高血圧は、日本の成人のうち約4,300万人が罹患していると試算される重大な国民病です。食塩の過剰摂取が高血圧の原因となることは良く知られており、その仕組みとして、体液中のNa+濃度が上昇することによって交感神経系が活性化し、その結果として血圧が上がる、という説が有力となっています。しかし、脳がどのようにしてNa+濃度を感知し、その情報をどのような仕組みで交感神経まで伝えられているのかは不明でした。
今回、自然科学研究機構 基礎生物学研究所の野田昌晴教授(総合研究大学院大学 教授、東京工業大学 科学技術創成研究院 特定教授(11月1日より))の研究グループは、食塩(塩化ナトリウム)の過剰摂取により体液中のナトリウム(Na+)濃度が上昇すると、脳内のNa+濃度センサーであるNax[用語1]がこれを感知して活性化する、その結果、交感神経[用語2]の活性化を介して血圧上昇が起こることを初めて示しました。
本研究グループでは、これまでに細胞外液のNa+濃度上昇に応じて開口するNaチャンネルであるNaxを見いだし、その機能や生理的役割を明らかにしてきました[参考文献1-3]。今回、Nax遺伝子を欠損したマウスが、野生型マウスと異なり、体液のNa+濃度が上昇しても交感神経の活性化による血圧の上昇を起こさないことを発見しました。さらに、神経活動の活性化や抑制を光によってコントロールする技術などを用いて、Naxが感知したNa+濃度上昇のシグナルが交感神経の活性化につながる仕組みを分子のレベル、および神経回路ネットワークのレベルで解明しました。
本成果は、Na+濃度と血圧上昇をつなぐ脳内機構を詳細に明らかにしたものであり、高血圧に対する新しい治療戦略の創出に役立つものと期待されます。
本研究成果は、2018年11月29日午前11時(米国東部時間)に米国科学雑誌「Neuron」オンライン版で公開されました。
研究の背景
高血圧は、日本の成人のうち約4,300万人が罹患していると試算される重大な国民病であり、高血圧に起因する死亡者数は年間約10万人に上ると推定されています。高血圧は、心血管病(心疾患および脳卒中)の最大の危険因子であり、脳卒中罹患の50%以上、心血管病死亡の約50%が高血圧によるものと推定されています。
高血圧の主要な原因として食塩の過剰摂取があることは良く知られています。食塩の過剰摂取による血圧上昇の程度には個人差がありますが、日本人は血圧上昇が起こりやすいと言われています。その第一の原因は腎臓による尿中へのNa+の排泄が追い付かず体内で貯留し、体液中のNa+濃度が上昇することにあります。これまでNa+による血圧上昇の仕組みは、血液浸透圧の上昇によって血管中に水分が流入することで、血液量が増大するためとされてきました。これに対し10年余り前から、体内の血管に張り付いた交感神経の活性化により、血管が収縮することで高血圧を発症しているという説が有力になってきました。ところが、体液中のNa+濃度の上昇がどこでどのように検知されているのか、そして、そのシグナルを脳内の交感神経制御中枢に伝えその活性化を引き起こしている分子機構や神経回路については未解明のままでした。
研究の内容
本研究グループでは、これまでに細胞外液のNa+濃度上昇に応じて開口するNaチャンネルであるNaxを見いだし、その機能や生理的役割を明らかにする研究を行ってきておりました[参考文献1-3]。今回の研究では、Naxが血圧の制御に関与するNa+濃度センサーとして働いているのではないかという点について検討しました。まず、野生型マウスに大量の食塩を与える実験を行い、体液中のNa+濃度が上昇(~10 mM)すること、そして、それに伴って血圧が上昇することを確認しました。一方、Nax遺伝子欠損マウスでは体液のNa+濃度が同程度上昇しているにも関わらず、血圧の上昇は全く起こりませんでした(図1)。次に、高濃度のNa+を含む水溶液(高張Na+溶液)をマウスの脳室内に注入し、脳脊髄液[用語3]のNa+濃度を上昇させる実験を行いました(図2)。野生型マウスでは、交感神経の活性化と血圧上昇が起こったのに対し、Nax遺伝子欠損マウスでは交感神経の活性化や血圧上昇は起こりませんでした。
このことから、Naxが体液中のNa+濃度の上昇を感知し、交感神経の活性化を通じて血圧を上昇させている脳内センサーであることが強く示唆されました。また、Naxが発現している脳内器官のうち終板脈管器官(OVLT)[用語4]を損傷させたマウスでは、高張Na+溶液の脳室内への注入による交感神経性の血圧上昇が起こらなかったため、血圧制御のためにNa+濃度を感知する領域はOVLTであると考えられました。
脳は脊髄を介して交感神経にシグナルを伝達しているため、OVLTからのシグナルを脊髄へと仲介している脳領域があると考えられます。本研究グループが、視床下部室傍核(PVN)[用語5]に注目し、PVNにシグナルを伝えるOVLTニューロン[以下、OVLT(→PVN)ニューロンと呼ぶ]を逆行性に標識して観察すると、このニューロンはOVLTの中でNaxを発現するグリア細胞[用語6]に囲まれた状態で存在していることが分かりました(図3A、B)。
