
しかし、シナプスの可塑性において、後シナプスの変化の研究は比較的進んでいるが、前シナプスの活性部位の変化については、よく分かっていなかった。また、シナプス可塑性をコントロールする分子実体についてもよく分かっていない。特に前シナプスと後シナプスを行き来して相互の情報を交換する分子についてはほとんど分かっていなかった。
研究成果
今回は、その可塑的な変化の中でも、以下の4点を解明した。
- 1.前シナプスと呼ばれる構造の構成分子が再構成を起こすことが詳細にわかった。(図2参照)
- 2.生体内で、はっきりと一つ一つの神経のシナプスの数が数えられる状態での実験で、シナプスの減少が測定できた。(図1参照)
- 3.自然な強さの光を当てるという普通の刺激に対するシナプスの可塑的な変化を生体内で捉えることができた。(図1参照)
- 4.後シナプス側の神経活性が必要であるということが分かり、後シナプス側から前シナプス側に情報の伝達が行われる必要があることが明らかになった。その実体がWNTと呼ばれる分泌タンパクであった。(図1、2参照)
今後の展開
鈴木准教授らはショウジョウバエを用いて、長時間光に当てることにより、視神経細胞を通常より長く活性化し、シナプスの構成タンパク質の変化とシナプスの減少を観察した。(図1参照)この環境適応能力は、経験による学習や記憶などとメカニズムが類似であると考えられ、脳神経系に無数にあるシナプス接続の柔軟な適応能力の分子メカニズムの全貌を解明することにつながると考えられる。
また、ショウジョウバエという遺伝子探索・機能解析が得意である実験動物で、簡便な方法でシナプス可塑性をはっきりと観察できる系を発見し、確立したことが注目される。これによって、さらなる遺伝子発見と分子メカニズムの解明が進むものと期待される。
さらに、ヒトの心の仕組みまで理解できるような主要な共通原理の発見につながり、シナプスの挙動を理解して操作することにより、記憶や脳機能の向上につながることが期待される。
さらに言えば、今回発見されたシナプスの変化は、過剰な情報の伝達を抑制し、過剰な興奮による神経細胞死から守る自己防衛機能を反映していると考えられる。本研究で発見されたWNTシグナルを操作し、シナプスの変化を自在に操作することによって、神経回路を神経細胞死から守ることが出来るようになり、神経変性疾患や精神疾患の治療に役立つことが期待される。
- 図2.
- 分子レベルでどのようなことが視神経細胞内で起こっているかを解き明かした。(右上)ショウジョウバエの複眼部分の断面図。視神経細胞がびっしりと並び、軸索を脳の内部に伸ばしている(青)。(左上)視神経細胞の軸索は脳神経とシナプスと呼ばれる接続部分を形成する(緑の点)。(下)シナプスの拡大図。光を受けた視細胞のシナプスでは、活性部位を構成するタンパク質のいくつかが離散し、シナプスの数の減少が起こる。この変化は可逆的で、暗所に戻すと再びシナプスの数は元に戻る。(作図:杉江淳)
用語説明
[用語1] シナプス : 神経細胞と神経細胞が接続している構造のこと。上流の神経が下流の神経に神経伝達物質[用語2]を放出して興奮を伝えていく。前シナプス構造とは、神経伝達物質を放出する側の細胞の構造。後シナプスとはその神経伝達物質を受け取る側の構造。
[用語2] 神経伝達物質 : 上流側の神経が興奮することによって、シナプスから放出され、受け取った神経の興奮や抑制を引き起こす化学物質。アドレナリン、アセチルコリン、ドーパミンなどが有名。
[用語3] ショウジョウバエ : 遺伝子の発見、機能解析に優れ、歴史的に他の動物の研究の礎となるような発見をいち早く行ってきたことで、実験動物としての高い評価がある。
論文情報
掲載誌 : |
Neuron |
論文タイトル : |
Molecular Remodeling of the Presynaptic Active Zone of Drosophila Photoreceptors via Activity-Dependent Feedback. |
著者 : |
Atsushi Sugie, Satoko Hakeda-Suzuki, Emiko Suzuki, Marion Silies, Mai Shimozono, Christoph Moehl, Takashi Suzuki*, and Gaia Tavosanis*
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DOI : |
研究グループ
東京工業大学、ドイツ神経変性疾患研究所(DZNE)、国立遺伝学研究所、ヨーロッパ神経科学研究所(ENI)
研究サポート
本研究は、東京工業大学による「東工大挑戦的研究賞」のサポートを受けた。科学研究費補助金である「研究活動スタート支援」、東京医科歯科大学岡澤教授を領域代表とする新学術領域研究「シナプス病態」からの支援は研究推進に不可欠な役割を果たした。また、三菱財団(自然科学研究助成)、日本分子生物学会 若手研究助成 富澤純一・桂子 基金、住友財団、ライフサイエンス振興財団、伊藤科学財団、第一三共生命科学研究振興財団(海外帰国研究者研究継続支援助成)、東レ科学技術研究助成に研究の様々な推進段階において、多大な支援を受けた。さらに、国立遺伝学研究所の共同研究支援により、鈴木えみ子博士との共同研究を円滑に進めることが出来た。
問い合わせ先
大学院生命理工学研究科
バイオフロンティア共通講座 生体システム専攻
准教授 鈴木崇之
Email : suzukit@bio.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5796 / Fax : 045-924-5974