要点
- ファンデルワールス物質の薄膜において、ギガヘルツ帯からテラヘルツ帯の電磁波を使って大きなスピン流を実現する方法を理論的に提案した。
- ファンデルワールス物質の一種であるCrハライド系における光誘起スピン流を非線形理論を用いて詳細に調べ、この物質で大きなスピン流が生じることを理論的に予測した。
- 本研究は情報技術の重要な要素である光と磁気の間の直接的な情報交換を可能とし、光磁気技術に新しい展開をもたらす可能性がある。
概要
東京工業大学 理学院 物理学系の石塚大晃准教授と千葉大学 大学院理学研究院の佐藤正寛教授は、原子が平面状に2次元的に並んだ物質(2次元物質)の一種で磁性絶縁体(電気を流さない磁石)であるCrハライド系の物質にギガヘルツ帯からテラヘルツ帯[用語1]の電磁波を印加することで、スピン流[用語2]の整流効果(特定の方向に流れが生じる現象)が生じることを理論的に明らかにした。
バルクの磁性絶縁体におけるスピン流の整流効果は2019年に本研究チームによって提案されたが、候補物質はこれまで知られていなかった。本研究では空間反転対称性[用語3]の破れた磁性絶縁体であるCrハライド系を対象として、光誘起スピン流の発生条件等を理論的に解析し、(1)この物質で光誘起スピン流がみられること、(2)この物質の光誘起スピン流が先行研究のそれと異なる機構で生じること、(3)そして先行研究の予測値よりも大きなスピン流が期待されることを提唱した。
光誘起スピン流は、ギガヘルツ帯からテラヘルツ帯の光信号を磁気的信号に変換する現象であり、この現象を用いることで光と磁気の間の直接的な情報交換が可能となる。本研究で候補物質とより大きな応答を実現する方法が明らかとなったことは、光磁気技術における新規機能性デバイスの実現に大きく近づく契機となると期待できる。
本研究成果は、現地時間8月30日付の「Physical Review Letters」に掲載された。
背景
物質に光を当てることで電流が生じる光起電効果は、これまでにシリコンなどの半導体において多くの研究例があり、光起電効果の代表例であるシリコン半導体の太陽電池では、この現象を応用して太陽光を電気に変換している。シリコンなどの半導体で光起電効果を起こすためには、通常、p型半導体とn型半導体の2種類の半導体を接合したpn接合が必要となる。一方、空間反転対称性の破れた物質は、pn接合のような接合を作らなくても光起電効果を示すことが知られている(図1)。この現象はバルク光起電効果と呼ばれ、ペロブスカイト酸化物などの物質でみられている。特にバルク光起電効果の一種であるシフト電流は、pn接合によるこれまでの太陽電池の性能限界を超える可能性があることから、近年精力的な研究が続けられている。
一方で、ペロブスカイト酸化物などの遷移金属化合物は、半導体以外にも磁性体(磁石)など多様な性質を示し、これらの物質中では、電子以外に磁石の性質をもつ粒子(マグノン[用語4]やスピノン)など多彩な粒子が発現することが知られている。こうした磁石に特有の粒子は、スピントロニクス[用語5]などの次世代のエレクトロニクスへの応用が期待されている。
こうした産業応用において、鍵となる技術の一つがスピノンやマグノンの流れであるスピン流の生成と制御である。マグノンやスピノンによるスピン流を光によって特定の方向へ流す(整流する)方法は、2019年に本研究チームによってその原理が提案されている。しかし、観測可能な強度のスピン流を実現できる候補物質は知られていなかった。
本研究では、候補物質の発見に向けて、実際の物質において生じるスピン流を理論的に計算できる一般的な公式を導出した。また、この公式を用いて、2次元物質の一種で空間反転対称性の破れた磁性絶縁体(電気を流さない磁石)であるCrハライドの光誘起スピン流を計算することで、ギガヘルツからテラヘルツ帯の電磁波の印加によって、直流スピン流が生成できること(整流効果)を理論的に指摘した。さらに、この物質で予測されるスピン流の発現機構はこれまでに提案されている機構と異なり、この新機構によってスピン流の強度が先行研究の予測よりも大きくなることを理論的に示した。
研究成果
本研究では、原子が平面状に2次元に並んだ物質である2層Crハライド系物質に着目し、この物質の理論模型にさまざまな周波数の電磁波を印加した際のスピン流の発生の有無や条件を理論的に解析した。磁性体中では、各原子がそれぞれ小さな磁石(磁気モーメント)として振る舞っており、これらの小さな磁石が色々な並び方をすることで多彩な性質を示す。2層Crハライド系物質の反強磁性状態では、磁気モーメントの特殊な配列のために空間反転対称性が破れる。そのため、太陽電池の場合と同様にスピン流の光整流が可能となる。さらに、Crハライド系物質では磁気モーメントをもつマグノンという粒子が現れる。この模型の電磁波印加時の振る舞いを理論的に調べるために、物質の電磁波に対する応答を研究する際に広く用いられている線形応答理論を拡張し、光による直流スピン流の整流現象について検討した。その結果、ギガヘルツからテラヘルツ領域の周波数をもつ電磁波を印加することで、マグノンが特定の方向に流れ、直流スピン流の整流効果が生じることを発見した(図2右)。また、この整流効果によって生じるスピン流の強度がこれまでの研究より約2桁大きくなることを示した。この光誘起スピン流は、物質の中心から両端に向けて流れる拡散的なスピン流(図2左)とは定性的に異なる振る舞いを示す。また、照射電磁波の磁場成分と磁石の磁気モーメントを垂直にした直線偏光[用語6a]で生じる現象である。直線偏光で整流できることは、円偏光[用語6b]の場合と異なり、特別に電磁波の偏光を調整する必要がないことを意味する。この整流的な振る舞いと偏光の調整が不要な点は太陽電池と共通しており、この整流現象は太陽電池のスピン流版ともいえる。
