要点
- 高分子材料の分子レベルの破壊を解明するには、力学的刺激で生じる超微量かつ不安定なメカノラジカルの評価が不可欠
- 高分子鎖の切断で生成するメカノラジカルを長寿命で安定なラジカルに変換し、可視化と定量評価を可能にする分子プローブを開発
- 高分子材料の耐久性評価や損傷検知、寿命予測への展開に期待
概要
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の山本拓実大学院生、大塚英幸教授らの研究グループは、これまで評価が困難であった、高分子鎖の切断によって生じるメカノラジカル[用語1]を、分子プローブ[用語2]を用いて可視化・定量評価することに成功した。
高分子材料は曲げや圧縮といった力学的刺激を与えることで、構成する高分子鎖の一部が切断されて徐々に劣化する。その際に生じる超微量かつ不安定なメカノラジカルを定量的に評価できれば、高分子材料の耐久性評価や損傷検知、さらには寿命予測につながる。
本研究では、メカノラジカルを蛍光性の安定ラジカル[用語3]に変換する分子プローブを固体高分子中に混合することで、高分子鎖の切断で生じるメカノラジカルの可視化および定量評価を実現した。変換された安定ラジカルの評価は、電子スピン共鳴(ESR)測定[用語4]および蛍光強度測定を用いて多角的に行った。
なお、本研究成果は2020年10月21日にドイツ化学会誌(Wiley-VCH)「Angewandte Chemie International Edition(アンゲヴァンテ・ケミー・インターナショナル・エディション)」にオンライン掲載された。
背景
高分子材料の劣化原因は熱、光、力学的刺激など多岐にわたる。なかでも、圧縮、曲げ、延伸、摩擦、衝撃などの力学的刺激による高分子材料の分子レベルの破壊は、いまだ体系的な解明がなされていない。その主な理由として、高分子鎖の切断にともなって発生するメカノラジカルが超微量かつ不安定なため、可視化および定量評価が困難であることが挙げられる(図1)。この超微量かつ不安定なメカノラジカルを多角的に評価する戦略の一つとして、メカノラジカルを安定ラジカルへと変換する方法が考えられる。これまでは、不安定なラジカルから安定ラジカルへの変換にはスピントラップ法[用語5]が広く用いられていたが、その適用範囲は溶液系に限定されており、多くの高分子材料がとる固体状態において可視化や定量評価に成功した例はなかった。
研究成果
本研究では、高分子鎖の切断時に発生する超微量で不安定なメカノラジカルを、分子プローブによって蛍光性の安定ラジカルに変換することで、メカノラジカルの可視化とその定量評価に初めて成功した(図2)。
研究チームは、分子プローブとして機能するジアリールアセトニトリル (H-DAAN)と呼ばれる比較的単純な分子骨格を、汎用高分子の一種であるポリスチレンに混合し、すり潰すという操作のみで、超微量(数十nmolオーダー)しか発生しないメカノラジカルの可視化と定量評価を実現した(図3)。
この反応プロセスには次のような特徴がある。
- 1)H-DAANのベンジル位プロトンが引き抜かれることで発生するDAANラジカルは、室温で安定である。
- 2)DAANラジカル由来の蛍光は通常の着色に比べて視認性が高い。
- 3)DAANラジカルはメカノラジカルと比べて格段に安定であるため、電子スピン共鳴(ESR)測定および蛍光強度測定によって多角的な評価が可能である。
実際に、メカノラジカル発生にともなって生じるDAANラジカルをESR測定によって定量評価した。その結果、使用したポリスチレンの分子量が比較的小さい場合(分子量10万以下)は、メカノラジカルの発生量は分子量に依存して増加するものの、分子量が10万以上になると一定の値を示すことが明らかになった。この結果は、DAANラジカル由来の蛍光強度の測定結果と対応していることに加えて、高分子主鎖への力の伝わりやすさを示す定数である切断速度定数とも良い相関がみられる。このことから、H-DAANを分子プローブとして用いてメカノラジカルを定量的に評価できることが確認された。
研究の経緯
高分子が合成されるプロセスの学術的理解が進むことにより、多くの波及効果が生じてきた一方で、高分子が切断するプロセスへの学術的理解は大幅に遅れている。研究グループは、高分子鎖の切断によって生じるメカノラジカルの反応性を利用して、安定ラジカルへと変換できる分子プローブを開発できれば、高分子の切断プロセスの理解において課題となっている、メカノラジカルの定量的な評価が可能になるのではないかと着想し、この観点から本研究を行った。
