要点
- Y染色体とSry遺伝子なしにオスが生まれる哺乳類の新しい性決定メカニズムを世界で初めて発見。
- ヒトのY染色体が消えてしまっても、男性消滅を回避できる仕組みを明らかに。
- 一般社会において、性の多様性の意義と重要性が科学的に理解されることに貢献。
概要
北海道大学 大学院理学研究院の黒岩麻里教授らの研究グループは、東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の伊藤武彦教授、梶谷嶺助教らの研究グループと共同で、Y染色体とSry遺伝子をもたないアマミトゲネズミ(Tokudaia osimensis)という哺乳類種を対象に、世界で初めてSry遺伝子なしにオスが決定される仕組みを解明しました。
ヒトを含む哺乳類のほとんど全ては、男性(オス)はY染色体をもち、Y染色体上のSry遺伝子により性が決定されます。ほんの少数の種において、Sry遺伝子がなくてもオスが生まれる例が報告されていますが、その性決定の仕組みはまったく明らかにされていませんでした。アマミトゲネズミは奄美大島のみに生息する日本の固有種で、国の天然記念物及び国内希少野生動植物種に指定されています。Y染色体が消失していることから、性染色体はX染色体1本のみをもつXO/XO型です。本種がY染色体をもたないことは、1970年代から知られていましたが、材料が希少であることから、長年にわたり研究が困難な状況にありました。研究グループは、保全生態調査、ゲノム解読、情報解析、ゲノム編集解析などを専門とする国内の研究者らの協力を得て、アマミトゲネズミのゲノム中の雌雄差を網羅的にスクリーニングし、唯一残されていた性差があるゲノム領域を特定しました。
性差のある領域が見つかったのは、1本のみ残されたX染色体ではなく、常染色体(3番染色体)上に存在するSox9遺伝子の上流でした。この領域では、17 kbの配列の重複をオスのみがヘテロでもつことが明らかになりました。重複配列を詳しく解析した結果、Enh14とよばれるエンハンサー[用語1]配列が含まれることがわかりました。つまり、エンハンサーを含む配列が重複しているとオスに、重複していないとメスになることが予測されました。しかし、アマミトゲネミの生体材料を用いた研究は不可能であるため、アマミトゲネズミのエンハンサー重複配列をもつマウスをゲノム編集技術により作り出すことに成功しました。重複配列をもつマウス胚では、XXでありながら卵巣に精巣分化を引き起こす遺伝子発現が確認されました。この結果は、この重複配列が性決定に働き得ることを示すものです。
Sry遺伝子に依存しない哺乳類の性決定メカニズムの解明は、世界で初めてです。さらに、遺伝子そのものではなくエンハンサーという遺伝子調節領域により性が決定されるという発見も、大変珍しいものです。また、アマミトゲネズミでは常染色体が新しい性染色体へと進化していることが明らかになりました。このように、新しい性染色体が進化することを性染色体の転換(ターンオーバー)とよび、哺乳類における性染色体のターンオーバーはこれまでに報告がなく、これも世界で初めての発見です。以上のように、本研究は世界的にも大変インパクトの大きいものです。
なお、本研究成果は、日本時間2022年11月28日(月)に「The Proceedings of the National Academy of Sciences(PNAS、米国科学アカデミー紀要)」誌に掲載されました。
背景
ヒトを含む哺乳類では、性染色体の組み合わせがXYだと男性(オス)、XXだと女性(メス)になります。これは、Y染色体上のSry遺伝子により性が決定されるからです(図1)。地球上に哺乳類は5,000種ほど生息しているといわれていますが、そのほとんどすべてがXX/XY型の性染色体をもち、Y染色体上に存在するSry遺伝子に依存して、性を決定しています。ほんの少数の種において、Sry遺伝子がなくてもオスが生まれることが報告されていますが、その性決定の仕組みはまったく明らかにされていませんでした。
今回、研究グループは、Y染色体とSry遺伝子をもたないアマミトゲネズミ(Tokudaia osimensis)という種を対象に研究を行い、世界で初めてSry遺伝子なしにオスが決定される仕組みを解明しました。アマミトゲネズミは奄美大島のみに生息する日本の固有種で、国の天然記念物及び国内希少野生動植物種に指定されています。Y染色体が消失していることから、性染色体はX染色体1本のみをもつXO/XO型です。本種がY染色体をもたないことは、1970年代から知られていましたが、材料が希少であることから、長年にわたり研究が困難な状況にありました。研究グループは、保全生態調査を専門とする研究者及びゲノム解読と情報解析を専門とする研究者らの協力を得て、アマミトゲネズミのゲノム中の雌雄差を網羅的にスクリーニングし、唯一残されていた性差があるゲノム領域を特定しました。それは、1本のみ残されたX染色体ではなく、常染色体上にある遺伝子の上流領域でした。よって、この領域により性が決定されることを証明するために、生体を用いた実験が重要となります。しかし、アマミトゲネミの生体材料を用いた研究は不可能であるため、ゲノム編集マウスの作成を専門とする研究者の協力を得て、アマミトゲネズミの性差領域をもつマウスをゲノム編集技術により作り出すことに成功しました。