そこで、OVLT(→PVN)ニューロンが活性化すると血圧が上昇するのか、光遺伝学[用語7]の手法を用いて調べました。まず、光感受性陽イオンチャンネルChR2を用いてOVLT(→PVN)ニューロンを選択的に活性化させると、血圧が上昇することが確認できました(図3C)。この血圧上昇は交感神経活動の阻害剤により消失したため、交感神経を介して起こっていることが分かりました。反対に、光感受性クロライド(Cl-)ポンプeNpHRを用いたOVLT(→PVN)ニューロンの抑制実験も行いました(図3D)。光照射によりOVLT(→PVN)ニューロンの活動を抑制すると、高張Na+溶液の脳室注入による交感神経性の血圧上昇が抑制されました(図3D)。これらの実験から、OVLT(→PVN)ニューロンが体液のNa+濃度上昇に応答した交感神経性の血圧上昇を担うニューロンであることが明らかとなりました。
Naxは、OVLT(→PVN)ニューロンそのものではなくグリア細胞に発現しているため、グリア細胞からニューロンへの情報伝達の仕組みが必要です。OVLT(→PVN)ニューロンは細胞外のNa+濃度を上昇させた時だけでなく(図4A)、細胞外を酸性状態にすることでも活性化したため(図4B)、この仕組みに酸(H+)が関わっている可能性が考えられました。調べてみると、細胞外Na+濃度が上昇したとき、OVLTでは細胞外に酸(H+)が放出されていることが分かりました(図4C)。このH+放出は、Nax発現グリア細胞における糖の取り込み、並びに嫌気的解糖(酸素を使わないグルコース代謝)の亢進によるものでした。嫌気的解糖系の産物である乳酸は、乳酸/H+共輸送体を介して細胞外に放出されるため、H+が同時に細胞外に放出されます。
さらに、細胞外の酸性化に応答して活性化する酸感受性イオンチャンネルASIC1[用語8]がOVLT(→PVN)ニューロンに発現していることを見いだしました(図4D)。阻害剤を用いて調べたところ、ASIC1a(ASIC1の中でも酸に感受性の高いタイプ)を阻害するとNa+濃度の上昇に応答したOVLT(→PVN)ニューロンの活性化や交感神経性の血圧上昇が消失しました(図4E)。反対に、ASIC1の活性化剤をOVLTに注入すると、血圧を上昇させることができました。この血圧上昇は、交感神経活動の阻害剤をあらかじめ投与しておいたマウスでは起こらなかったので、交感神経を介したものであることが分かりました。
- 図4.
- Naxの活性化は、酸の放出とそれにともなうASIC1aの活性化を誘導し、OVLT(→PVN)ニューロンの活動を亢進させることで血圧を上昇させる
これらの結果から、OVLTのグリア細胞に発現するNaxが活性化すると、H+の放出が促進され、放出されたH+がASIC1aを介してOVLT(→PVN)ニューロンを活性化することによって、交感神経性の血圧上昇が誘導されていることが明らかとなりました。加えて、OVLT(→PVN)ニューロンの活性化は、PVNを経て、さらに下流の交感神経中枢であるRVLMへとシグナルを伝えていることも分かりました。
今後の展開
脳内機構を解明した今回の研究は、高血圧症の新たな治療法の創出に役立つと期待されます。また今回の研究成果は、原因不明の本態性高血圧[用語9] の発症機構を理解するための重要な一歩ともいえます。
付記
本研究は、以下の支援を受けて実施しました。- 科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「光の特性を活用した生命機能の時空間制御技術の開発と応用」研究領域(影山龍一郎 研究総括)における研究課題「オプトバイオロジーの開発による体液恒常性と血圧調節を司る脳内機構の解明」(研究代表者:野田昌晴)
- 科学研究費助成事業 基盤研究(S)「体液恒常性を司る脳内機構の研究」(研究代表者:野田昌晴)
- 公益財団法人 金原一郎記念医学医療振興財団 基礎医学医療研究助成金 生体の科学賞(野田昌晴)
- 科学研究費助成事業 若手研究(B)「脳内ナトリウムセンサーを介した血圧調節機構の解明」(研究代表者:野村憲吾)
- 科学研究費助成事業 研究活動スタート支援「血圧を規定する脳内ナトリウムセンサーの分子実体解明」(研究代表者:野村憲吾)
- 公益財団法人 日本科学協会 笹川科学研究助成(野村憲吾)
- 日本医療開発機構 革新的先端研究開発支援事業 個人型研究(AMED-PRIME)の研究領域「メカノバイオロジー機構の解明による革新的医療機器及び医療技術の創出」(曽我部 正博 研究開発総括)における研究課題「脳内浸透圧/Na+レベルセンサーの動作機序と生理機能の解明」(研究代表者:檜山武史)
- 公益財団法人 武田科学振興財団(檜山武史)
- 公益財団法人 ソルト・サイエンス研究財団(檜山武史)
用語説明
[用語1] Nax : ナトリウムイオンチャンネルの1つ。生理的な細胞外ナトリウム濃度付近のナトリウム濃度の上昇に応答して開口し、細胞内にナトリウムを流入させる機能を持つ。
