要点
- ピレンを基盤とする新規色素開発、二光子励起蛍光顕微鏡の感度を大幅向上
- 安価で操作性に優れたファイバーレーザーに対応可能
- 二光子励起蛍光顕微鏡の医療現場での実用化を加速
概要
東京工業大学大学院理工学研究科の小西玄一准教授、仁子陽輔研究員と山口大学大学院医学研究科の川俣純教授らの研究グループは、二光子励起蛍光顕微鏡 [用語1] の感度と操作性の大幅な向上、システムのコストダウンを実現する新規蛍光色素の開発に成功した。この色素は、多環式芳香族化合物であるピレン [用語2] に電子受容性基(アクセプター)を導入した分子で、「生体光学窓」と呼ばれる生体組織の光透過性のよい波長領域(650~1100 ナノメートル=nm)で強く光を吸収(色素を励起)し、高効率で発光する。
イメージングに用いると、従来の汎用色素と比べて20倍以上の感度が得られた。また、これまでの色素では不可能だった波長1050 nmのファイバーレーザー [用語3] を使用でき、現行のチタンサファイアレーザーを用いるシステムと比べて操作性が向上し、コストが削減できる。非侵襲的かつリアルタイムの病態診断法として期待される二光子励起蛍光顕微鏡の医療現場での実用化を大きく加速させる成果だ。
二光子励起蛍光顕微鏡は、生体組織の深部を観察するのに最も優れた性能を有している。しかし、蛍光プローブと光源の性能・種類に限りがあったため、観察能力の限界とコスト面の問題があり、実用化が足踏み状態だった。
研究成果は英国王立化学会のジャーナル・オブ・マテリアルズ・ケミストリーB(J. Materials Chemistry B)1月15日号に掲載され、同号の表紙を飾った。
研究の背景
近年、病気を迅速に予測・診断・治療し、さらに発病メカニズムが不明である種々の難病の調査に取り組むために、非侵襲的かつリアルタイムで実施可能な「分子イメージング技術」に大きな注目が集まっている。2014年のノーベル化学賞は、この技術に大きく貢献した、細胞内にある小器官の構造やタンパク質の移動の観察を可能にする「超高解像度顕微鏡」 [用語4] の開発に与えられた。
ノーベル賞の対象となったシステム以外にも、用途に応じていくつかの蛍光顕微鏡が開発されており、中でも二光子励起蛍光顕微鏡は、生体中での透過性が高い光(生体光学窓:650~1100 nm)による色素の励起と発光を利用するため、生体組織の深部を観察する場合、最も優れた手法である。たとえば、生きている動物の脳や臓器の内部を、手術によって切開することなく観察出来る。また、高解像な三次元画像を得ることにも優れており、さらに造影剤として有機蛍光プローブを用いることで、動物に対する毒性を抑えることも可能であり、X線やCTよりも安全な診断法になると期待されている。
しかし二光子励起顕微鏡の医療現場への普及が進まないのには、大きく二つの理由がある。一つは、観察可能な深さが未だ最大1ミリメートル程度であり、X線やCTなどに比べ劣ること。そしてもう一つは、光源のチタンサファイアレーザーが高価であり、かつ気温の変化や湿気に弱いため空調・温調の整備された部屋を要し、さらに光軸調整などメンテナンスにも多大なコストがかかることが挙げられる。現状の価格は、2億~3億円である。
こうした問題を解決するために(1)蛍光プローブ [用語5] 色素自体の性能向上(2)新たな励起光源として安価で操作性に優れたファイバーレーザー(発振波長1050 nm)の導入―が提案されている。特にファイバーレーザーは、低予算で通常の蛍光顕微鏡を二光子励起顕微鏡へとアップグレードでき、また空調設備やメンテナンスコストが不要になるため、システムを2000万~3000万円程度で市販できると試算されている。しかし波長1050 nmで励起可能かつ高効率な二光子励起発光色素はほぼ存在していなかった。
研究成果
ピレンを基盤π電子共役系とする新規A-π-A型蛍光色素の合成
仁子研究員らは、高性能色素の開発において、π電子共役系に対し電子アクセプター(A)を複合的に導入した「A-π-A型構造」と「中心対称構造」が有効であるという過去の理論および実験研究をもとに、π電子共役系発色団として多環式芳香族化合物であるピレンに注目した。ピレンは、これまで利用されてきたπ電子系発色団と比べて、高い吸光度と長波長領域の吸収を示し、図1に示すように、高い中心対称性を持つA-π-A型構造を構築できる。したがって、高い二光子吸収性だけでなく、1050 nmにも及ぶ二光子吸収波長の長波長化と、高効率発光が期待される。この仮説のもとに、色素PY(ピレン誘導体)を設計し、わずか3ステップによる簡便な合成法を確立した。
図1. 新規ピレンA-π-A型蛍光色素PYと一光子吸収・蛍光スペクトル及び二光子吸収スペクトル
十分な水溶性と、生体光学窓中で高効率な二光子励起・発光を実現