研究手法
アマミトゲネズミのオス個体において、de novoアセンブリ解析[用語2]によりゲノム配列情報を整備しました。このゲノム配列情報に、オス3個体、メス3個体のゲノム情報(解読した塩基配列の断片)をマップし、雌雄間でマップされる断片の数が異なる領域(Copy Number Variants, CNVs)をスクリーニングしました。CNVsが見られる領域は性差があると見なすことができ、計41ヵ所に検出されました。さらに詳細な解析により、真の性差をもつ領域は1ヵ所のみであることがわかりました。その領域は常染色体(3番染色体)に存在するSox9遺伝子の上流430 kb に存在し、17 kbの領域の重複をオスのみがヘテロでもつことが明らかになりました(図2)。重複配列を詳しく解析した結果、Enh14とよばれるエンハンサー配列が含まれることがわかりました。そこで、ゲノム編集技術を利用し、アマミトゲネズミのEnh14を重複してもつマウスを作成しました(図3)。このマウスの卵巣及び精巣の形態を観察し、さらに遺伝子発現の解析を行いました。すると、XXマウス胚の卵巣で、本来は発現しないはずのSox9遺伝子の発現が認められました。この結果は、この重複配列が性決定に働き得ることを示すものです。
研究成果
アマミトゲネズミのオスはY染色体をもたないため、X染色体1本のXOです。さらに、メスもXOであるため、X染色体が性を決定しているという説もありました。しかし、今回の解析からX染色体に性差はなく、唯一残された性差は、常染色体上に存在するSox9遺伝子の上流にオスのみがエンハンサー領域を含む領域の重複をもつこと、が明らかになりました(図2)。
Sox9遺伝子は、Sry遺伝子のターゲットとなる遺伝子で、ヒトやマウスでは、Sry遺伝子が作るタンパク質が、Sox9遺伝子上流のエンハンサー配列に結合し、Sox9遺伝子の発現を促進することが知られています(図4)。Sox9遺伝子は、精巣の分化・発達に機能する主要な遺伝子で、精巣以外のオスの生殖器官を分化させる働きもあります。Sry遺伝子をもたないアマミトゲネズミでは、このエンハンサー配列が重複することで、Sry遺伝子なしにSox9遺伝子を発現させることが可能となっていることが、今回の研究で明らかになりました。つまり、エンハンサーを含む領域の重複の有無が、性を決定しているということです。
Sry遺伝子に依存しない哺乳類の性決定メカニズムの解明は、世界で初めてのものです。さらに、遺伝子そのものではなくエンハンサーという遺伝子調節領域により性が決定されるという発見も、大変珍しいものです。また、X染色体に性差はないことから、X染色体はすでに性染色体ではないことが明らかになりました。性差があることがわかった3番染色体のうち、重複がある方が新しいY染色体、重複がない方が新しいX染色体になっていることが明らかになりました。このように、新しい性染色体が生まれることを性染色体の転換(ターンオーバー)とよび、哺乳類における性染色体のターンオーバーはこれまでに報告がなく、これも世界で初めての発見です(図2)。以上のように、本研究は世界的にも大変インパクトの大きいものとなりました。
今後への期待
重複したエンハンサーに結合するタンパク質(転写因子[用語3])がどのようなものかはわかっていないため、転写因子を同定し、さらに詳しい性決定メカニズムを明らかにすることが今後の課題です。本研究の進展により、これまでにわかっていない哺乳類の性決定メカニズムを分子レベルで理解すること、哺乳類の性決定の進化に新しい知見をもたらすことにつながります。
また、詳しいメカニズムは明らかになっていませんが、ヒトでもアマミトゲネズミと類似した例があり、Sox9遺伝子上流の領域が重複することで、性染色体がXXでも精巣が分化する性分化疾患[用語4]の報告があります。ヒトは、Sry遺伝子に依存した性決定メカニズムをもつため、こういった例は、性分化が通常のように進まない疾患として、現在は医療の対象となっています。しかし、ヒトのY染色体はいつか消えてなくなってしまうだろうと予測されています。本研究の成果から、いつかY染色体が消失してしまった時、可能性のひとつとしてこのような変異が性決定を担うことが考えられます。
本研究成果が一般社会に広く知られることで、多様な性を単に疾患や少数派(マイノリティ)として捉えるのではなく、性の多様性には意義があり生物として重要なものであると、科学的な理解が深まることが期待されます。
謝辞
