要点
- デジタルヘルスの中心的存在であるプログラム医療機器(SaMD)のイノベーションプロセスと産業システム構造を実証的に解明。
- 米国食品医薬品局(Food and Drug Administration, FDA)が承認した581のSaMDと、これらを提供する268のメーカーの企業プロファイルをもとに、使用別のSaMDの分布と、製品・サービスシステムにおける他の医療機器等との関係性を評価。
- 異分野からの企業の新規参入と、医療データへのアクセシビリティを確立することが、SaMDにおける破壊的イノベーションを駆動する鍵となることを提唱。
概要
東京工業大学 環境・社会理工学院 技術経営専門職学位課程(仙石研究室)の兪佳侃(ユ・ジアカン)は、科学技術振興機構(JST)による共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)川崎拠点(プロジェクトCHANGE)で実施したプロジェクトレポート研究に基づく論文において、医療・ヘルスケア分野のデジタルトランスフォーメーションの象徴であるプログラム医療機器(Software as a Medical Device, SaMD[用語1])のイノベーションプロセスと産業システム構造を実証的に解明し、将来の展望を考察した。
米国食品医薬品局(Food and Drug Administration, FDA)が承認した581のSaMDの製品情報をOpenFDAのウェブサイトから、これらを提供する268のメーカーの企業プロファイルを各種有償データベースおよび企業公開情報をもとに収集した。このデータセットに記述統計、コレスポンデンス分析とビジネスプロセス分析を適用して、使用目的に基づくSaMD製品の分布と、製品・サービスシステムにおけるSaMDと他の医療機器等との関係性評価を行った。
結果、現在のSaMD産業は、医療画像データの処理や放射線画像データの解釈に高度に集中していることが確認された。企業動向としては、市場形成をリードしている既存の医療機器メーカーは漸進的なイノベーションに注力している一方、新興企業をはじめとする新規参入企業はより破壊的なイノベーションに傾注していることが確認された。製品・サービスシステムに関しては、ハードウェア医療機器がSaMDの補完資産として機能するが、どのように相互作用するかはSaMD製品分布群により異なることが見いだされた。最後に、これらの知見に基づき、SaMDのイノベーションプロセスを、使用目的の画期性のレベルと、他の医療機器との統合レベルとに基づくレジームマップとして整理した。
SaMDはデジタルヘルスの中心的な存在として注目を集めているが、産業としては黎明期に留まり、漸進的なイノベーションが支配的である。将来は、異分野からの企業の新規参入と、医療・ヘルスケアデータへのアクセシビリティの確立が、破壊的イノベーションを駆動する鍵となると考えられる。
本研究成果は、health informatics分野のトップジャーナルの1つJournal of Medical Internet Research(h-Index=178, IF=7.4)に掲載された。
背景
先進国では高齢化が進行しており、高齢になるにつれ、多因子関連型の疾患が増加すると予測されている。これらの疾患は従来の単一標的型の疾患とは異なり、根治が難しいため、早期発見や患者の行動変化が重要である。一方で、情報通信技術(ICT)の進化により、ウェアブルデバイスやスマートフォンを通じて人間の行動変化を促すことが可能になりつつある。この背景から、デジタルヘルスに注目が集まっている。その中でも注目されているのが、プログラム医療機器(Software as Medical Device, SaMD)である。SaMDとは、ハードウェアに依存しない、1つまたは複数の医療上の機能を果たすソフトウェアのうち、流通や販売において薬事承認が必要なものを指す。これは従来のハードウェア中心の医療機器とは大きく異なる性質を持ち、ウェアラブルデバイスの普及に伴い、今後さらに成長が期待される。その一方で、SaMDのイノベーションプロセスや産業構造に着目した研究は乏しく、本研究では技術・イノベーション経営の見地からこれらを明らかにすることを研究の目的とした。
研究成果
