要点
- 有機分子の環とフラーレンの球からナノサイズの土星形分子を作製
- 環の内側に球が取り込まれた構造を結晶の解析により確認
- 多点の炭素と水素の間の相互作用が土星形構造に重要
概要
東京工業大学 理学院 化学系の豊田真司教授、鶴巻英治助教、山本悠太大学院生(博士後期課程3年)、岡山理科大学 理学部 化学科の若松寛准教授らの研究グループは、球構造のフラーレン[用語1]分子を内側に取り込んだ、炭素と水素だけで構成される土星形分子(ナノ[用語2]土星)の作製に成功した。この分子を解析したところ、多点の炭素と水素の間の相互作用が土星形構造の安定化に寄与することが判明した。この作製手法は、ナノサイズの分子構造体を自在に作製する方法の一つとして、今後幅広く利用される可能性がある。
本研究ではまず、環構造の有機分子として、芳香族化合物であるアントラセン[用語3]を環状に連結した構造を設計。その内部に約1ナノメートル(nm)の空孔をもつ円盤状の有機分子を合成した。この有機分子とフラーレン(C60)を溶液中で混合すると土星のような形の分子が生成することを確認し、結晶として取り出すことに成功した。環の内側のちょうど中央に球が取り込まれた構造は、X線を用いた結晶解析により確認できた。
炭素に結合した水素と芳香環の相互作用は弱いとされているが、構造を適切に設計すると分子の取り込みに重要な役割を果たすことが明らかになった。
これらの研究成果は、ドイツの化学学術雑誌 Angewandte Chemie International Edition(アンゲヴァンテ・ケミー国際版)にHot Paper(注目論文)として2018年5月30日付で掲載された。
研究の背景
球構造の分子が環構造の分子の内側に取り込まれたナノサイズの土星形分子は、「ナノ土星」として超分子化学[用語4]の分野で注目されている構造体だ(図1)。この構造体を実現するためには、環分子と球分子が引きつけあうように分子の大きさや形を適切に設計する必要がある。これまでに報告された大部分のナノ土星では、球分子との接触面積が広いベルト状の環分子が用いられてきた。
しかし、実際の土星の環は非常に薄く(図1:直径28万kmに対し厚さ1 km以下)、これに近い構造体を構築するためには球分子との接触面積が広い円盤状の環分子を精密に設計しなければならない。これまでに理論的な研究により、円盤状の芳香族化合物が球状のフラーレンを取り込むことが予測されていたが、合成が非常に困難なため実験的な研究は限られていた[文献1、2、3]。
そこで、本研究では芳香族化合物であるアントラセンを環状に連結した分子を設計し[文献4]、その環分子が球分子を取り込むかどうかを検証した。その結果、実際に合成した円盤状の環分子とフラーレン(C60)から、炭素と水素で構成される土星形分子(直径約2 nm)の作製に初めて成功した。
研究成果
環分子の設計と合成
まず環分子として、芳香族化合物であるアントラセンを環状に6個連結した円盤状分子を設計した(図2)。化合物の溶解性を向上するために、環状骨格の外周部に置換基を導入。この化合物は、前駆体であるジブロモアントラセンからニッケル試薬を用いたカップリング反応[用語5]を利用して合成し、核磁気共鳴分光法(NMR)や質量分析法、X線結晶構造解析により構造を決定した。結晶構造解析の結果、この分子は比較的平面に近い六角形の環状骨格をもち、内部の空孔の大きさはフラーレンC60分子の直径の約1 nmにほぼ等しいことが明らかになった。
土星形分子の作製
合成した環分子とC60分子をトルエン溶液中で混合することで、土星形分子の作製を試みた。環分子に対して球分子を加えていくと環分子のNMRシグナルが移動し、環分子の内部の領域で相互作用があることが確かめられた。詳しい解析により、分子は1:1の比で会合することが明らかになり、その強さを示す会合定数[用語6]を2,300 L mol–1と決定した。
また、この混合溶液から、土星形分子を黒色の結晶として取り出すことに成功した。X線結晶構造解析の結果、環分子の内側のちょうど中央に球分子が取り込まれた土星形の構造をもつことが確認でき(図3)、理論的な予想を実験的に証明することができた。今回作製に成功した土星形分子は炭素と水素だけで構成されており、平面に近い円盤状の環状分子を利用する土星型の構造体としては初めての例である。
土星形分子の特徴