高極性溶媒であるジメチルスルホキシド中で色素PYの一光子吸収及び蛍光スペクトルを測定したところ、それぞれ510 nm及び650 nmの極大吸収・蛍光波長を示した。PYの蛍光量子収率 [用語6] を測定したところ、80 %という高い値が得られた。さらに、二光子吸収ペクトルを測定したところ [注] 、二光子吸収効率に相当に相当する二光子吸収断面積は、950 nm付近で1100 GM、そして1050 nm付近においても、380 GMという値を示した(図1下)。
蛍光量子収率及び二光子吸収断面積から得られる「二光子励起発光効率」は、950 nm及び1050 nmでそれぞれ880 GM、300 GMであり、これらの値は既存の二光子励起発光色素と比較しても最高レベルの効率であり、PYは生体光学窓中かつ「高効率」に励起・発光が可能であることを意味している。
また、PYに近い性能を、アントラセンなど他の芳香族で実現しようとすると、複雑な分子設計を施した極めて巨大な分子になることが過去の報告からもわかっており、ピレンを用いたことで小さな分子径が維持できたことを示している(図2)。またPYはバイオイメージングへの利用が十分可能なレベルの水溶性を有していることも明らかになっている。
図2. PYとアントラセン誘導体の比較(長いアントラセン誘導体は、水に不溶であり、バイオイメージングに適さない。)
実際の分子イメージング
今回合成した色素PYを用いてHek293細胞中 [用語7] のミトコンドリア [用語8] を、二光子励起蛍光顕微鏡によって観察した。PYの比較対象として、一般的にミトコンドリアを染色するプローブであるRhodamine(ローダミン)123(二光子吸収断面積:72 GM)を用いた。950 nmの励起光源を用いて観測を行ったところ、PYはRhodamine123と比べて10分の1未満のレーザーパワーで、同等のイメージングが可能であることがわかった(図3)。また、通常レーザーパワーと二光子励起発光効率は比例関係にあるため、仮にファイバーレーザーを用いた場合も10 mW以下でイメージングが可能ということもわかった。ファイバーレーザーの出力は1 W以上あることから、PYはファイバーレーザーにも十分適用可能であることが、原理的に実証された。
図3. 二光子励起蛍光顕微鏡を用いたHek293細胞のミトコンドリアイメージング(色素PYを用いることにより、従来法よりも低エネルギーの光照射で大幅な感度の上昇が確認できる。)
研究グループでは、色素のさらなる高性能化を進めるとともに、実際に1050 nmの光源を用いた顕微鏡システムの開発を行っている。1050 nmのファイバーレーザーは、すでにいくつかの日本の企業で実用化されており、日本のテクノロジーの英知を結集したシステムを完成させ、世界の医療現場に届けたい。
本研究は、掲載誌の表表紙に採択された。次頁論文情報に記載のリンク先から論文をダウンロード(無料)すると、その1ページ目に表紙が掲載されている。
(掲載誌の表紙) 生体内で発光するピレン色素のイメージ。佐々木悠太氏(イラストレーター)製作。
用語説明・注
[用語1] 二光子励起蛍光顕微鏡 : 2つの光子を同時に蛍光物質に与えて蛍光発光させることによりイメージングする顕微鏡で、細胞を傷つけにくく、深部の観察に適している。
[用語2] ピレン : 図1に示した構造式のコア部分の多環式芳香族化合物。
[用語3] ファイバーレーザー : 増幅媒質に光ファイバーを使った固体レーザーの1種。
[用語4] 超高解像度蛍光顕微鏡 : ノーベル賞の対象になったSTORMは、複数の蛍光画像から高精度に検出した蛍光色素1分子ごとの位置情報を重ねあわせることにより一枚の高分解能蛍光画像を作製する方法で、本研究の手法とは別のものである。
[用語5] プローブ : 何らかの目的の同定や定量のために使う物質。
[用語6] 蛍光量子収率 : 吸収した光子の数をn、発光した光子の個数mのm/nを蛍光量子収率と呼ぶ。
[用語7] Hek293細胞 : ヒト、腎臓、胎児腎細胞由来、アデノウイルス5型による形質転換株
[用語8] ミトコンドリア : ミトコンドリアは、真核生物の細胞に含まれる細胞小器官であり、電子伝達系による酸化的リン酸化によるATPの産生(ADPのリン酸化)に寄与する。
[注] Z-scan法という手法により定量した。
論文情報
掲載誌 : |
J. Mater. Chem. B, 3, 184-190 |
論文タイトル : |
Novel pyrene-based two-photon active fluorescent dye efficiently excited and emitting in the 'tissue optical window (650-1100 nm)' |
著者 : |
Y. Niko, H. Sugihara, H. Moritomo, Y. Suzuki, J. Kawamata, G. Konishi
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DOI : |
問い合わせ先
大学院理工学研究科 有機・高分子物質専攻
准教授 小西玄一
Email: konishi.g.aa@m.titech.ac.jp