これまでの研究では、光によって磁性体を制御する場合、光と磁性体の間の角運動量のやりとりを伴う磁気共鳴を使うことが一般的とされてきた。特に、マグノンのスピン流の生成には、光の角運動量をマグノンに渡すために円偏光が必要とされてきた。テラヘルツ帯域のレーザー科学は近年大きく発展しているものの、可視光や赤外領域のレーザーに比べると技術的困難が存在する。特に円偏光の生成は難しい。そのため、偏光を調整することなくスピン流を整流できることは実証における技術的なハードルが低いことを示している。
本研究では、実際の物質における光誘起スピン流を予測できる公式を導出し、この現象を実現するうえでCrハライド系が有力な候補物質であることを理論的に明らかにした。さらに、Crハライドの光誘起スピン流の強度がこれまでの理論提案より約2桁大きいこと、偏光の調整が必要ないことなどの特徴を理論的に明らかにした。これらの特徴はCrハライドが光誘起スピン流の実証や応用に向けて有利な性質を持っていることを明らかにしており、 テラヘルツ光によるスピン流発生の実現に期待を抱かせるものである。
社会的インパクト
電気的に磁性体の状態を測定・制御することを実現したスピントロニクスに対し、光を用いて磁性を制御する光スピントロニクスは磁気デバイスの新しい技術として注目されている。特に絶縁体を用いたスピントロニクスには、ジュール熱の抑制など、金属を用いたデバイスにはない利点が期待できる。スピン流の整流効果は絶縁体のみを用いたスピン流の整流・制御における要素技術であり、本研究において候補物質が明らかになったことで、実験的検証に大きく近づいたと言える。
今後の展開
本研究の成果は、絶縁体スピントロニクスにおける新しいスピン流の高速生成方法の提案と見なすこともでき、光によるスピントロニクス分野に新しい視点を与え、それを大きく発展させることが期待される。さらに、今回の発見はスピン流版シフト電流といえる。つまり、シフト電流のメカニズムが太陽電池以外にも多彩な現象を生み出すことを示唆しており、非線形応答の理論研究に新たな展開をもたらす可能性がある。
付記
本研究は、文部科学省 科学研究費助成事業 基盤研究(A)(JP18H03676)、若手研究(JP19K14649)、基盤研究(B)(JP20H01830)、新学術領域研究「量子液晶の理論構築」(19H05825)の支援を受けて実施された。
用語説明
[用語1] ギガヘルツ帯、テラヘルツ帯 : 電磁波はその周波数の値で分類され、ギガヘルツとは109ヘルツであり、テラヘルツは1012ヘルツを意味する。テラヘルツ帯のレーザー技術は近年急速に発展しており、今後ますますテラヘルツ光が高い精度で生成・制御できるようになることが期待される。
[用語2] スピン流 : マグノンやスピノンはスピンという磁石の性質をもっている。そのためこれらの粒子の流れはスピンの流れを生じる。このスピンの流れをスピン流と呼ぶ。
[用語3] 空間反転対称性 : 座標(x,y,z)を(-x,-y,-z)に変換する操作は反転対称操作と呼ばれ、この操作の前と後で結晶構造や磁気構造が変わる場合、「空間反転対称性が破れている」という。
[用語4] マグノン : 磁性絶縁体(絶縁体の磁石)中における磁気モーメントの揺らぎは、量子力学的な粒子としての性質を示す。この磁気モーメントの揺らぎに対応する粒子の代表例がマグノンである。
[用語5] スピントロニクス : エレクトロニクスは、主に電流を用いて多彩な高速情報処理方法を探求・構築する科学工学分野であり、スピントロニクスとは、エレクトロニクス研究で生み出された方法に物質中の磁気モーメントに基づいた方法を融合して、より優れた情報処理方法を探求・構築する科学工学分野を指す。
[用語6a] 直線偏光(光の偏光) : 光は振動する電場と磁場(電磁波)であり、偏光の自由度を持つ。光の伝搬方向と垂直面内での電磁場の振動を見るとき、その振動が直線的な場合を直線偏光と呼び、振動電磁場が垂直面内で円を描く場合を円偏光と呼ぶ。
[用語6b] 円偏光 : 直線偏光(光の偏光)[用語6a] を参照。
論文情報
掲載誌 : |
Physical Review Letters |
論文タイトル : |
Large Photogalvanic Spin Current by Magnetic Resonance in Bilayer Cr Trihalides |
著者 : |
Hiroaki Ishizuka and Masahiro Sato |
DOI : |
- プレスリリース 2次元物質を用いたスピン流版太陽電池 —新しい光スピントロニクス機能の実現に向けて—
- 巨大な磁場応答を示す三角格子磁性半導体|東工大ニュース
- 2022年度「あすなろ研究奨励金」授与式を開催|東工大ニュース
- 石塚大晃 Hiroaki Ishizuka|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 理学院 物理学系
- 千葉大学
- 研究成果一覧
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東京工業大学 理学院 物理学系
准教授 石塚大晃
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教授 佐藤正寛
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