Quantcast
Channel: 更新情報 --- 研究 | 東工大ニュース | 東京工業大学
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2008

G.ワグネル関係資料が日本化学会「化学遺産」に認定

$
0
0

東京大学教授を務め、のちに東京工業大学の前身となる東京職工学校の教師となったゴットフリード・ワグネル博士が明治初期に開発し、日本の陶磁器を美しく進化させた釉下彩陶器「旭焼7点」(東京工業大学博物館所蔵)が、3月26日に「日本化学会認定化学遺産第38号」の認定を受けました。

旭焼 釉下彩雀図皿 径:33センチメートル
旭焼 釉下彩雀図皿 径:33センチメートル

旭焼 釉下彩山水画皿 径:41.3センチメートル
旭焼 釉下彩山水画皿 径:41.3センチメートル

旭焼 釉下彩鴛鴦図皿 径:38センチメートル
旭焼 釉下彩鴛鴦図皿 径:38センチメートル

吾妻焼 釉下彩鉢 径:15.7センチメートル
吾妻焼 釉下彩鉢 径:15.7センチメートル

旭焼 釉下彩獅子舞形置物 縦×横:7.4×11.2センチメートル
旭焼 釉下彩獅子舞形置物 縦×横:7.4×11.2センチメートル

左/旭焼 釉下彩葡萄栗鼠図タイル 縦×横:76.0×15.1センチメートル 右/旭焼タイル下絵 葡萄に栗鼠図 縦×横:71.3×15.0センチメートル
左/旭焼 釉下彩葡萄栗鼠図タイル 縦×横:76.0×15.1センチメートル
右/旭焼タイル下絵 葡萄に栗鼠図 縦×横:71.3×15.0センチメートル

化学遺産とは

公益社団法人日本化学会化学遺産委員会が2010年から行っている化学遺産認定は、化学と化学技術に関する貴重な歴史資料の中でも特に貴重なものを認定することにより、文化遺産、産業遺産として次世代に伝え、化学に関する学術と教育の向上および化学工業の発展に資することを目的とするものです。

選定に当たっては、認定候補を日本化学会会員以外からも広く公募し、応募のあった候補を含めて化学遺産委員会が認定候補の具体的な内容、現況、所在、歴史的な意義などを実地調査した上で、学識経験者で構成された「化学遺産認定小委員会」に諮問し、最終的に理事会の承認を得て決定されます。

「認定証」には次のように書かれています。

化学遺産認定証化学遺産認定証

日本化学会認定化学遺産第038号

日本化学会化学遺産 認定証

A Chemical Heritage Authorized by The Chemical Society of Japan

東京工業大学殿

日本の近代的陶磁器産業の発展に貢献したG.ワグネル関係資料

貴下ご所有の「旭焼7点」を日本の化学および化学技術にとって歴史的に貴重な資料として日本化学会化学遺産に認定します。

平成28年3月26日

公益財団法人 日本化学会

会長 榊原定征

ワグネル博士と東工大

ゴッドフリード・ワグネル博士ゴッドフリード・ワグネル博士

ワグネル博士(1831~1892年、ドイツ)は、ドイツのゲッチンゲン大学に入学し、ガウス教授のもとで1852年に数学で博士号を得たのち、パリで化学や数ヵ国語を学び、スイスで数学教師を勤めました。1868年に来日し、1870年に佐賀藩の委嘱により肥前有田で製陶の新技術を指導しましたが、廃藩置県により1871年に東京大学の前身校の教師となり、またオーストリアの万国博覧会の御用掛となって出品物の選択・製作の指導や日本の職人にヨーロッパの新技術を学ばせました。

そして日本の文部省(当時)に対して、今後の日本の発展のために、近代的な科学・技術・モラルを身につけた多数の学生を育てる専門学校を設けるように強く進言しました。後に東工大の前身校の校長となる手嶋精一氏の尽力もあり、その結果、1881年5月に東京職工学校(現・東京工業大学)が設置され、機械工芸科と化学工芸科の2科が誕生しました。

1881年にワグネル博士は、イギリスに帰国する外国人教師アトキンソン氏の後任として東京大学理学部教授となり、製造化学を担当することになりましたが、1884年6月に退職し、同年11月に東京職工学校の教師となりました。日本で最初の「窯業学」を開講し、さらに1886年には東京職工学校に「陶器瑠璃工科」を設置し、ワグネル博士自身がその主任官となって日本で初めて陶磁器やガラスの専門教育や研究を進めました。陶器玻璃工科は、後に窯業科、窯業学科…と名称を変え、著名な研究者や、河井寛次郎(1914年卒 文化勲章辞退、人間国宝辞退)、濱田庄司(1916年卒 文化勲章、人間国宝)、島岡達三(1941年卒 人間国宝)等の陶芸作家を多く輩出しました。

ワグネル博士が、教え子で助手の植田豊橘氏と共に、今回、化学遺産に認定された「旭焼」(最初は吾妻焼)製作の実験研究を開始したのは、1883年東京大学理学部教授時代の実験室においてでした。ワグネル博士は白い素地(きじ)の上に多色の美しい日本画を描き、その上に釉薬をかけて焼き上げようとしましたが、釉薬にひびが入りました。試験体の成分をやや珪酸質にしたところ釉薬にひびが入らないことには成功しましたが、次は素地が割れてしまいました。そこで、炭酸カルシウムを入れたところ割れが止まりました。狩野派の絵師達が描いた日本画の濃淡の手加減を可能にするには、低火度釉下彩が適切とも考えました。使われた素地の例としては、蛙目(がいろめ)粘土20%、寺山土70%、胡粉10%があり、焼いた温度は1,100~1,140℃、最初は経験で、後にはゼーゲル温度計を使いました。ゼーゲル氏はワグネル博士の友人で、この温度計は彼から得たとされています。

東京工業学校のワグネル博士と門下生ら(1890年9月)
東京工業学校のワグネル博士と門下生ら(1890年9月)

 

小さなサンプル実験はともかく、茶わんくらいの大きさのものの実験となると大学内では出来ず、1884年に外部の工場の空家を借りて、ろくろと窯を備えた小工場を自費で設営して実験し、成功しました。1886年11月に、「吾妻焼」の施設・設備をすべて東京職工学校に移し、「旭焼」と改称しました。

1890年には澁澤栄一氏、浅野総一郎氏らの出資により旭焼組合が出来、「東京深川区東元町旭焼製造場」が設立され、大量の旭焼が生産されましたが1896年に閉鎖されました。

これより前の1892年11月8日、ワグネル博士は東京の自宅で亡くなり、青山霊園で永遠の眠りにつきました。墓所の世話は、今日も公益社団法人日本セラミックス協会の人々が中心となって行っています。

化学遺産に認定された旭焼7点を始めとする東工大の陶器は、大岡山キャンパス百年記念館博物館に展示していますので、ぜひご覧ください。

ガウス教授:ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス(1777~1855年)はドイツの数学者、天文学者、物理学者。数学の各分野、さらには電磁気など物理学にも彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する。

お問い合わせ先

東京工業大学博物館・百年記念館

Email : centjim@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3340


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2008

Trending Articles