この研究では、まずFDAよって承認された581のSaMD(Software as Medical Device)製品に関する情報を、OpenFDAのウェブサイトから収集するとともに、これら製品を提供する268社のメーカーに関する企業プロファイルを、さまざまな有料データベースや公開されている企業情報を基に収集した。収集したデータセットに記述統計、コレスポンデンス分析、ビジネスプロセス分析[用語2]を適用し、SaMD製品の使用目的に基づく分布と、製品やサービスシステム内でのSaMDと他の医療機器との関連性を評価した。
結果として、現在のSaMD産業が医療画像データの処理や放射線画像データの解釈に特に集中していることが明らかになった。企業動向としては、市場を形成している既存の医療機器メーカーが徐々にイノベーションに注力している一方で、新興企業や新規参入企業はより革新的なイノベーションに傾注していることが確認された。製品・サービスシステムに関しては、ハードウェア医療機器がSaMDの補完資産[用語3]として機能しているが、その相互作用の仕方はSaMD製品の分布群によって異なることが明らかになった。最後に、これらの知見に基づき、SaMDのイノベーションプロセスを、使用目的の革新性のレベルと、他の医療機器との統合レベルに基づいたレジームマップとして整理した(図1)。
社会的インパクト
SaMDはデジタルヘルスの中心的な存在として注目されているが、従来の研究ではほとんどがSaMDの実用化とその促進に焦点を当てており、主に規制の枠組みと技術の実現可能性に注目していた。つまり、SaMDに特化し、そのイノベーションプロセスや産業全体の姿を詳細に議論した先行研究は、これまでほとんど存在しなかった。本研究は、初めてSaMD産業の現状を詳細に調査し、産業の構造およびイノベーションプロセスを考察したものである。
この研究により、データがSaMDの開発と規制に重要な役割を果たしていることが明らかになった。産業としてのSaMDはまだ黎明期にあり、漸進的なイノベーションが主流である。将来的には、異分野からの企業の新規参入と、医療・ヘルスケアデータへのアクセスの向上が、破壊的イノベーションの鍵となると考えられる。
規制当局や開発者企業に対する提言として、イノベーションシステムにデータプロバイダーを組み込むべきであると我々は考えている。SaMDの開発においては、従来の医療にはない新たな価値を生み出すためにデータが不可欠であり、その性能を検証するためにもデータが必要である。しかし、中小企業がこれらのデータにアクセスするのは難しいため、データを持つ機関と開発業者を結びつける政策が求められる。
今後の展開
本研究では、今日においてデジタルヘルスの中心的な存在であるSaMDに焦点を当て、現在の産業構造とイノベーションプロセスを明らかにした。さらに、医療データへのアクセシビリティの向上によって異業種からの新規参入の障壁を低減させることが、SaMDにおける破壊的イノベーションの駆動要因であると結論づけた。
一方、産業の観点から見ると、ChatGPTのような生成型人工知能が広く知られるようになった現代において、SaMDの発展は医療機器産業におけるデジタル化の縮図に過ぎないことが分かる。ベンチャーやIT企業などの新規参入者はデジタル技術を活用し、既存の大手企業が主導する医療機器産業への参入が容易になった。人工知能を代表とするデジタル技術の応用は、参入障壁が高い医療機器産業にとって、「黒船の来航」とも言える変革をもたらしている。
今後の研究では、SaMDというプロダクトに見られるイノベーションの構図だけでなく、医療機器産業全体が人工知能などのデジタル技術をどのように取り入れ、産業全体を革新へと導くべきか、規制とイノベーションの共進性、イノベーションを起こす企業に求められる組織構造など、より高い視点から医療機器産業におけるデジタル革命に関する有意義なインサイトを提供したいと考えている。
付記
本研究は、国立研究開発法人 科学技術振興機構 共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)共創分野・本格型「レジリエント健康長寿社会の実現を先導するグローバルエコシステム形成拠点」(COI-NEXT川崎拠点:プロジェクトCHANGE)(JPMJPF2202)の助成のもとで実施された。
用語説明
[用語1] SaMD : 主成分分析と同様の方法で、一連のデータを2次元のグラフ形式で表示または要約する分析手法。
[用語2] ビジネスプロセス分析 : 業務プロセスにそって課題や改善点を洗い出すためのデータ分析手法。
[用語3] 補完資産 : 新技術に基づく製品・サービスの市場での競争力を確保するために必要となる各種の資産。
論文情報
掲載誌 : |
Journal of Medical Internet Research |
