要点
- カチオン性ロジウム触媒によって芳香環パーツを「組み立て」、ベルト分子の輪を「閉じる」:ベルト構造を有する環状分子の合成法を開発
- シクロフェナセン類縁体やキラル型ベルト共役分子の(不斉)合成を達成
- これらの合成メカニズムを計算化学的シミュレーションによって解明
概要
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の野上純太郎大学院生、永島佑貴助教、田中健教授、理学院 化学系の植草秀裕准教授と、分子科学研究所の杉山晴紀助教、理化学研究所の村中厚哉博士、東京大学 大学院薬学系研究科の田中裕介大学院生、宮本和範准教授、内山真伸教授の共同研究グループは、ベルト型芳香族炭化水素[用語1]の中でも未踏の分子とされた「シクロフェナセン[用語2]」類縁体のボトムアップ合成[用語3]と、「キラル型ベルト共役分子[用語4]」の不斉合成[用語5]を初めて達成した。
「シクロフェナセン」はベンゼン環が交互に縮環した構造を持つ、ベルト型芳香族炭化水素の代表分子である。その美しい構造は30年以上も前から提唱されていたものの、現代の有機合成技術をもってしてもボトムアップ合成が達成されていない夢の分子である。また、「キラル型ベルト共役分子」は不斉を有するベルト型芳香族炭化水素として、光学・色素材料への応用が期待されるものの、これまでに合成例がわずか1例しかなく、新たな合成法の開発が望まれていた。
本研究では、カチオン性ロジウム触媒[用語6]によって芳香環を「組み立てる」芳香環構築反応[用語7]を応用し、ベルト構造の輪を「閉じる」合成戦略を立案した。その結果、シクロフェナセン類縁体のボトムアップ合成とキラル型ベルト共役分子の不斉合成を達成し、これらの分子が有する蛍光特性や円偏光発光特性[用語8]を明らかにした。また密度汎関数法[用語9]を用いた計算化学的シミュレーションにより、立案した反応メカニズムを理論的に明らかにした。
今回の成果は、複雑な3次元芳香族炭化水素の合成にも広く適用可能であるとともに、キラル光学材料[用語10]など機能性有機材料への応用が期待される。
研究成果はドイツ化学会誌「Angewandte Chemie International Edition」のHot Paper(編集委員が特に重要性を認めた論文)に選出、バックカバーピクチャーにも採用され、オンライン版が2月14日付で掲載された。
背景
カーボンナノベルト[用語11]に代表されるベルト共役分子は、美しい構造的外観や湾曲構造由来の特異な物性発現が期待される夢の有機化合物である(図1)。ベルト型の構造を持つ共役分子は非常に珍しく、その合成や物性評価が進めば、レアメタルなどの資源を用いない有機発光材料などの新素材・材料の開発につながる可能性がある。なかでも「シクロフェナセン」はベンゼン環が「交互に」縮環した構造をもつ代表的な分子である。六角形が交互に縮環した構造は美しく、炭素以外の原子(酸素原子や窒素原子など)に置き換わった類縁体も含めて広く合成の興味がもたれてきた。これまでにはC60フラーレン[用語12]を分解しながら、その過程でベルト型の分子を得るというトップダウン合成の例があったものの、小さな分子から組み上げていくボトムアップ合成は類縁体においても不可能であった。さらに、ベルト共役分子の中にはキラル光学特性が期待される「キラル型ベルト共役分子」というカテゴリーが存在し、合成法の確立と物性解明が求められている。しかし、そのボトムアップ合成は極めて難しく、これまでに1例しか報告されてこなかった。さらに「キラル型ベルト共役分子」は、ちょうど左手と右手の関係のような鏡合わせのペアが存在する面不斉という性質を有し、これらを作り分ける合成法(不斉合成)を確立することが、キラル物性の解明に向けた重要な課題であった。
研究成果
本研究の合成戦略
シクロフェナセン類縁体やキラル型ベルト共役分子のように合成困難なベルト共役分子をつくるためには、緻密に反応を設計することが重要である(図2)。たとえば既存の合成法では、複数の芳香環同士を「つなぐ」ことを繰り返してベルトを形づくる戦略がとられる。しかし、今回の目標であるベルト型共役分子は分子の歪みが大きいため、ベルトの輪を「閉じる」ことができず、うまくいかない。さらに、不斉合成へと展開できないことも難点であった。
そこで本研究では、研究グループが有するカチオン性ロジウム触媒を用いた芳香環を「組み立てる」反応(芳香環構築反応)を中心とする合成計画を立案した。まず(1)柔軟な大環状の分子を合成し、その後(2)分子内で芳香環構築反応を用いることで、環を「組み立て」ながらベルトの輪を「閉じる」計画である。芳香環構築反応は大きなエネルギーを放出する発熱反応であるため、歪んだベルト分子の輪を「閉じる」ための十分なパワーを有していると考えた。