本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業「新学術領域研究『学術研究支援基盤形成』」の「先進ゲノム解析研究推進プラットフォーム『先進ゲノム支援』(PAGS)」(16H06279)、日本学術振興会科学研究費補助金・基盤研究(B)(課題名:シス因子による哺乳類の新しい性決定メカニズムの解明、代表者:黒岩麻里)(22H0266702)、基盤研究(B)(課題名:有胎盤哺乳類におけるSRY遺伝子に依存しない新しい性決定メカニズムの解明、代表者:黒岩麻里)(19H03267)、日本学術振興会科学研究費助成事業「新学術領域研究『ゲノム・遺伝子相関』」(26113701)の支援を受けて行われました。
用語説明
[用語1] エンハンサー : 遺伝子の転写量を増加させる作用をもつDNA領域のこと。
[用語2] de novoアセンブリ解析 : 生物種のゲノム配列解読を新規に行うこと。
[用語3] 転写因子 : DNAに特異的に結合するタンパク質の一群。エンハンサーなどのDNA領域に結合し、その遺伝子の転写調節を行う。
[用語4] 性分化疾患 : 性分化の過程で、染色体、生殖腺、内部・外部生殖器官が多くの人とは異なるパターンをとる疾患群のこと。その原因は多様であることが知られる。
論文情報
掲載誌 : |
The Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS、米国科学アカデミー紀要)(自然科学・社会科学・人文科学の専門誌) |
論文タイトル : |
Turnover of mammal sex chromosomes in the Sry-deficient Amami spiny rat is due to male-specific upregulation of Sox9 (Sry遺伝子をもたないアマミトゲネズミでは、オス特異的なSox9遺伝子の転写制御を獲得することで性染色体の転換(ターンオーバー)が起きている) |
著者 : |
寺尾美穂1、a、小川湧也1、a、高田修治1、梶谷嶺2、奥野未来2、b、持丸侑太2、松岡健太朗2、伊藤武彦2、豊田敦3、河野友宏4、城ヶ原貴通5、水島秀成6、黒岩麻里6(1国立成育医療研究センター、2東京工業大学、3国立遺伝学研究所、4東京農業大学、5沖縄大学、6北海道大学)a共同第一著者、 b現在の所属は久留米大学・医学部 |
DOI : |
- プレスリリース 哺乳類の新しい性決定の仕組みを発見 —Y染色体とSry遺伝子が消失してもオスは消滅しない—
- 微生物叢中のゲノム配列を長く正確に決定する新手法|東工大ニュース
- シクリッドゲノム中に適応進化の痕跡を発見|東工大ニュース
- ミドリイガイのゲノム解析からわかった足糸の耐久性の秘密|東工大ニュース
- 鳥類の性分化に働く遺伝子の共通パターンを発見|東工大ニュース
- サンゴの天敵・オニヒトデの体表を覆う未知の共在菌をインド・太平洋の広域から発見|東工大ニュース
- 鼻の中でタイプの異なる匂いセンサーができる仕組みを解明|東工大ニュース
- 両親由来のゲノム配列を個別に決定する新手法|東工大ニュース
- ほぼ全ての脊椎動物に共通するフェロモン受容体を発見|東工大ニュース
- 四肢形成時に細胞の生死の運命を決めるメカニズムを解明|東工大ニュース
- 伊藤武彦 Takehiko Itoh|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 梶谷嶺 Rei Kajitani|研究者検索システム 東京工業大学STARサーチ
- 生命理工学院 生命理工学系
- 北海道大学 大学院理学研究院
- 国立成育医療研究センター
- 国立遺伝学研究所
- 沖縄大学
- 研究成果一覧
お問い合わせ先
北海道大学大学院理学研究院
教授 黒岩麻里
Email asatok@sci.hokudai.ac.jp
Tel / Fax 011-706-2752
東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系
教授 伊藤武彦
Email takehiko@bio.titech.ac.jp
取材申し込み先
北海道大学社会共創部広報課
Email jp-press@general.hokudai.ac.jp
Tel 011-706-2610 / Fax 011-706-2092
国立成育医療研究センター広報企画室
Email koho@ncchd.go.jp
Tel 03-3416-0181
国立遺伝学研究所リサーチ・アドミニストレーター室広報チーム
Email prkoho@nig.ac.jp
Tel 055-981-5873
東京工業大学 総務部 広報課
Email media@jim.titech.ac.jp
Tel 03-5734-2975 / Fax 03-5734-3661