[用語2] 交感神経 : 中枢神経(脳・脊髄)ではなく、末梢組織に張り巡らされている末梢神経系の1つ。脊髄を経由して脳からの信号を受け取っている。交感神経が活性化すると、血管の収縮が起こることで血圧が上昇する。
[用語3] 脳脊髄液 : 脳内や脊髄にある腔(脳室など)の中を満たす体液。
[用語4] 終板脈管器官(OVLT) : 脳交感神経や血圧の制御に関与する脳内器官の1つ。脳内で例外的に血液-脳関門(血液中の成分が脳内へ非特異的に侵入するのを防ぐためのバリア構造)を持たず、また、脳室に面した位置にあるため、血液と脳脊髄液の成分を感知するのに適した構造を持つ。
[用語5] 視床下部室傍核(PVN) : 交感神経や血圧の制御に関与する脳内器官の1つ。吻側延髄腹外側野(RVLM)を経由して、あるいは直接、脊髄にシグナルを伝えている。
[用語6] グリア細胞 : 神経系を構成する細胞のうち、神経細胞ではない細胞の総称。長い間、神経細胞の補助的細胞であると思われてきたが、情報伝達においても重要な役割を持つことが分かってきている。
[用語7] 光遺伝学 : 光によって活性化する特殊なたんぱく質を作る遺伝子を細胞に発現させることで、その細胞機能を光によって操作できるようにする技術。神経細胞を活性化させる実験では、青色光によって活性化する陽イオンチャンネルであるチャネルロドプシン(ChR2)などが使用される。神経細胞の活動を抑制する実験では、黄色光によって活性化するクロライド(Cl-)ポンプであるハロロドプシン(eNpHR)などが使用される。
[用語8] 酸感受性イオンチャンネルASIC1 : 細胞外の酸性化(pHの低下)に応答して開口する性質を持つ陽イオンチャンネルであるASICファミリーに属するチャンネルの一種。ASIC1aはASICファミリーの中でも特に酸に対して高い感受性を持つ。
[用語9] 本態性高血圧 : 高血圧のうち、明らかな原因(腎臓や副腎の疾患、薬剤など)があって発症している高血圧(二次性高血圧)以外のものを指す。高血圧全体の約90%を占めるとされている。明らかな原因が特定できず、遺伝的因子と環境因子(食習慣や飲酒、喫煙、ストレスなど)により複合的に発症していると考えられている。
[1] Hiyama, T.Y., Watanabe, E., Ono, K., Inenaga, K., Tamkun, M.M., Yoshida, S., and Noda, M. (2002). Nax channel involved in CNS sodium-level sensing. Nat Neurosci. 5, 511-512.
[2] Hiyama, T.Y., Watanabe, E., Okado, H., and Noda, M. (2004). The subfornical organ is the primary locus of sodium-level sensing by Nax sodium channels for the control of salt-intake behavior. J Neurosci. 24, 9276-9281.
[3] Matsuda, T., Hiyama, T.Y., Niimura, F., Matsusaka, T., Fukamizu, A., Kobayashi, K., Kobayashi, K., and Noda, M. (2017). Distinct neural mechanisms for the control of thirst and salt appetite in the subfornical organ. Nat Neurosci. 20, 230-241.
論文情報
掲載誌 : |
Nature Communications |
論文タイトル : |
[Na+] Increases in Body Fluids Sensed by Central Nax Induce Sympathetically Mediated Blood Pressure Elevations via H+-Dependent Activation of ASIC1a |
著者 : |
Kengo Nomura, Takeshi Y. Hiyama, Hiraki Sakuta, Takashi Matsuda, Chia-Hao Lin, Kenta Kobayashi, Kazuto Kobayashi, Tomoyuki Kuwaki, Kunihiko Takahashi, Shigeyuki Matsui, and Masaharu Noda |
DOI : |
お問い合わせ先
研究に関すること
自然科学研究機構 基礎生物学研究所
教授 野田昌晴
E-mail : madon@nibb.ac.jp
Tel : 0564-59-5846
取材申し込み先
東京工業大学 広報・社会連携本部 広報・地域連携部門
E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661