具体的にはまず、基礎骨格としてナフタレン[用語13]環を有する2種類のナフタレンジオールを出発原料とし、(1)複数の反応を段階的におこなうことで、柔軟な大環状分子である環状ポリイン[用語14]を合成。続いて(2)カチオン性ロジウム触媒を用いた芳香環構築反応によって、赤色と青色のアルキンをベンゼン環(芳香環)へと「組み立て」、ベルトの輪を「閉じて」いく。このとき、対称な構造を持つ環状ポリインからはシクロフェナセン類縁体が、非対称な構造を持つ環状ポリインからはキラル型ベルト共役分子がそれぞれ構築される。また、キラル型ベルト共役分子の面不斉は、ロジウム触媒上の軸不斉配位子[用語15]によって精密にコントロールされるよう設計した。
シクロフェナセン類縁体の合成
対称な環状ポリイン 1に対してカチオン性ロジウム触媒を作用させたところ、分子内の4か所で芳香環構築反応が進行し、望みどおりのシクロフェナセン類縁体 2を得ることに成功した(図3)。その構造は単結晶X線構造解析[用語16]により決定され(図3右)、6員環が20枚交互に並んだシクロフェナセン類縁構造が確認された。シクロフェナセン類縁体の溶液は緑色の強い発光を示し、良好な蛍光分子であることが明らかとなった。
キラル型ベルト共役分子の触媒的不斉合成
続いて非対称な環状ポリインを原料として、キラル型ベルト共役分子の不斉合成をおこなった。こちらも望みのとおり、環状ポリイン 3からはP巻きのキラル型ベルト共役分子 4が得られ、環状ポリイン 5からはM巻きのキラル型ベルト共役分子 6を得られた(図4左下)。いずれのキラル型ベルト共役分子もロジウム触媒によって不斉が完全にコントロールされた。合成したキラル型ベルト共役分子の構造は単結晶X線構造解析で決定し(図4右)、4と6は確かに異なる不斉(P巻き/M巻き)を有していることがわかる。キラル型ベルト共役分子の特性は円偏光発光スペクトルなどの測定にて評価をおこない、良好なキラル光学特性を有することが明らかとなった。
密度汎関数法を用いた反応経路の解析
最後に、密度汎関数法(DFT)を用いた計算化学的シミュレーションを行うことで、芳香環を「組み立て」ベルトの輪を「閉じる」戦略を理論的に解析した(図5)。同手法により反応中の化学構造・エネルギー推移を求めることで、分子が反応する様子をまるでスナップショットを撮るかのように追跡することが可能になる。シクロフェナセン類縁体の芳香環構築反応の反応経路を網羅的に計算で追跡することによって、中間体や遷移状態の構造を特定することに成功した。その結果、本研究で採用した芳香環構築反応は大きなエネルギーを生じ、それが駆動力となってベルト型共役分子の合成(輪を閉じる)が実現していることを、理論的に裏付けることができた。
今後の展開
今回の研究では、ベルト構造を有する環状分子の合成法として、芳香環を「組み立て」ベルトの輪を「閉じる」戦略を開発することで、これまで未踏の分子であった「シクロフェナセン類縁体」や「キラル型ベルト共役分子」の(不斉)ボトムアップ合成を達成した。
今後は、本成果で構築した合成戦略をさらに発展させることで、夢の分子である純正シクロフェナセンを含めた様々な3次元芳香族炭化水素の合成も可能になるのではないかと考えている。また、合成したベルト共役分子のさらなるキラル物性の解明とそれを用いた有機発光材料などへの応用が期待される。
付記
本研究は、独立行政法人 日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金(JP19H00893、JP17H06173、JP18H04504、JP20H04661、JP21J22287)、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)(JPMJCR19R2)の支援を受けて行われた。
用語説明
[用語1] ベルト型芳香族炭化水素 : 複数の芳香環を主体とした分子帯が、ベルト状に連結した分子の総称。
[用語2] シクロフェナセン : 横向きのベンゼン環がジグザグと交互に縮環した分子帯をフェナセンといい、これを環状に連結したベルト状の分子。
[用語3] ボトムアップ合成 : 小さな分子を化学結合によって組み上げていくことで大きな目標分子を合成する方法。反対にトップダウン合成は、目標分子を内包するより大きな分子を切り崩していくことで合成する方法。