本研究は、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST)「革新的力学機能材料の創出に向けたナノスケール動的挙動と力学特性機構の解明(ナノ力学、研究総括:伊藤耕三・東京大学教授)」の採択課題である「動的共有結合化学に基づく力学的多機能高分子材料の創出(JPMJCR1991)」(研究代表者:大塚英幸 東京工業大学教授)の一環として実施された。本研究課題では、平衡系の特殊な共有結合を利用する「動的共有結合化学」を基盤として、複数の力学機能を示す力学「多機能」高分子材料の創出を目指すとともに、マルチスケールでの動的な解析に基づく動作原理の解明と材料設計指針の確立に取り組んでおり、この研究成果はその過程で得られたものである。
今後の展開
本研究では、高感度な蛍光分子プローブを用いることで、固体高分子中で発生するメカノラジカルの可視化と定量評価が可能であることが実証された。今後は、他の高分子や複数の組成を持つ高分子を対象として、分子鎖レベルからミクロレベル、さらにはマクロレベルへという階層的なアプローチによって高分子の破壊現象に迫り、その学術基盤を構築することを目指す。さらに本研究の成果を基盤として、様々な高分子材料の耐久性評価、破壊現象の解明、損傷検知、寿命予測に関する研究を加速させていく。
用語説明
[用語1] メカノラジカル : ラジカルとは一般的に、不対電子(電子対にならない電子)を持つ原子や分子のことである。高分子鎖を構成しているそれぞれの共有結合には電子対があるが、この共有結合が力学的刺激によって均一開裂し、不対電子が生じになることで発生するラジカルのことを、ポリマーメカノラジカルあるいはメカノラジカルと呼ぶ。一般的にこのようなラジカルは反応性が極めて高いため、生成すると直ちに他の原子や分子間で反応を起こし、安定な分子やイオンとなることから、定量評価が困難とされてきた。
[用語2] 分子プローブ : 標的となる分子と特異的に反応あるいは相互作用をすることによって、周囲の分子とのコントラストを増強し、検出装置による標的分子の存在量の検知を可能にする分子。高感度に検出可能な蛍光性の分子プローブがよく利用される。
[用語3] 安定ラジカル : 本研究で扱っているH-DAAN骨格から発生するラジカルは、化学的安定性に優れているため、酸素に対しても不活性であり、大気中で定量評価が可能である。
[用語4] 電子スピン共鳴(Electron spin resonance, ESR)測定 : 不対電子を検出するための分光法の一種。有機化合物中のラジカル種の定量評価に利用される。Electron paramagnetic resonance(EPR)測定とも呼ばれる。
[用語5] スピントラップ法 : 不安定なメカノラジカルを、スピントラップ剤を用いてスピンアダクトと呼ばれる安定ラジカルへと変換したうえで、電子スピン共鳴(ESR)測定によって定量評価する手法。
論文情報
掲載誌 : |
Angewandte Chemie International Edition |
論文タイトル : |
Diarylacetnitrile as a Molecular Probe for the Detection of Polymeric Mechanoradicals in the Bulk State via a Radical Chain‐transfer Mechanism |
著者 : |
Takumi Yamamoto, Sota Kato, Daisuke Aoki, Hideyuki Otsuka (山本拓実、加藤颯太、青木大輔、大塚英幸) |
DOI : |
- プレスリリース 高分子の破壊時に生じる超微量のメカノラジカルを可視化・定量評価する分子プローブを開発 —高分子材料の損傷検知や寿命予測に貢献—
- 異なる架橋高分子材料を接着する新手法を開発|東工大ニュース
- 加熱だけで分子の形を環状に変換する手法を開発 | 東工大ニュース
- 大塚研究室
- 研究者詳細情報(STAR Search) - 大塚英幸 Hideyuki Otsuka
- 研究者詳細情報(STAR Search) - 青木大輔 Daisuke Aoki
- 物質理工学院 応用化学系
- 研究成果一覧
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
教授 大塚英幸
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