X線結晶構造解析で得られた構造では、環分子の内側に向く水素と球分子の炭素に広がるπ電子間に多数の接触が見られ、多点のCH–π相互作用[用語7]が、この土星形構造を安定化していることが示唆された。モデル分子の理論計算を行うと実測の土星形分子の構造がよく再現されており、CH–π相互作用の重要性が判明した。一般的に個別のCH–π相互作用は弱いが、分子の形と大きさを適合させて多点での相互作用を可能にすると、分子を取り込むための駆動力となりえることを実証できた。
今後の展開
本研究は、多点の炭素と水素の間の相互作用が土星形の構造を安定化する現象を実験的に示したものだ。開発した作製手法は、ナノサイズの分子構造体を自在に作り出す方法の一つとして、今後幅広く利用される可能性がある。本研究で採用した環分子は、次世代の炭素材料として期待されているグラフェン[用語8]の部分構造を有している。そのため、このような炭素材料が、フラーレンなどの球分子を取り込む機能を生み出すためのモデルとして活用されていくだろう。
現在、平面性の高い環分子や大きさの異なるC60以外のフラーレンを用いて、多様なナノ土星を作製するための研究を進めている。
本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業および公益財団法人泉科学技術振興財団研究助成の支援を受けて実施した。
用語説明
[用語1] フラーレン : 炭素だけからなる多面体かご型分子の総称。サッカーボール形のC60が最も有名である。
[用語2] ナノ : 分子レベルの長さのスケールを意味する。1ナノメートルは1メートルの109分の1に等しい。
[用語3] アントラセン : 3つのベンゼン環が縮環した長方形の平面状構造の有機分子。
[用語4] 超分子化学 : 分子間の相互作用により集合した分子の構造体の化学を研究する分野。
[用語5] カップリング反応 : 遷移金属を触媒や反応剤に用いて、2つの有機化合物を直接結合させる反応。
[用語6] 会合定数 : 会合の強さを示す指標となる数値。数値が大きいほど会合した構造が有利である。
[用語7] CH–π相互作用 : 炭素に結合した水素と芳香環の炭素のπ電子との間に働く相互作用。
[用語8] グラフェン : 炭素の同素体の一つで、グラファイト(黒鉛)中の単一層からなる炭素のシート状物質。
参考文献
[文献1] H.U.Rehman, N.A. McKee, M.L. McKee, J. Comput. Chem. 2016, 37, 194.
[文献2] S. Kigure, S. Okada, Jpn. J. Appl. Phys. 2015, 54, 06FF01.
[文献3] H. Shimizu, J.D. Cojal González, M. Hasegawa, T. Nishinaga, T. Haque, M. Takase, H. Otani, J.P. Rabe, M. Iyoda, J. Am. Chem. Soc. 2015, 137, 3877.
[文献4] Y. Yamamoto, K. Wakamatsu, T. Iwanaga, H. Sato, S. Toyota, Chem. Asian J. 2016, 11, 1370.
論文情報
掲載誌 : |
Angewandte Chemie International Edition |
論文タイトル : |
Nano-Saturn: Experimental Evidence of Complex Formation of an Anthracene Cyclic Ring with C60 (ナノ土星:アントラセン環状リングとC60との錯体形成の実験的証拠) |
著者 : |
Yuta Yamamoto, Eiji Tsurumaki, Kan Wakamatsu, Shinji Toyota* (山本 悠太、鶴巻 英治、若松 寛、豊田 真司*) |
DOI : |
- プレスリリース 炭素と水素から土星形の分子をつくる~弱い相互作用が安定化のカギ~
- 豊田研究室
- 研究者詳細情報(STAR Search) - 豊田 真司 Shinji Toyota
- 研究者詳細情報(STAR Search) - 鶴巻 英治 Eiji Tsurumaki
- 理学院 化学系
- 研究成果一覧
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