[用語4] キラル型ベルト共役分子 : ベルト型芳香族炭化水素のカテゴリーの1つ。ほかのカテゴリーにはアームチェア型、ジグザグ型がある。
[用語5] 不斉合成 : 左手と右手のように、鏡合わせでありながら重ならない構造関係を持つ化合物をキラル化合物または不斉化合物といい、このうち片方のみを選択的に作り分けること。
[用語6] カチオン性ロジウム触媒 : 正に帯電したロジウム金属中心に、軸不斉配位子が配位することで、芳香環構築反応に高い活性を示す。
[用語7] 芳香環構築反応 : 有機化合物におけるもっとも基本的な骨格である芳香環をつくる化学反応。
[用語8] 円偏光発光特性 : キラル化合物の発光において左右円偏光の強度に差が生じる特性のこと。
[用語9] 密度汎関数法 : エネルギーなどの物性を電子密度から計算することが可能であるとする密度汎関数理論を用いる計算手法。
[用語10] キラル光学材料 : 円偏光発光特性などキラル化合物に特有の光学特性を利用した材料。3次元ディスプレイや、暗号化などの情報通信技術への応用が期待される。
[用語11] カーボンナノベルト : ベルト型芳香族炭化水素のうち、ベルト骨格がすべてベンゼン環で構成されたもの。
[用語12] C60フラーレン : 60個の炭素からなるサッカーボール型の分子。
[用語13] ナフタレン : 2つのベンゼン環が縮環した芳香族炭化水素の基本分子。
[用語14] 環状ポリイン : 複数(=ポリ)のアルキンを持つ環状分子の総称。ここでいうアルキンとは、炭素原子間に三重結合をもつ分子をさす。
[用語15] 軸不斉配位子 : 結合周りの回転が立体的に抑制されたビアリールなどのキラル化合物で、2001年に野依良治先生がノーベル化学賞を受賞したBINAPが有名。中心金属原子に配位結合することでキラルな錯体を形成し、水素化反応や芳香環構築反応などの不斉合成に幅広く用いられる。
[用語16] 単結晶X線構造解析 : 分子が規則正しく配列した結晶物質にX線を照射して起こる回折現象を利用して、分子構造を調べる解析手法。
論文情報
掲載誌 : |
Angewandte Chemie International Edition |
論文タイトル : |
Synthesis of Cyclophenacene- and Chiral-Type Cyclophenylene-Naphthylene Belts |
著者 : |
Juntaro Nogami, Yuki Nagashima, Haruki Sugiyama, Kazunori Miyamoto, Yusuke Tanaka, Hidehiro Uekusa, Atsuya Muranaka, Masanobu Uchiyama, and Ken Tanaka* |
DOI : |
- プレスリリース ベルト構造を有する環状分子の精密合成法を開発 —触媒の力で環を「組み立て」ベルトの輪を「閉じる」—
- 光を利用した「ロジウムアート錯体」の発生に成功|東工大ニュース
- 光を利用した「有機スズジラジカル」の発生に成功|東工大ニュース
- 田中(健)研究室
- 永島佑貴 Yuki Nagashima|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 田中健 Ken Tanaka|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 植草秀裕 Hidehiro Uekusa|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 物質理工学院 応用化学系
- 理学院 化学系
- 分子科学研究所
- 理化学研究所
- 東京大学大学院 薬学系研究科・薬学部
- 研究成果一覧
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
助教 永島佑貴
E-mail : nagashima.y.ae@m.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3631
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
教授 田中健
E-mail : tanaka.k.cg@m.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2120
取材申し込み先
東京工業大学 総務部 広報課
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