論文タイトル : |
Innovation Process and Industrial System of US Food and Drug Administration–Approved Software as a Medical Device: Review and Content Analysis |
著者 : |
Jiakan Yu, Jiajie Zhang, Shintaro Sengoku |
DOI : |
共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)
共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)は、大学等が中心となって 未来のあるべき社会像(拠点ビジョン)を策定し、その実現に向けた研究開発を推進するとともに、プロジェクト終了後も、持続的に成果を創出する自立した産学官共創拠点の形成を目指す文部科学省/JSTの産学連携プログラム。前身の拠点形成型プログラムである、センター・オブ・イノベーション(COI)プログラムがコンセプトとして掲げる「ビジョン主導・バックキャスト型研究開発」を基軸とした制度設計を行ったことから、本プログラムの愛称を「COI-NEXT」ともいう。知と人材の集積拠点である大学等のイノベーション創造への役割が増している中、これまでの改革により、大学等のガバナンスとイノベーション創出力の強化が図られてきた。今後、「ウィズ/ポストコロナ」の社会像を世界中が模索する中、我が国が、現在そして将来直面する課題を解決し、世界に伍して競争を行うためには、将来の不確実性や知識集約型社会に対応したイノベーション・エコシステムを「組織」対「組織」の産学官の共創(産学官共創)により構築することが必要となる。
COI-NEXT川崎拠点(プロジェクトCHANGE)
2022年10月にCOI-NEXT 共創分野・本格型に採択された「レジリエント健康長寿社会の実現を先導するグローバルエコシステム形成拠点」をCOI-NEXT川崎拠点(プロジェクトCHANGE)と呼ぶ。「医工看共創が先導するレジリエント健康長寿社会の実現」をビジョンに掲げ、看護に携わる方々の支援と生活者の身体機能の維持を両輪として少子高齢社会の課題解決に繋がる道具やシステムの研究開発を行っている。川崎市産業振興財団が代表機関となり、ナノ医療イノベーションセンターを中核に、大学・企業に加え川崎市看護協会や国立医薬品食品衛生研究所、川崎市健康安全研究所など36機関が共創するプロジェクトである。
ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)
ナノ医療イノベーションセンター(iCONM)は、キングスカイフロントにおけるライフサイエンス分野の拠点形成の核となる先導的な施設として、川崎市の依頼により、公益財団法人川崎市産業振興財団が、事業者兼提案者として国の施策を活用し、2015年4月より運営を開始した。有機合成・微細加工から前臨床試験までの研究開発を一気通貫で行うことが可能な最先端の設備と 実験機器を備え、産学官・医工連携によるオープンイノベーションを推進することを目的に設計された、世界でも類を見ない非常にユニークな研究施設となっている。
- プレスリリース プログラム医療機器(SaMD)のイノベーションプロセスと産業システム構造を実証的に解明 —医療デジタルトランスフォーメーションの現在と将来—
- 仙石愼太郎|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 仙石研究室
- 環境・社会理工学院 技術経営専門職学位課程 / イノベーション科学系
- 科学技術振興機構(JST)
- 米国食品医薬品局(Food and Drug Administration, FDA)
- 研究成果一覧
お問い合わせ先
東京工業大学 環境・社会理工学院 技術経営専門職学位課程 教授
COI-NEXT川崎拠点(プロジェクトCHANGE)研究課題5 リーダー
仙石慎太郎
Email sengoku.s.aa@m.titech.ac.jp
Tel / Fax 03-3454-8907
取材申し込み先
東京工業大学 総務部 広報課
Email media@jim.titech.ac.jp
Tel 03-5734-2975 / Fax 03-5734-3661
公益財団法人川崎市産業振興財団 ナノ医療イノベーションセンター プロジェクトCHANGE 研究推進機構
担当:島﨑、池城